歩かない旅人

 彼がなした馬鹿げたこと・・・彼がなさなかった馬鹿げたことが・・・人間の後悔を半分づつ引き受ける。ヴァレリー

現代の「デュープス」(間抜け)は誰だ?

2016-04-06 10:12:54 | 産経新聞の記事から抜粋

 

  

 

 4月5日付の【異論暴論】というコラムに月刊雑誌『正論』5月号の宣伝記事が載っています。5月号の総力特集は「共産主義者は眠らせない」です。4本の論文が載せられています。

  

 つられてちょっと読み始めましたが、筆者は、近現代史研究家・林千勝氏、青山学院大学教授・福井義孝氏、政治評論家・筆坂英世氏、評論家・江崎道朗氏の4本ですが、知らないことがマダマダ多そうです。

 日本にコミニズムが入り込んだのは大正6~7年ごろと想像しますが大正6年3月ロシアでロマノフ王朝が断絶し、ロシアの二月革命が成功した年です。それ以前からヨーロッパではマルクス・レーニン主義という不気味な妖怪が流れ出したという記録もあります。

 日本で共産党が結成されたのは1922(大正11)年ですがウイクペディアによると次のように出ています。ロシア革命後5年余です。

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 11月にはコミンテルンに加盟し、コミンテルン日本支部・日本共産党となった。この時、コミンテルンから「日本共産党綱領草案」が示されたが、日本での議論がまとまらず、結局草案のまま終わった。

 「綱領草案」は、政治面で、君主制の廃止、貴族院の廃止、18歳以上のすべての男女の普通選挙権、団結出版集会ストライキの自由、当時の軍隊警察憲兵秘密警察の廃止などを求めていた。

 経済面では、8時間労働制の実施、失業保険をふくむ社会保障の充実、最低賃金制の実施、大土地所有の没収と小作地の耕作農民への引き渡し、累進所得税などによる税制の民主化を求めた。

 さらに、外国にたいするあらゆる干渉の中止、朝鮮中国台湾樺太からの本軍の完全撤退を求めた。

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 日本はコミンテルンの中でも優等生で、その本部の命令を忠実に実行しようとし、当然のごとく弾圧されたのは仕方のない事でしょう。しかしそれを認めようとせず、しかも国民受けのいいように、内容の都合の悪い所は隠し始めました。

それ等の細かい所を、様々な分野で書かれたのが、『正論』5月号特集です。先ずは、産経新聞のコラムから載せます。

 

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【異論暴論】 2016・4・5

 現代の《デュープス》はだれだ!? 総力特集「共産主義者は眠らせない」 正論5月号好評発売中

 

 

 戦前の日本は右翼に支配されていた-というイメージを持つ人は多い。が、そう思いながら歴史の本をめくると、次々と疑問がわいてくる。

 なぜ右翼の日本は、左翼・共産主義の総本山だったソ連と不可侵条約を結んだのか。戦争しないに越したことはないが、右翼国家なら、米国の前にまず左翼国家と戦うのが筋のはずだ。

日中戦争も中国共産党との戦闘はほとんどなく、国民党政権とばかり戦ったのが奇妙だ。対日戦で疲弊した国民党を中国共産党は台湾に追い出したのだから、右翼日本が中国の左翼を助けたことになる。

 実は、右翼と思われていた過去の日本は左翼のインテリや政治家がリードした左翼国家で、彼らが、ソ連や中国共産党と連携して日本の共産化を誘導していたのではないか。本特集では、そうした観点から近現代史研究家の林千勝氏が論稿を寄せている。

青山学院大の福井義高教授は、張作霖爆殺ソ連犯行説の重要証言を紹介する。日本の中国“侵略”の始まりとされる事件の黒幕がソ連だったら…。

 現代の日本でも、共産主義者は元気だ。反安保法制デモで活躍したのも、野党結集の音頭を取るのも共産党だ。元同党政策委員長の筆坂秀世氏はその狙いを分析、警鐘を鳴らす。

共産勢力の秘密工作の最新研究を紹介した評論家の江崎道朗氏によれば、米国の元FBI長官は、知らぬまに共産党に利用される人々を《デュープス》と呼んだという。

「間抜け」「騙されやすい人々」という意味だが、現代日本にもデュープスはいるのではないか?(菅原慎太郎)

 

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 戦前の日本の政治状況を見ると改めて驚きます。先ず林千勝氏の「支那事変と敗戦で日本革命を目論んだ者たち」『風見章日記』で読む近衛内閣と大東亜戦争の中から抜粋してみます。

●第一次近衛内閣は昭和十二年(1937年)6月~昭和十四年(1939年)1月、第二次・第三次近衛内閣は昭和十五年(1940年)7月~昭和十六年(1941年)十月、通算三年弱です。(中略)

  

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 しかしこの近衛内閣という存在が、日本の中にコミニストを常駐し、今に至るまでの素地を作った元があると改めて知る事が出来ましたが、ここに風見章という人物が、思想的バックアップに有ったと言うことを初めて知りました。

   

 やはりこの時期から、朝日新聞が関わって居る事に再度驚きますが、この風見という男は、朝日新聞や国際通信の記者を経て、信濃毎日新聞の主筆となり、マルクスの「共産党宣言」を連載したといいます。

 

 驚くべきことにこの風間章氏を近衛内閣では現在の官房長官に迎えています。近衛首相のプレーンであったあの死刑になった朝日新聞出身のゾルゲと共にソ連のスパイであった尾崎秀美らの推薦によるものと言われているのも、近衛内閣の無知な世間知らずに驚きます。

この風見章氏とはどういう人物か、驚くべきことに戦後は日本社会党からも立候補し、衆参合わせて9期、1961年12月75歳で没していますが、支那事変を拡大し日本革命をも企んだ一人のうちに入っているという事実に驚いています。


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