「白秋」に想ふ―辞世へ向けて

人生の第三ステージ「白秋」のなかで、最終ステージ「玄冬」へ向けての想いを、本やメディアに託して綴る。人生、これ逍遥なり。

『エコ・テロリズム』

2009年04月04日 | Ecology
『エコ・テロリズム』(浜野喬士・著、洋泉社新書)

  「地球にやさしい」などという欺瞞に満ちた言葉もすでに手垢がつき色褪せた感がある。それでも、こころの隅で「地球にやさしい」ことをしなければと強迫的な思いにかられる現代人は少なくないにちがいない。現代人の葛藤をよそに、地球にしてみれば人間が自分の上から消え失せてくれることこそ最高のやさしさだろう。環境保護とはふつう人間にとっての環境を守ることにほかならない。自分たちの住む環境が破壊されては生きていけないため、人間は地球にやさしくしようとする。この視点に立つ限り、地球よりも人間に価値が置かれている。しかし、その価値観が逆転したとき、人間は地球自身に対してどのような「やさしさ」を行使できるだろうか。「エコ・テロリズム」とは地球に究極の「やさしさ」で報いようとする運動のように思える。「環境」を軸として本書を一読した感想である。しかし本書には「環境」と絡み合いながらも、もう一つ重要な軸が存在する。それは「アメリカ」である。
  著者によればエコ・テロリズムはアメリカの辿ってきた歴史と切り離すことができない。アメリカの歴史とは自由と権利の拡大を求めて歩んできた道である。イギリス植民地からの独立運動に始まり、奴隷解放、公民権、女性解放と領域を拡大してきた運動はアメリカの歴史を特徴づけるものである。しかし、ここで注意しなければならないのは、獲得してきた自由と権利は「必ずしも平和裏に行われたわけではなく、しばしば法の踏みこえ、場合によっては暴力さえ伴った」ことである。現代から見ればいかに不十分であっても、当時の実定法を踏みこえることで自由と権利を獲得してきた事実に著者は注目し、その先にエコ・テロリズムを見ようとする。
  日本人にとってエコ・テロリズムといえば、シー・シェパードによる調査捕鯨船の襲撃が真っ先に思い浮かぶ。クジラに対する日本と欧米との価値観のちがいを差し引いたとしても、人間の生命を犯すような危険な直接行動に対して、日本人の多くは怒りやエコロジーとは相容れない違和感をおぼえるにちがいない。ところが、シー・シェパードのメンバーにとってみれば過激な行動も自らの「良心」に従ったものにすぎない。「見えざる良心」は法を破ることもいとわない。彼らは生命の尊重もルールとして掲げているが「人間と動物の生態学的平等」をその前提としている。その前提に立てば生物や地球の価値は引き上げられ、同時に人間の生命・財産・権利などはわれわれが思う以上に軽んじられる可能性を孕んでいる。いわば彼らは人間に対する以上に「地球にやさしい」のである。この価値観はまたディープエコロジーや生命中心主義の影響と、「原生自然」の「保全」(conservation)と「保護」(preservation)の対立に端を発するアメリカの環境思想に源流を求めることができる。
  シー・シェパードやその基となったグリーンピースなどのラディカルな環境運動はアメリカの思想風土の上に育まれたといえるだろう。著者はさらに反エコ・テロリズムにまで筆を進める。その行動はロビー活動のような穏健なものから「銃による脅迫や、襲撃といったエコ・テロリスト顔負けの行動まで含まれる」というから驚きである。著者によればエコ・テロリズム(ラディカルな環境運動)はソロー、キング牧師、ガンディーらに参照される市民的不服従の伝統の一部を引き継いでいるが、環境問題が急迫性を要するとき立法措置などは往々にして間に合わず、現行法や成文法を超えた「法」に訴えることが残された道となる。この思考形式は深いレベルでアメリカの伝統に根ざしていると指摘し、自らの暴力を建国の神話や国家の歴史に引きつけて理解しようとしているという。また、エコ・テロリズムであれ反エコ・テロリズムであれ、その起源はリベラリズムであるとする。エコ・テロリズムは良心に従って法を破るが、それに対抗する側である権力や反エコ・テロリズムもまた法を破る必要性に迫られ、両者の相貌は似通ったものとなる。著者の「リベラリズムの内部で、そのシステムを利用する形でテロリズムが生起する場合、そのテロリズムに対するリベラリズムの対応は、自身の原理を逸脱するかたちでしか果たされ得ない」との指摘は鋭く、アメリカ理解のキーコンセプトにもなり得るように思う。
  アメリカは「世界の警察」を自認しているかのようである。一方で「犯罪者」を捕らえるためには「法」を破ることもいとわない。アメリカの「正義」を理解するためには「アメリカ」という文脈の中で捉えなおす必要がある。本書はエコ・テロリズムを切り口にして、アメリカを理解するための重要な視角を与えてくれたように思う。ちなみにサブタイトルは「過激化する環境運動とアメリカの内なるテロ」である。

参考:森岡正博さんの『エコ・テロリズム』の感想。まねたつもりはないが、かなり似たことを書いていらっしゃる。もっとも影響を受けていないといえばウソになるだろう。

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