「白秋」に想ふ―辞世へ向けて

人生の第三ステージ「白秋」のなかで、最終ステージ「玄冬」へ向けての想いを、本やメディアに託して綴る。人生、これ逍遥なり。

ゆるい生き方のすすめ―『持たない幸福論』

2015年08月12日 | Life
☆『持たない幸福論』(pha・著、幻冬舎)☆

  約7年間にわたって遠距離介護をしていたとき、首都圏にあるウサギ小屋アパート(死語?)と北陸の実家とを、ほぼ毎週のように往復していた。実家で介護にかかわってくれた人たち(医師、看護師、ヘルパー、ケアマネさんなどなど)や友人・知人から、ことあるごとに大変だろうと言われた。ところが本人にしてみれば、使命感に支えられていたようなところもあったかもしれないが、それ以上にほとんど日常の出来事になってしまい、通勤感覚に近かったように思う。首都圏と北陸はたしかに遠距離なのだが、“遠い”という感覚がなくなってしまっていた。
  遠距離介護が終わってしまったいま、何かあっても毎週のように往復することはできないだろうなと思う。あらためて“遠い”という感覚がよみがえってきたからかもしれない。とはいえ、いまも事情が許すかぎり、月に1回ほどは実家に帰る生活を続けている。何であれここまで育ててくれた親の恩に報いるため、できるだけ月に1回は墓参りをすると誓いを立てたからだ(見方によっては、いまだにマザコンから抜け切れていないのかもしれないが)。
  それともう一つは、徐々に気づきはじめたことなのだが、この程度のサイクルで首都圏と実家とを往復する生活は身もこころもリフレッシュしてくれるからだ。ずっと田舎にいれば特有の閉塞感に悩まされそうだし、都会にだけいれば神経が擦り切れてしまうような気がしてくる。もちろん往復にはお金がかかるので、その分ほかのところを節約しなければならない。いまよりもさらに稼ぎが少なくなったら、往復は不可能になるかもしれない。だから、もう少し安定して稼げるようになりたいといつも思っている。
  だからといって、非正規から正規の職にかわりたいとはまったく思わない(実際には、万が一にも正規の職につける可能性はないのだが)。非正規の仕事の不安定さは身に染みてわかっているつもりだ。一方で、身分は保障されても、時間や自由を拘束されるのには耐えられそうにない。ある程度の稼ぎを確保することができれば、都会と田舎とを往復できて、できるだけ好きなときに本を読んだり散歩をしたり、あるいは美術館や博物館に行ける生活が最高だと思う。最高だとはいっても、人それぞれの価値観に由来していることであって、他の人との比較の問題ではない。
  この本の著者phaさんも都会(東京のシェアハウス)と田舎(熊野の山中にある友人と借りた一軒家)とを行き来する生活をおくっている。普段の東京での生活に疲れたら、熊野に1、2週間滞在する。また、田舎での生活をセーフティネットとして使うことも考えている。この感覚はとてもよくわかる。若い頃は田舎を離れ都会に出ることばかり考えていて、将来実家がどうなろうと関係ないくらいに思っていたが、いま帰るべき実家がなかったら精神的に破綻していたにちがいない。実家は兄のものだが、その一部に自分が所有できる“家”を残しておいたくれた両親にあらためて感謝しなければならない。
  人は何らかの目的のための仕事をするのだが、多くの人たちは目的が達成されても、さらなる目的を設定して仕事を続けようとする。手段であるはずの仕事が目的になってしまっている。止まると倒れるのが怖くて全速力で自転車を漕いでいるイメージが思い浮かぶ。自転車が止まれば、足をつくか降りれば良いだけの話なのに。社会的に見れば、市場主義経済(あるいは効率至上主義)に毒されているということになるだろう。「第一章 働きたくない」は、こんな働き方を見直そうという提案だ。
  家族を持たなくてはならないという考えも、働かねばならないという観念と同様に人を強固に縛りつけている。もちろん家族には人に安定感を与えたり、現時点で法的に優遇されているといったメリットもあるのだが、いまの家族という概念はまだまだ狭いものだ。たとえば同性のカップルを家族と認めるには至っていないのが現状だろう。シングルマザー・シングルファーザーに対する偏見も根強いものがある。そもそも家族を作るより一人で生きていく方が性に合っているという人もいるのだが、いまの家族という概念は、彼・彼女の価値観を排除し抑圧しようとしている。「第二章 家族を作らない」では、家族というものをもう少しゆるく捉えなおしてみようとしている。
  「第三章 お金に縛られない」は、「働きたくない」とも大いに関係してくることだが、お金や時間に追われない生活の提案である。ここではたぶん、お金をいかに多く稼ぐかというプラス志向(経済的な豊かさの追求)よりも、お金をいかに使わないかというマイナス志向(節約)の方が重要だろうと思う。ちょっと考えてみると、一般に田舎は都会にくらべて通勤時間も短いので自由時間が増え、その時間を使って自分の手で何かを作り出すこともできる。それは豊かな時間の創出と出費の減少につながる。マイナス志向が実はプラス思考なのだと思う。
  最後の「第四章 居場所の作り方」でphaさんは居場所(「安心して居られる場所」「自分はここにいてもいいんだと思えるような場所」)作りについて十項目の提案をしている。これを一言でまとめれば、ゆるい生き方、あるいは多様な生き方を認め合うことと言えるように思う。居場所は物理的な空間だけを意味するのではなく、人間関係も重要になってくるのはいうまでもない。
  ときどき田舎に帰ると、知らないうちに大きなスーパーが次々と開店していたり、信じられないくらい広大なショッピングセンターが進出していて驚かされる。それはそれで便利だなと思うこともあるが、田舎もだんだん都会と変わらない風景になるような気がして心配になってくる。この大きな流れに抗うのは大変なことだ。でも世の中を変えていくには、結局のところ一人ひとりが自らの生き方を変えていくしかないのだろうと思う。
  phaさんは「本書のまとめ」で「世の中の空気というのは、一人ひとりのそれぞれの個人の生き方の集合体」だから「生きることは世の中を変えることに繋がっている」という。続けて「そして今の時代は今までで一番多種多様な生き方が可能になりつつある時代だ」という。やや楽観的にすぎるような気がしないでもないが、この歳になっても自らの生き方を省みて、それなりに生き方を変えていくことは必要だろうと思うし、それは世の中とのつながりも実感させてくれるにちがいないと思っている。ちなみに著者のphaさんは京大を卒業して就職したが、ほどなく仕事を辞めニートになった人で、まだ三十代後半だ。年齢にはずいぶんとひらきがあるが、そのライフスタイルには共感するところが多かった。

  

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