相台万朗Sodaiブログ

和歌山からきて今は千葉県人に、東京銀座でウエスタンバンジョーの店を36年間やらせていただき、もっかしたずみしてます。

ブスと美人 (連載―第571号)

2024年08月23日 | 経験・体験
 街を歩いていると、女性も男性もみんな美形だ。
一人か三人かブスにお目にかかってもいいのだが、行き交う人にブスにお目にかからない。
ブスとは差別用語か私はわかっていない。もし、お気に障ったらお許しください。
ブスが美人にイジメられる話は遠い昔に聞いた。兄が美少年だったから、無言に比較された。兄は美少年どころか勉強も出来た。村祭りには化粧して馬に跨り主役だった。私とは明らかに「月とすっぽん」だったから劣等感もなかった。
 女性のお腹から、男と女が産まれるから不思議だ。神様も酔っぱらって、付け忘れることだってあるだろう。
40年ほど前、男性専用の酒場に連れていかれた。男性が化粧して、目線も女性になっていた。店内は、たばこの煙と淀んだ空気が蔓延していた。
私は一応、男性だったので、その世界を異常に感じた。
 最近は、男性も化粧して、ピアスも附けている。不思議だピアスを附けると女性の感覚の見方もでき話題も豊富になった。
いずれにしても、男女の区別もなくなっている。ハイ!疑問です?ニューハーフがトイレと風呂はどっちに利用するのだろう。
 40年ほど前、サンフランシスコに行った時、男性お二人が手をつなぎ寄り添って歩いていた。ガイドの話ではこの一帯がそうだと言われた。その当時、日本では考えられなかった。

「美しさは、生きる力」と豪語している方もいるが、まさしくそのとおりだ。
美しかったら、自信もできる。写真も撮られよう、大勢の人前にも
さらされ美しさを表現できる。
エ~! 何歳だって。
 ブスに会いたい。確か、眉毛が太く左右バランスが取れてなく、目はタレ目で、鼻は空を向き、唇がマンボウのように腫れぼったく。ア!元の顔が忘れた戻せない。
  私の子供を連れ姉の家に行った。姉が出かけて来るねと子供に別れを告げたが子供は別人と思ったのか無反応だった。
確かに厚化粧で姉は別人になっていた。縦約25センチ、横20センチのキャンパスに絵を描いていた。つまり、顔に絵を描くように化粧をした。
 そもそも、ブスと美人は男の見方で、ほかに才女を見つけた。
オリンピックもこの前までパリで行われていた。エッフェル塔が聳え立ちセーヌ川が流れていた。エディット・ピアフ、アズナブールのシャンソンが聞こえる。
 思い出す、狭い路地裏に4、5人入れば満席で頭をかがめて飲んでいた。ママはパリでレストランを経営していたパリジャンらしい。話題豊富な才女だ。フランスの料理もあかぬけていた。G街といわれたところだ。
 子供のころ、放射能の雨に濡れて、このハゲ―になった我が身のうえ。巷ではブスも才女も消え失せ美人が残った。
美人はいいよなーほんとうにいいよなー! 生きる活力。違った、
生きる力だ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

思い通りにいかないね (連載―第570号)

2024年08月21日 | 言葉
私の目標が和歌山に帰り、両 親、兄弟の墓参りする。そして、 亡き兄のお葬式に行けなかった のでお参りすることであった。 私は身体障害者らしいので、反 対されることを予想して密かに 一人で実行しょうと予定を組み バスも予約した。 ところが、次男にそれがバレ6 月の予定がすべてキャンセルさ せられ、8月に次男の5歳の孫と 共にワゴン車で行くことになっ た。つまり、次男が連れて行って くえるという。
  子供は、スマホで宿泊先を簡 単に予約した。和歌山では高野山 のお寺さんに泊まる、奈良では一 般の旅館をである。 私は田舎のお墓に、子供は高野 山と奈良に行きたいと言う希望 だ。2 泊3日の旅。
さて、40年ぶりに帰る郷、 何もかも変わっていることだろ う。 大阪から一本道を南下して紀の 川を渡り、和歌山城を崇め紀三井 寺、海南、湯浅を経て御坊まで、 それから道成寺への旅だと思っ たら、海と山の陸の孤島と42号 国道の一本道だと思った。
 今は大阪から高速道路が出 来て短時間で御坊に着く、御坊 IC で下車すれば15分ほどで道成 寺に着く。
故郷の墓にお参りして私の目 的を済ませ、日高川をさかのぼり 龍神村(龍神温泉)から高野龍神 スカイライン((371)を走り高 野山に着く、 この日は高野山も宿坊に泊まる 予定。 翌日は、高野山を(371)下 り、橋本から24号を北に上り、 天理、奈良(若草山)へと向かう 天理で法隆寺、奈良では奈良公園 の鹿・東大寺・春日大社など観光 して、夜は奈良に宿泊の予定です。
 この企画は別にYouTubeでア ップロードさせて頂きました。機 会があったら、見てやってくださ い。
8月のある日、妻が私のちっぽ けな部屋に来て、これから実家に 帰るという。別に夫婦仲は悪くは ないと思うのだが、それは、私の 見方だけだが、何でと尋ねた。 義父が入院したという。お風呂 で気を失い、幸い孫に助けられ救 急車で運ばれたいう。93歳で、 この暑さだ熱中症になったのだろう。
とにかく、急いで栃木に帰った。 病院の面会は15時から19時 の間の30分、一日2人だと聞く。 私と妻とは次の日になった。
 翌日、面会でき意識はあった。 私は和歌山に行きを中止を決め た。 2年前から夢にまで見た故郷 は、遠くになった。南海トラフ地 震の注意報も出ている、台風も来 ている。日本列島も私の心も揺れ にゆれている。   
私は覚悟は決めているが、子供 と孫は私の責任だ。親子3代の旅 はいつか実現しよう。
73年も人間やっていると思 い通りに行かないことで、アレー、 アレ、アレーと波乱万丈の人生、 良いことも悪いことも、どこかで 清算される。
 
 地球が爆発したかのような 交通事故、人に嫌われて、ハット 気づいた己。まさか・・・ 思い通りに行かないね。
煙草も酒も運転も禁止され、残 すは津軽海峡、シチリンで炙ったイカ・土佐の高知のはりまや橋・ 佐賀の黒縁眼鏡をかけた無口な 友。西郷郷隆 の鹿児島にも行って みたい。
道成寺の「安珍清姫物語」、安珍 清姫と、ただ一人の物語と思って いたが、安珍という僧と清姫の若 い娘の悲恋のお話だった。
私の歴史感を強要するつもりは ないが、旅に一味くわわった。 これも、アップロードさせていた だきました。
 歴史は年号を暗記するもの だと思っていたが、その時々の人の考えの変化を知ったことで面白さが倍増した。
誰かが云っていた、日光東昭宮の「見ざる 聞かざる 言わざる」の3猿が平和ボケと言われようが日本が平和な世を長く保ったような気がする。
澄み切った青空の下で、夜空
の満天の星の下で戦闘機が飛び交っている。この対象的なことが宇宙のシワザなのか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

怖い話  安珍清姫物語 (連載―第569号)

2024年08月13日 | 経験・体験
舞台は和歌山県の日高川と道成寺に纏わるお話、安珍清姫物語。永遠の課題、男と女の恋物語。いや、悲恋の物語であった。
能、歌舞伎、浄瑠璃の演目で『道成寺』が登場する。
蛇に指をさすと腐ると、だから、友人にその指を切ってもらう呪(まじない)をしてもらった。大人になって人を指さすものではないと教えられた。幼かったら、誰かに指を切ってもらう呪(まじない)をしてもらったようだ。
女の「嫉妬心」を蛇のたとえに、女を怒らせたら怖いと、だから、おんなの心をもてあそんではいけないと、教えられていた。
説法では、人にはまごころで接しなさいと教えられた。


「毎年、奥州(福島県白河市)から安珍という若い僧(山伏)が
熊野那智の滝権現の神様に1泊の予定でお参りに来る。
今年も若くてハンサムなお坊さんの安珍がお父さんが経営する宿、清姫の宿に来た。
清姫はひとめぼれして、若いお坊さんを好きになり、深夜、女だてらに夜ばいをかけて安珍に迫る。
清姫さまはこんなところにお出でになってはいけません。清姫は安珍の部屋を出ようともしません。
昔は、お坊さんは結婚は許されなかったが、安珍は、仕方なく、清姫を部屋から出そうと清姫に嘘をついた。
「明日、那智の神様にお参りした後は、必ず、清姫の待つ宿に戻りますから」と純粋な清姫に嘘をついた。「必ずですよ」
 
 翌日、清姫が待つても、待っても安珍が戻りません。
「もし、お尋ねしますが、背の高い色白で若いお坊さんを見かけなかったと清姫が峠を通る人に尋ね歩いた」
「そんな若いお坊さんなら、もうとっくに通り過ぎましたよ」

  まさか安珍さまは清姫との約束をやぶり、宿を素通りしたのか、清姫は安珍さまの後を必死に追った。
日高川に着くころ、遠くに安珍さまを見つけた。「安珍さま!安珍さま!」と叫んでも安珍は知らぬ顔。
安珍は、舟頭達に若い女に追われているから、決して舟に乗せないように言っておいた。「おのれ安珍!」 清姫は川に入り安珍を追った。
清姫は半身大蛇となっていることも気をつかず口から炎を吐き、竜となって必死に安珍を追った。安珍は遠くに見える道成寺を発見、舟を降り駆け足でその寺に向かった。

 長―い階段を上り本堂に着き、住職に相談した。私は恐ろしい女に追われている、どこか私をかくまって欲しいと頼んだ。
思案の末、住職と僧たちは、釣鐘を下し、その中に安珍を隠した。
恐ろしい竜と化した清姫は寺中探したが安珍が見つからず、ふと釣鐘から、わらじの紐がはみ出ているのをみつけた。
おのれ安珍、釣鐘をぐるぐるに巻、口から炎を吐き恐ろしいこの世のものとは思えない恐相で安珍を焼き殺した。
寺の住職や鼓童は恐怖のあまり震え上がった。
その後、清姫は日高川に戻り入水自殺したという伝えです。
  
道成寺に釣鐘がないのは?清姫に焼かれたから、ピンポーン。
一時は、京都から新しい釣鐘を持ってきたが、釣鐘の音が清姫の呪の音と近隣の方に不評だったとか、道成寺には今も釣鐘がない。

道成寺のみやげ売り場に、あずきアンがたっぷり釣鐘饅頭が売っている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

親子3世代和歌山へ (連載―第568号)

2024年08月10日 | 経験・体験
本当は、一人で6月にバスで和歌山に行く予定だったのが、子供にバレテ8月に行くことになった。
身体障害者の相台です。
57歳の時、脳出血で死んだ筈が
シブトク生きている。折角、実験で上野駅まで一人で行けたのに残念だ。
次男が、危険極まる行為と私を戒め6月の予定が中止になり、次男の孫も含めた8月未明に3世代の2泊3日の旅となる予定だ。
 私はただ助手席に乗っているだけで済むと思っていた。
 和歌山生まれの私に旅の日程を組むように指示された。ただ、子供は高野山と奈良の宿をスマホで予約したという。高野山は宿坊らしい。
 出発日❶東京料金所~東名・名阪~亀山IC(下車)料金8980
❷亀山~名阪国道25号・料金は無料~天理。
❸天理~西名阪・阪和~御坊IC(下車)料金4190
身体障害者割引を利用すると料金は割引されるようだ。
 御坊ICから15分で道成寺に着く。道成寺にお参りする。
 住職の絵巻説法で話す安珍清姫物語はおもしろかった。テレビでも話題になった。
  書けば長くなりそうだがら別途YOUTUBEでアップロードさせていただきます。
 紀勢本線の道成寺の駅、田舎町のチッポケナ駅、ボンネットバスを何回もハンドルを切り返えさないと駅から出られない。首から黒い小さなバッグを首から吊り下げた車掌のキップをカチャカチャ切る音も聞こえそうな駅。
昆布だしで、うずの巻いた桃色のかまぼこ入りのうどんを食べて行くか。
 日高川で育った私は、30分ほど川を上り、田舎の物産店で貴重な本蜂蜜を注文しておいた。
 日高川を上れば、村・発電所・道の駅・木・川・ぽかぽか温泉・猪の肉と楽しみにあえる。
  ほんの60年ほど前、木材を商いに生きていた山男を訪ねた。   
 山には番地を書いている筈もなく、トンネルを潜ったら玄関だった。信じられる山が門だった。山門を過ぎると裸の男が見えた。五右衛門風呂のようで男は朝風呂を入っていた。    
これから山の大木を切って下に流すという。35歳のお歳にようだ。木を鎹(かすがい)と蔓(かずら)で筏(いかだ)を組み日高川に流し御坊の町に運ぶ。簡単な仕事にようだが男の力仕事だ。
そのころは水量も多く川幅も広かった。筏の舟頭も3人ほど木材に跨り威勢よく筏をコントロールしていた。
 日高川には関西電力の2つの水力発電所があったが、発電所の貯水池やダムには筏の通り道があった。
ショートカットできる箇所を見つけ水力発電用の水と筏を通すトンネルを掘ることで解決した。
 日高川を上れば、寒川の村が現れた。確か祖母が生まれた村だ。
こんなところから嫁に来たとは。
更に上れば、龍神村に着いた。つり橋を渡れば龍神温泉だ。脂ののった猪の肉を食べ、温泉に浸かれば一日中ポカポカ気分だった。
 龍神から高野山まで、高野・龍神スカイラインを走れば約1時間で高野山に着く。
  和歌山県と奈良県の境に山の尾根を走る国道371号のようだ。
奈良県側に十津川村という地名を見つけた。十津川警部とサスペンスもので、よく聞き慣れた記憶にある。
平家と源氏が戦い、壇ノ浦の戦いで負けた平家の落人の村もあった。山がすべてを覆い隠すのか、国道371号を上れば高野山への道だ。
反対に龍神村を下れば熊野川につながり、熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智権現へと熊野古道を散策できる。140メートルの落差もあろうか那智の滝、まさに霊山だ。
 高野山に着いたら御廟橋を渡り、奥の院まで行き弘法大使空海にご参拝する。空海は、高野山に金剛峯寺を開き僧を育成する修行寺をつくった。四国の香川の裕福な家庭に生まれたそうだが、高野山は海抜1000メートルの山らしいが800メートルの盆地に寺々をつくった。
何で高野山かと尋ねたら、空海の生まれた香川で、白い布が空に舞い上がり高野の木の枝にたかった。それを空海が見つけここに開いたと聞いた。考えてみれば、香川から偏西風にのれば方向的には高野山の枝に引っ掛かる。こんな言い伝えもお年寄りから伺った。
 7歳年上の最澄と遣唐使で中国に派遣された。帰国後、最澄は琵琶湖と京都の境の比叡山に、空海は、和歌山の高野山に開いた。「弘法も筆の誤り」と筆も上手く、頭もよかった。一時は年上の最澄も弟子だった。平安時代、空海は真言宗を高野山に、最澄は天台宗を比叡山に開創した。
しかし、最澄は密教経典を空海に貸してほしいと頼んだが空海は拒んだ。
密教経典は読んで理解することでは出来なく、修行にのみ会得するものだと最澄とは密教に対する対処が違っていた。

空海は、山伏ともなり山中で修行をする「修験者」(しゅげんじゃ)ともなった。護摩修行も一つの密教かも、火の炎は人間の本質をさらけだす力を持っている。
 時間があれば、夕闇の奥の院までの山道を一の橋から御廟橋まで行きたい。諸大名の墓石、一流企業の記念碑、有名人の記念碑、などの墓石が両側に立ち並ぶ。明智光秀の墓石も立派にあった。
織田信長の墓石もあった。歴史とは面白いもので、時が違えば高野の地も焼き野原になっていた。高野山は、宗教、宗派関係なく受け入れるという。
 小さなお寺さんが117もあり殆どが宿坊のようだ。
この日は、高野山の宿坊で宿泊する。
翌日、❶高野山~371号を下り橋本に。
❷橋本~24号を上り天理まで来たら左手に法隆寺にお参りする。パーキングは門前にある。
❸法隆寺~24号を上り、奈良に向かう。
❹奈良県に着いたら若草山に向かい奈良公園の鹿と会う。
東大寺、正倉院、春日大社、猿沢の池を見学する予定だが孫の興味が大事だ。近くから、奈良漬の香りがしたら買いたい。
 この日の宿泊は生駒のお宿。子供の話では夕食が付いてないから奈良のどこかで3世代一緒の食事だ。
 翌日は、帰路になる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする