イマカガミ

こころにうつりゆくよしなしごとを・・・

6時に

2006-08-07 22:38:40 | 日記
起きまして、仕事へ行って、
10時帰宅。

駅を降りたところでお祭りもどきをしていました。
最近の小学生は10時になっても外にいるのね。

科学者は

2006-08-07 00:39:02 | 
必ずしも論理的でない、と書くと意外に思う人もいるかもしれない。
本当はある問題にたいするとき、可能性をもれなく挙げ、
その可能性をチェックしていくというのが正しい態度かと思う。
1. 膨大な可能性のなかから正しいものをいかに効率よく見つけるか、
あるいは
2. 可能性として考えられてすらいない解を見つける
というところに研究者としての能力やら個性やらが出てくるのだと思う。

しかし、1に関して言えば、ある可能性が正しいかどうかは
かなりグレーゾーンになっていることが多い。
例えば検証のための計算ができないといったことがよく起こる。
結局仮定をおくことで議論を成り立たせようとする。
物理や数学に関して言えば、対称性やトポロジーが偉大なのは
詳細な計算をせずにたくさんの可能性を排除できるからだ。
2に関しても、その研究者の経験に基づいた信念によるところが大きい。
いわゆる、学説というやつだ。

確かに、科学者が用いる数学はそれ自体論理的だけれど、
それを使う人物が論理的であるとまではいえないように思う。

なぜこんなことを唐突に書いたかというと、
経済物理学(エコノフィジックス)の発見
高安 秀樹著光文社 (2004.9)通常2-3日以内に発送します。

を読んだから。
この本を読むと私の言わんとしていることが分かると思う。
前半は、とにかく秒単位の細かいデータを見て
心理的な側面まで含めた市場の分析をしましょう、ということのようだ。
「くりこみ」と称して
(ラグランジアンがないのにどうやってくりこむのか
よくわからなかったが。)
ランダムな項を途中で落としているけれど大丈夫なのかな。
別に相場の予想をしたいわけでもなく、
統計力学的な相関を考えるわけでもなく、
ひたすらデータマイニング。

それにしても、基礎的な部分が怪しい。
経済を勉強したときの教材に問題があったのではなかろうか。

例えば、裁定機会に関する考え方が誤っている。
別に金融工学では裁定機会を「禁止」しているわけではないし、
「存在しない」ものだとしているわけではない。
いわば定常状態に近いものを考えているのであって、
裁定機会は短い間存在するのだ。
むしろそこからの緩和の過程も考えているではないか。

例えば、投機家やリスクに対する考え方が誤っている。
投機家は悪ではないのだ。
金融市場でリスクを切り離して売買することは
健全なことなのだ。

そんなことを考えたのでありました。
経済「物理」の本ではないかな。とりあえず。