相台万朗Sodaiブログ

和歌山からきて今は千葉県人に、東京銀座でウエスタンバンジョーの店を36年間やらせていただき、もっかしたずみしてます。

オッペケぺー (連載―第545号)

2024年04月01日 | 経験・体験
♪権利幸福 嫌いな人に 自由湯をば飲ませたい……♪
という唄い出しで有名な
「オッペケペー節」
 選挙制度を一つとっても長年、人のご努力で変わってきた。国は一部の人によって動かされてきた。清き一票さえも夢物語。 国の制度は一長一短ではかえられない。
 一票を得るには、何十年も先人のご苦労を感じる。
 政治家に国民の血税を勝手にさせない、賢い国民でありたいが、政治家は、国民を将棋の駒のように扱うのが得意だ。引き金をひかされないように。
現代の選挙は、18歳以上の男女であれば誰でも投票出来るが、以前は20歳だったが、最近の選挙制度の改正で18歳になった。
社会科で習ったが、衆議院の任期は4年で解散のたびに選挙で改選される。参議院の任期は6年で、3年ごとに半数が入れ替わる。立候補できる年齢は衆議院議員は、満25歳。参議院議員は、満30歳となっていた。
「供託」制度があり、衆議院選挙では1人600万円の保証金がいるようだ。私にはそんな大金はない到底無理だ。だから、一票を投じている。塵も積もれば山か慌てない慌てない。
   婦人参政権運動がおこり、昭和には軍部が台頭して、戦後は、民主主義の世になって、選挙制度も随分と変わった。
 そんなつもりでなかったが親の地盤を引き継ぐために政治家になった方もいらっしゃる。政治家は、職業に分類されるようだ。

 明治時代、土佐(高知県)の板垣退助さんが、自由民権運動を通じて国会をはじめて開設した。
よくテレビから聞こえて来た。オッペケペーオッペケペーポーペッポ・ポーと「オッペケペー節」をね。

 明治時代は、「満25歳以上で国税をいくら以上納めた男子」に投票が認められた。
  大正になって、「大正デモクラシー」で婦人参政権運動が始まったが昭和の戦後になって女性も参政できた。
 昭和は軍部の政治。昭和の終戦を迎えて民主主義の世となり、最近では、戦闘機を輸出するとか、世も変わったものだ。

 政治に、ひとにぎりの人間によって動かされるのはおかしい。選挙でえらばれた国民の代表が、政治をおこなえるようにしたい。板垣は、これに一生をかけた。 

 国会があるのに、内閣の決議で国の方針も変えている。国会は衆・参の飾りの建物はそびえている。
   演歌は明治時代、自由民権運動の一環(ツール)として生み出された。 
18歳以上の男性、女性、の選挙権の獲得には歳月と多くの人の力が宿っている。
テレビではブギウギの歌が流れている。誰も、知らないだろうが、オッぺケぺー節なる。日本最古の歌声を聴いた。土佐の高知も行ったことはないが行くつもりだ ~え!

 板垣退助は明治維新の自由民権運動の指導者。 東アジアで初となる帝国議会を樹立し「国会を創った男」として知られる。
 土佐に行くなら草鞋をはいておじゃれというから、そのつもりだ。
板垣退助(土佐)さんと西郷隆盛(薩摩)さんが明治のはじめに岩倉具視(いわくらともみ)たちの海外視察団が2年ほど欧米に行かれた留守(日本の留守)を守つた2人だ。
よくもこの時代に日本を留守にできた。
朝から、政治家のキックバックには飽き飽きだ。
ひさしく、オッペケーぺーなる歌を聴いたが詩の内容がおもしろい。
当時を伺える。三味線も聞いたが歌も新鮮だ。
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