「白秋」に想ふ―辞世へ向けて

人生の第三ステージ「白秋」のなかで、最終ステージ「玄冬」へ向けての想いを、本やメディアに託して綴る。人生、これ逍遥なり。

ツンドクの安心と不安

2009年03月07日 | Monologue & Essay
  読みたい本を見つけるとついつい買ってしまう。自分なりに吟味して買っているつもりだが、傍から見れば衝動買いに見えるかもしれない。だいたい読みたくなる本が多すぎる。などと文句を言っても始まらない。基本的に情報量が多いことはいいことだと思っている。ただし、情報を篩にかけ選別できればという保留がつく。それができなければ情報の海で溺れてしまう。選んで買った本でも、すべてが読めるわけではもちろんない。本は最後のページまで読み通すべきだ、といった強迫観念からはさすがに解放されているつもりだが、多くの本は数ページ目を通しただけでツンドク状態へとおかれていく。
  読みたいと思った本が本棚を次々に埋めていく。ツンドクとは、いつか読むであろう本の山ができていくことだ。本好きにとってツンドクは一種の麻薬のような安心感を与える。手の届くところに本があり、本の背表紙を眺めるのは壮観だ。同時に爽快でもある。一方で本棚に並ぶ本たちが早く読んでほしいと誘いをかけてくる。時間は限られている。でも、あれも読まなくては、これも読まなくてはと心に焦りが生じる。ツンドクの増加は焦りに拍車をかける。また、本は読もうが読むまいが物理的空間を占有していく。本棚の壮観とは裏腹に、ただでさえ狭い生活空間を侵食されていく恐怖感もある。さらに経済的な圧迫も無視できない。では、どうするか? 選別の篩をもっと細かなものに変え、ツンドクを減らすしかないだろう。という思いが心の隅にあったのか、今日たまたま買ってしまったのが『断る力』(勝間和代・著、文春新書)。最近ベストセラー入りしている一種のビジネス書あるいはハウツー本といえる。ベストセラーも、ビジネス書も、ハウツー本も嫌いなのだが、書店でページをめくっていると、どこか惹かれるところがあった。自分に対して自分自身にも「断る力」が必要なのではないか。そんな心理が働いたようだ。いや、それは本の趣旨がちがうのではないかというなかれ。めったに買わない種類の本を買った自分の心理を信じたい。効果のほどはいずれまた。

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