先に書いた穂井田為蕃の伝説の地福沢から
約7キロほど離れた
吉備中央町下土井の地には
穂井田為蕃や入澤勝姫と因縁浅からぬ
美女の伝説が残っている
その美女お福の方の顕彰碑が
お隠棲の地と伝わる土井神社近くに建立された
ときいて行ってきた
お福の方については穂井田為蕃や勝姫と違って
かなりメジャーなので記録も多い
美作の国高田(勝山)で生まれたおふくは
絶世の美女だったこともあって
15歳で勝山城主三浦貞勝の妻となって
桃寿丸を産んだが
三村家親に攻められ夫貞勝は自刃
下土井の地に子と共に落ち延び隠棲したが
後
その美貌が岡山の宇喜多直家に聞こえ
桃寿丸の三浦家再興を条件に
直家の正室となった
そして宇喜多秀家を産むことになる
宇喜多直家の死後は
母と子共々豊臣秀吉に大阪城へ迎えられ
則室となったと伝えられる
お福の方の美貌がどれ程のであったか
宇喜多秀家の肖像画が残っているのを観れば
納得がゆく
横山様ののぼりを頼り徒歩で行ったが
割合立派な駐車場もあった
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