ことばを鍛え、思考を磨く 

長野市の小さな「私塾」発信。要約力、思考力、説明力など「学ぶ力」を伸ばすことを目指しています。

二宮金次郎

2006年01月12日 | 日々雑感
以前の記事でちょっとだけ二宮金次郎の銅像について触れたことがあります。
真面目に勉学に励むことを「ダサい」と見なすような風潮と共に小学校の金次郎像も消えてきたという内容でした。

昨日新聞の地域面を見ていたら、「二宮金次郎像「代替わり」」という記事を見つけました。
場所は長野市の小学校。
65年前の初代銅像から数えて3代目だそうです。
2代目のコンクリート像は老朽化で倒壊の恐れが出てきたため、昨年9月に撤去。
それ以来土台だけ残っていた所に、地元の有力者が石像を寄贈したとのことです。

全国からどんどんなくなっていくものだとばかり思っていたら、こんな形で復活している所もあるんですね。
ちょっとビックリ&感激でした。

二宮金次郎像は昭和の初め頃から全国の学校に置かれました。
修身教育において「勤勉」の象徴として採り上げられたことから、学校現場に設置するにふさわしいと考えられたようです。
どこの像も同じかと思ったら、どちらの足が前かとか、もんぺを履いているかなど微妙な違いがあるとのこと。→「実在しない二宮金次郎と銅像の検証」

戦時中の金属供出で撤去され、その後再建したものはコンクリート像や石像で時と共に風化し、いつかと数が少なくなってきたようです。
また、薪を背負いながら本を読んでいるあのポーズが歴史的事実に基づいていない、子どもがマネをすると交通事故につながるなどの要素も、像再建へのマイナス要因となったとのこと。
もっとも地域差もかなりあるようで、さすがにゆかりの地では100%の小学校に現存するとか....。

金次郎はもちろん後の二宮尊徳。
農村復興運動の指導で有名で、飢饉の兆候をいち早く捉えて村を救った(一人の餓死者も出さなかった)とか、藩内の一斗マスを統一規格化して役人の不正を防いだとかの逸話が残っています。
農家の出ですが勉学に励み、数々の功が認められて武士にまでなっています(その時から苗字が付いて「二宮尊徳」)。
そのあたりが「勤勉」の象徴たるゆえんなんでしょうね。

さらに注目すべきはその「報徳思想」です。
Wikipediaによれば「経済と道徳の融和を訴え、私利私欲に走るのではなく社会に貢献すれば、いずれ自らに還元されると説く」とのこと。
マネーゲームに明け暮れたり、詐欺まがいのことをしてまで儲けようとする今の日本の大人たちに少しでもかじってもらいたい考え方です。

「勤勉」にしろ「報徳」にしろ、古くさいなどと言っていないで今こそその価値を考え直さなければいけないときではないでしょうか。
金次郎像を受け継いでいくと共に、その生き様や思想にも多くの人に関心を持ってもらいたいと思います。


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8 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (テツ)
2006-01-12 20:27:49
毎度です。



そうですね、私利私欲ばかりに走る人たちは、一時の金に目がくらみすぎですね。本当ならその会社のリーダーとなって責務を負い、まっとうに建て直してから、還元を被るべきだと私は思います。



ええ加減な大人が多すぎますが、大丈夫でしょうか?
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Unknown (JackAmano)
2006-01-12 22:06:19
報徳思想。広めなければなりませんね。

社会に貢献するということは、どういうことかを考えなければなりません。

自分に還元されるということの意味を知らねばなりません。

言葉だけを広めても、今の日本人は勘違いしてしまいそうです。
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はじめまして (Hideki)
2006-01-13 09:11:08
はじめてコメントします

「勤勉」というと、文句もいわず(疑問も抱かず)黙々と働く(ただただ従う)、と勘違いしそうですね。そのあたりの捉え方次第で、肯定も否定もできると思います。



一方、「報徳思想」はそのままの言葉どおりでもとても大切に思う。ただ、現在でもビジネス上では、この点が最も重要になってますよ。現在、ビジネス最も必要にされていると感じるのは「夢」です。金儲けが夢の人もいるでしょうが、大半は違います。



現状への疑問、あるべき姿への思い、…そこにビジネス・創業・(ライフ)ワークの根幹があることが多いです。



昨今のマネーゲームは、いってみれば博打と同じ、本来の投資の姿からはかけ離れていますが、それに興じる人はごく一部です。



ただ、自分はなぜ働くのか?なぜこの仕事をしているのか?という点が、見つめきれていない人は多い。



そのあたりを、子どもの頃から、深く、ゆっくりと考えることが、とても大切なことなんだと思います。
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Unknown ()
2006-01-13 11:35:06
テツさん、毎度です。



「ええ加減な大人」には「報徳」も抹香臭く感じられて効果ないでしょうね。そういう大人にならないよう教育を変えるしかないと思います。影が薄くなった道徳教育の復権を願います。入試科目に「道徳」入れるとかね....。
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Unknown ()
2006-01-13 11:41:27
Jackさん、毎度です。パソコン復活おめでとうございます!



「お国のため」ではなく「社会のため」の報徳思想、もっと光を当てられてもいいと思います。「大人になる」=「金儲けがうまくなる」「ずる賢くなる」ではないということを子どもたちに伝えて行かねばなりませんね。
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Unknown ()
2006-01-13 11:51:18
Hidekiさん、お久しぶりです。

以前にも一度コメントいただいてますよ!



確かにビジネスとか働くことの意味を真剣に考えている人は増えてきていると思います。仕事に関しての中高生向けの本も良質なものが出てきました。ただ、一方で受験戦争、学歴志向も厳然と存在しています。今は過渡期なのかも知れませんが、できれば学校でも、受験教育と同じくらいそういう教育にも時間を割いてもらいたいものです。



ありがとうございました。
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ありゃま、失礼しました (Hideki)
2006-01-15 17:44:33
> 以前にも一度コメントいただいてますよ!



うは、、、ごめんなさい、大変失礼しました。最近、物忘れが激しくなってきました(やばいかもです)



> ビジネスとか働くことの意味を真剣に考えている人は増えてきていると



こういうと、またまた天邪鬼な表現になってしまいますが、多くの若い人は「働くことの意味」をまだまだ考えてないですね。「自分がなぜ働くか?→自分が何の仕事をするか?」ということを、見つけ切れていない。



学歴至上主義→思考停止状態での受験戦争、というのは20世紀の幻想になりつつあるのに、まだまだそこに頼っている人はいます。



じつは、「自分がなぜ働くか?」「どんな仕事をしたいか?」って、なかなか答えが見つからない問いです。だから「つぶしが利く」という言葉に流されてしまう。



でも、それは「逃げてる」だけなんですよね。その問題から逃げさせるない、そこに導けるような教育が必要なんだと思う。



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Unknown ()
2006-01-16 12:22:22
Hidekiさん、度々ありがとうございます。



>だから「つぶしが利く」という言葉に流されてしまう。でも、それは「逃げてる」だけなんですよね。



大いに同感です。学ぶことと働くことの間にギャップがありすぎるような感じがします。職業教育をしろという意味ではなく、働くということ、世の中のことをもっと考える教育が、中学・高校で必要だと思います。

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