相台万朗Sodaiブログ

和歌山からきて今は千葉県人に、東京銀座でウエスタンバンジョーの店を36年間やらせていただき、もっかしたずみしてます。

ひとりごと     (連載―第555)

2024年05月17日 | 経験・体験
広島、長崎に原子爆弾が落とされ日本は戦争に負けたのが昭和20年だ。戦争を始めたのが昭和14年だから、6年も戦争をしていた。
多くの兵隊さんが帰国して多くの子供が誕生した。村には子供が溢れていた。近所には8人兄弟もいる人がいた。野球をするにも、赤、白にわかれて、子供があつまり、すぐ対戦出来た。
昭和22年~昭和24年の生まれの世代を「団塊(だんかい)の世代」と故、堺屋太一さんが言われていた。
  戦後世代、焼け跡世代などと言われていた。大学受験、就職には苦労した連中だ。他人事のようだが、私は2年後の昭和26年生まれだから難を逃れた。
 文化的な面や思想的な面で共通している。大学進学した人は、学生運動が最も盛んな時期に相当する。私も、先輩に言われ代々木公園から日比谷公園まで町を練り歩いた。陸橋から明るい光が光っていた。腕をしっかり組んでいないと引き抜かれると注意された。デモの先頭の歩道側には何人か大人が並行して最初から付いてきている。その時、改めて見る町の様子は異様だった。
  洗濯機、テレビ、冷蔵庫は「三種の新器」と言われ、我が家にはすべてなかった。
洗濯は、川に持って足で踏んで、河原で乾かした。
 テレビは、村で一軒持っている家に行き見せていただいた。遊び疲れて見ながら寝た記憶があった。
 我が家には、ラジオをよく聴いた。何年前か定かでないが、早朝の4時ごろ、アメリカのケネディ大統領がダラスで暗殺された。と報じていた。これは大変だと家族みんなをおこした。


  キューバ危機でアメリカとソ連が核戦争の手前で核のボタンを押そうとしていた。その時、上空に爆音が鳴り響いた。山にこだまして、とうとう核戦争が始まったか、子供心に覚悟を決めた。
爆音の原因は、飛行機が音の壁を越す速いスピードの時に爆音が発すると言う。安心し命拾いした。
世界は、核実験で放射能の雨に濡れると、髪の毛が抜けるそうだが、それで、私もハゲになったのか? 今は、くそジジイになったが、まだ、若い方は、この世に、生まれていない方もいる。
ご存じないのが当たり前、私の場合は、身をもって経験しているから覚えている。
 ある国では、4,5日で終わる戦争に若者を戦車に乗せてパレードでもするかのように他国に侵攻した。
てっきり、若者がパレードだから沿道の両側に市民の声援を期待したそうだが、戦争だと私も御免だ。
どこかの国の責任者が、今は戦争している時代ではないような話をしておられたが、「他人の振り見て、我が振り直せ」と自国もこっそり戦っていた。
古い人間、新しい人間であろうが、行いで判断しないと今の世は複雑だ。

 もう亡くなられたようだが、アメリカのチャップリンが帝国ホテルに宿泊で空港から後を尾行してくる気配を感じた。
日本の付き人がホテルに着く前に、チャップリンを車から降して、ある方向に一礼をして難を逃れたそうだが、
別に関係ないことだが世を、物事を知らなければ気配も感じないだろう。
 私には関係ない事でもまわりまわって自分に戻ってくることだってある。 私は、3度ほど三途の川を渡りかけたが幸い泳ぎが出来なかったので生きている。  
冥土のみやげにこの世を知っておこうと60歳過ぎてから、昔を知ろうと歴史を覗いてみた。
 昔は、よかったらしいが、昔に生きていない方に、昔を言わない。「昔は、よかった」とは私の禁句だ。
「昔を知らない方ばかり集まって、新しい世界を築けばいいのにと思うことがある。」
 世界は、昔を体験した人とそうで無い方の共存だ。
 「心の持ち様」との新しい戦いがはじまっている。
 地震も天災も各地に起きている。来年は何人の生け贄を天はもとめているのか、平気な顔をして真っ黒な雲が何人かを抱えて北に流れていた。

  広島、長崎に原子爆弾が落とされ日本は戦争に負けたのが昭和20年だ。戦争を始めたのが昭和14年だから、6年も戦争をしていた。
多くの兵隊さんが帰国して多くの子供が誕生した。村には子供が溢れていた。近所には8人兄弟もいる人がいた。野球をするにも、赤、白にわかれて、子供があつまり、すぐ対戦出来た。
昭和22年~昭和24年の生まれの世代を「団塊(だんかい)の世代」と故、堺屋太一さんが言われていた。
  戦後世代、焼け跡世代などと言われていた。大学受験、就職には苦労した連中だ。他人事のようだが、私は2年後の昭和26年生まれだから難を逃れた。
 文化的な面や思想的な面で共通している。大学進学した人は、学生運動が最も盛んな時期に相当する。私も、先輩に言われ代々木公園から日比谷公園まで町を練り歩いた。陸橋から明るい光が光っていた。腕をしっかり組んでいないと引き抜かれると注意された。デモの先頭の歩道側には何人か大人が並行して最初から付いてきている。その時、改めて見る町の様子は異様だった。
  洗濯機、テレビ、冷蔵庫は「三種の新器」と言われ、我が家にはすべてなかった。
洗濯は、川に持って足で踏んで、河原で乾かした。
 テレビは、村で一軒持っている家に行き見せていただいた。遊び疲れて見ながら寝た記憶があった。
 我が家には、ラジオをよく聴いた。何年前か定かでないが、早朝の4時ごろ、アメリカのケネディ大統領がダラスで暗殺された。と報じていた。これは大変だと家族みんなをおこした。


  キューバ危機でアメリカとソ連が核戦争の手前で核のボタンを押そうとしていた。その時、上空に爆音が鳴り響いた。山にこだまして、とうとう核戦争が始まったか、子供心に覚悟を決めた。
爆音の原因は、飛行機が音の壁を越す速いスピードの時に爆音が発すると言う。安心し命拾いした。
世界は、核実験で放射能の雨に濡れると、髪の毛が抜けるそうだが、それで、私もハゲになったのか? 今は、くそジジイになったが、まだ、若い方は、この世に、生まれていない方もいる。
ご存じないのが当たり前、私の場合は、身をもって経験しているから覚えている。
 ある国では、4,5日で終わる戦争に若者を戦車に乗せてパレードでもするかのように他国に侵攻した。
てっきり、若者がパレードだから沿道の両側に市民の声援を期待したそうだが、戦争だと私も御免だ。
どこかの国の責任者が、今は戦争している時代ではないような話をしておられたが、「他人の振り見て、我が振り直せ」と自国もこっそり戦っていた。
古い人間、新しい人間であろうが、行いで判断しないと今の世は複雑だ。

 もう亡くなられたようだが、アメリカのチャップリンが帝国ホテルに宿泊で空港から後を尾行してくる気配を感じた。
日本の付き人がホテルに着く前に、チャップリンを車から降して、ある方向に一礼をして難を逃れたそうだが、
別に関係ないことだが世を、物事を知らなければ気配も感じないだろう。
 私には関係ない事でもまわりまわって自分に戻ってくることだってある。 私は、3度ほど三途の川を渡りかけたが幸い泳ぎが出来なかったので生きている。  
冥土のみやげにこの世を知っておこうと60歳過ぎてから、昔を知ろうと歴史を覗いてみた。
 昔は、よかったらしいが、昔に生きていない方に、昔を言わない。「昔は、よかった」とは私の禁句だ。
「昔を知らない方ばかり集まって、新しい世界を築けばいいのにと思うことがある。」
 世界は、昔を体験した人とそうで無い方の共存だ。
 「心の持ち様」との新しい戦いがはじまっている。
 地震も天災も各地に起きている。来年は何人の生け贄を天はもとめているのか、平気な顔をして真っ黒な雲が何人かを抱えて北に流れていた。

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