以前に漢文の先生から参考文献として示されていた『貝塚茂樹著作集 第五巻 中国古代の伝承』を読み始めた。
その「第4章 鍛冶師と山の神」の「タタラという地名」「一本足と鍛治職」に興味深い記述があった。
柳田先生は前に引いたように、紀伊国の一踏鞴(ひとつたたら)という凶賊は、熊野山中にいる一本ダダラという、雪に一尺ばかりの大足跡を残す怪物と関係する伝説であることを指示された。
これを読んでいて、ふと『常陸国風土記』那賀郡に登場する巨人伝説・だいだらぼっちのことが頭をよぎった。
「一本ダダラ」ってだいだらぼっちのことじゃないのかな?
現在の伝承の北限は茨城、と聞いていたが、ググってみると、秋田県・横手市に「だいだらぼっち」が登場する昔話があることが分かった
これは何時頃の話なのだろう?
「横手盆地のむかしっこ」
はたはた編集部発行(2002年4月20日) 所蔵先 秋田県立図書館
[あらすじ]
昔、横手辺りは湖で鳥の海と呼ばれていた。雨の季節になれば大きな鮭の群れが表れ、それを追って数多くの鳥が来るので「鳥の海」と呼ばれていた。ある時、栗駒山のむこう、松島のほうから塩釜神社に祀られた塩釜大明神の子孫、明永長者、明保長者という2人の兄弟が雄勝の山を越えやって来た。兄の明永長者が病に倒れたため、2人は近隣の民家に助けを求めた。その家の娘の献身的な看護のおかげで明永長者は快復した明永長者はお礼に小袖を送り、それいらいその村を袖山(山内村外山)と言う。二人の長者はここを田畑にすることを考えた。そこで水上浦に祭壇を建て、7日間祭りを続けた。祭りが終わると二人の長者はやぐらに立ち、干拓し、広い田畑を作ろうと呼びかけた。皆賛成し、まず仙北から河辺の西の山を崩し穴を掘った。鳥の海の水は勢いよく海に流れ出した。二人の長者は次に田畑の作り方を教えた。そのお陰で米や麦が実り、横手の平野は栄えていった。二人の長者は御嶽山に登り、私たちの魂はずっとこの山に留まる、と村の人と約束し、神酒を振る舞い神楽を奉納した。この干拓のさい、一人の巨人が水をかいて助けた。だいだらぼっちと言い、太平山の三吉さんの化身と言われている。
「東日本に広く分布」「日本各地に流布している伝説上の巨人」と説明している辞書もある。
異称:だいだぼっち(大太法師)、だいだらぼうし(大太法師)、 だいだらぼう、だいだぼっち
[追記]2021.04.14
一部表現を訂正しました。
その「第4章 鍛冶師と山の神」の「タタラという地名」「一本足と鍛治職」に興味深い記述があった。
柳田先生は前に引いたように、紀伊国の一踏鞴(ひとつたたら)という凶賊は、熊野山中にいる一本ダダラという、雪に一尺ばかりの大足跡を残す怪物と関係する伝説であることを指示された。
これを読んでいて、ふと『常陸国風土記』那賀郡に登場する巨人伝説・だいだらぼっちのことが頭をよぎった。
「一本ダダラ」ってだいだらぼっちのことじゃないのかな?
現在の伝承の北限は茨城、と聞いていたが、ググってみると、秋田県・横手市に「だいだらぼっち」が登場する昔話があることが分かった
これは何時頃の話なのだろう?
「横手盆地のむかしっこ」
はたはた編集部発行(2002年4月20日) 所蔵先 秋田県立図書館
[あらすじ]
昔、横手辺りは湖で鳥の海と呼ばれていた。雨の季節になれば大きな鮭の群れが表れ、それを追って数多くの鳥が来るので「鳥の海」と呼ばれていた。ある時、栗駒山のむこう、松島のほうから塩釜神社に祀られた塩釜大明神の子孫、明永長者、明保長者という2人の兄弟が雄勝の山を越えやって来た。兄の明永長者が病に倒れたため、2人は近隣の民家に助けを求めた。その家の娘の献身的な看護のおかげで明永長者は快復した明永長者はお礼に小袖を送り、それいらいその村を袖山(山内村外山)と言う。二人の長者はここを田畑にすることを考えた。そこで水上浦に祭壇を建て、7日間祭りを続けた。祭りが終わると二人の長者はやぐらに立ち、干拓し、広い田畑を作ろうと呼びかけた。皆賛成し、まず仙北から河辺の西の山を崩し穴を掘った。鳥の海の水は勢いよく海に流れ出した。二人の長者は次に田畑の作り方を教えた。そのお陰で米や麦が実り、横手の平野は栄えていった。二人の長者は御嶽山に登り、私たちの魂はずっとこの山に留まる、と村の人と約束し、神酒を振る舞い神楽を奉納した。この干拓のさい、一人の巨人が水をかいて助けた。だいだらぼっちと言い、太平山の三吉さんの化身と言われている。
「東日本に広く分布」「日本各地に流布している伝説上の巨人」と説明している辞書もある。
異称:だいだぼっち(大太法師)、だいだらぼうし(大太法師)、 だいだらぼう、だいだぼっち
[追記]2021.04.14
一部表現を訂正しました。