「白秋」に想ふ―辞世へ向けて

人生の第三ステージ「白秋」のなかで、最終ステージ「玄冬」へ向けての想いを、本やメディアに託して綴る。人生、これ逍遥なり。

あなたへ

2012年08月15日 | Monologue & Essay
  今年の夏、あなたはどのように過ごしているだろうか。仕事に明け暮れているのか、あるいはそれなりにバカンスやロマンスを楽しんでいるのだろうか。ここ数年、猛暑日やゲリラ豪雨が夏の新しい季語のようになってしまった。実家の周辺でも一昨日は激しい雷雨にみまわれ、その夜も屋根を打ちつける雨音に目を覚ました。耳の遠くなってしまった母は、わたしのそばで平然と眠っていた。わたしの夏はといえば、あいかわらず介護に明け暮れている。バカンスは横目で見るだけで、ロマンスなどわが身をかすりもしない。
  さて、日本が史上最多のメダルを獲得したロンドンオリンピックも閉幕し、少し平静な日々が戻ってきた感じがする。気がつけば今日はもうお盆である。それにしても、オリンピックの期間中はテレビをつけるとあっちもこっちもオリンピック関連の番組ばかりで、いつもながらのメディアの習性とはいえ閉口してしまう。とはいえ、日本人選手がメダルを取ったと聞くと、こころがほんの少し華やぐから不思議なものだ。
  4年前の8月には北京でオリンピックが開催されていた。そのころは何をしていたのだろうと思いmixiの日記を読み返してみた。オリンピックには一言もふれていなかった。オリンピックにかぎらずスポーツにはほとんど興味がないから、当然といえば当然だろう。
  前月の7月から介護保険を使いはじめ、ヘルパーさんが初めて実家へ来たと書いている。当時は遠距離介護に夜行の「急行能登」を多用していて、その写真を何枚も載せている。その「能登」も一昨年春に臨時列車化され、今年の春からは運行を休止した。
  当時、父は入退院を繰り返しながらも、まだまだかくしゃくとしていたが、その後4ヶ月ほどのほぼ寝たきりの生活を経て、一昨年の暮れも押し迫ったころに亡くなった。在宅での介護は身を削る日々で、自分にかぎらず兄夫婦も限界に達していた。最後の5日間は、元の主治医のはからいで入院し、そこで亡くなった。父は最後まで自宅にいたかったにちがいないが、当時の状況ではやむを得なかったと思う。それでも、あと5日間の命とわかっていれば、何とか頑張れたかもしれないと思い、悔いる気持ちはいまも拭いきれずにいる。
  この遠距離介護は、もとはといえば母の介護からはじまった。ここ数年間、母の症状にあまり大きな変化はなく、ほぼ順調にきていた。ところが、父が亡くなってから徐々に衰えが目立ちはじめ、とくに今年の春以降、体力も気力も相当落ちてきたように見える。認知症的な症状も見え隠れしはじめている。とくに足腰の衰弱が激しく、寝たきりの生活へと移行していくのではないかと気が気でない。
  母が寝たきりとなれば、在宅介護は再びきびしい状況に陥ることになるだろう。父は命にかかわる病をいくつもかかえていたので、あの歳まで生きながらえたのが不思議に思わないでもない。一方で母にはいまのところ命を奪うような病はなく、もちろん突発的なことが起きる可能性は否定できないが、まだまだ歳を重ねていくように思える。
  できれば母には長く生きてもらいたい。それが正直な気持ちである。あえていうが、もし母が亡くなれば、“マザコン”のわたしはこころに大きなダメージを受けるにちがいない。しかし、寝たきりの介護が長く続くことになれば、わたしはもちろんのこと兄夫婦たちも、心身の負担が再び極限へと近づいていくことになりかねない。健やかには長く生きてもらいたいが、先の見えないきびしい介護生活はけっして喜ばしいことではない。ここに大きな葛藤が生じてしまう。
  このように書くと、たいていの人は施設介護を提案するにちがいない。しかし、母自身が施設入所はおろか、デイサービスやショートステイでさえ頑強に拒否しているため、やむを得ない状況にでもならないかぎり施設介護へ移行することはできない。また、兄夫婦はともかく、わたしも施設介護の利点は否定しないものの、母の性格を考えると「デイ」や「ショート」を含めた施設介護によって認知症的な症状が進むように思われてならない。実際、そのような話もよく耳にするので、いっそう不安になってしまう。
  いま母の生活は、父の遺族年金でほぼ成り立っている。たぶん遺族年金の額は少なくないほうだろうと思う。ところが、遠距離介護の交通費はその遺族年金から出してもらわなければならない状況にある。恥ずかしながら、わたしはこの歳になっても母に寄生しているのである。ちなみに、さまざまな事情から、兄夫婦に頼ることも不可能な状況だ。結局、わたしの寄生によって遺族年金は大幅に減額してしまい、その結果として経済的にも施設介護へ移行するのをむずかしくしている。施設介護どころか、母が使う紙オムツや尿取りパッドの枚数さえ気がかりな日常は、実にせつなくやるせない。本当はわたしに嘆く資格などなく、母こそが嘆きたくなるはずだ。精神的にも経済的にも自立できないでいるわたしの存在が、問題の核心のように思える。
  もちろん、少しでも稼ぎを増やそうと、仕事と介護の合間にできることはしてきたつもりだ。アカデミズムに固執しているつもりもない。しかし、収入は増えないどころか、先細る一方だ。立ちはだかる壁はより高く、より厚いと感じざるを得ない。けっして若くはない、というよりはほとんど初老の域に達している年齢は、いうまでもなく年齢格差を生む。先天性の障害は、若いころから格差を生む元凶だった。
  いわば「白秋」の志(「青雲の志」ではなく)から学問の道へと進んだことに悔いはないが、中途半端な高学歴が、いまとなってはわが身に災いを及ぼしているように思える。博士課程まで終えていながら博士号が取れていないことは(アカデミズムを念頭におくかぎりにおいて)アカデミズムへの道をかぎりなく狭めている。理系の学部を出ていながらも大学院が思想系であることは、学際系などともてはやされることもあるが、現実には中途半端な学歴を強調しているにすぎない。
  遠距離介護の生活が長く続き、いままた母の介護が徐々にきびしさを増すにつれて、わたしはイライラを募らせている。しばしば軽いウツ状態に陥るし、自分の気持ちが抑えきれず母や兄に対して暴発することもある。いつか母を身体的・暴力的に虐待するのではないか、眠っている母の首に両手をかけるのではないか。そのスイッチがいつか入ってしまうのではないかと、自分で自分のことが不安でならない。自分に恐怖感を持つことさえある。
  若い友人や大学院時代の同僚が(少なくともいまのわたしから見れば)順調に人生の階段を上っていくのを、指をくわえて見ているのは相当つらいものだ。彼や彼女、そしてあなたが新たなポストに就いたり、研究成果を発表したり、何であれ活躍しているのを聞くと、わたしのこころはいらだち波風が高まってしまう。恥も外聞もなく、あなたに対して羨望や嫉妬の感情を口にしたことがあるかもしれない。もちろん、彼や彼女、そしてあなたに罪はない。理性ではわかっていても、その現実を受け入れるつらさを前にして、わたしのこころは疲弊してしまう。
  だからといって、わたしが完全に耳をふさぎあなた方を拒否するのも、あなた方がわたしの前からいなくなる孤独も受け入れがたい。きっと孤独は早晩わたしを押しつぶすだろう。アンビバレントな感情にわたしは常に引き裂かれる。それでも、わたしの感情はわたし自身が引き受けるしかない。「勝ち組」・「負け組」の二分法はともかくとしても、運の良し悪しは厳としてある。どんなに努力をしても報われない不運はあるのである。それでも、不運な人間が幸運な人間を恨んでよいことにはならない。問題は現実を受け入れることができるかどうかにかかっているように思う。
  たまたま「目の前の汚れた皿」のたとえ話を知った。「やるべきことがわからない」現代人を戒めているとも受け取れる話である。いまわたしにできるのは「目の前の汚れた皿」を洗うことだ。いまわたしがしなければならないことも「目の前の汚れた皿」を洗うことだ。先を見たくとも先を進みたくとも、「目の前の汚れた皿」を洗わずに、先を見て先を進むことはできない。皿を洗わずして、わたしは何をつかめるというのか。いま皿を洗うことしかできないならば、皿を洗うことに専念してみようではないか。渡辺和子さんの「置かれた場所で咲きなさい」にもあい通じるものを感じる。
  人格(「神格」というべきか)を持った神の存在を、わたしは信じることができない。遠藤周作さんだったか、神は存在を問うものではなく「はたらき」であると書いていたように思う。もし神が「はたらき」であるならば、わたしを生かしている宇宙の“意思”がわたしに「はたらき」、わたしに「目の前の汚れた皿」を洗うようにいっているのかもしれない。そう思うと、『死にゆく者の礼儀』でもふれた、『赤毛のアン』で引用されている「神は天に在り、この世はすべてよし」の言葉も実感をともなって少しはわかったように思えてくる。この考えは、わたしのこころの波風をおさめ、ゆっくりとではあってもわたしを穏やかな岸辺へと運んでくれるような気がする。
  わたしが宇宙の“意思”で生かされているのならば、あなたもまた宇宙の“意思”で生かされているはずだ。そうであるならば、あなたはわたしにとって宇宙の“意思”の一部であるにちがいない。あなたはわたしにとって「神」でもあるのだ。わたしはあなたにこころを乱され、しかし結果的に「目の前の汚れた皿」を洗うことを知った。そして、あなたはそんなわたしの一部始終を知っているはずだ。
  わたしはあなたに、これからもこころを乱されるかもしれないし、以前にも増してきわどい感情に翻弄されることがあるかもしれない。それでも、「はたらき」としての神を思い出し、わたしの一部始終を知っているあなたという「神」を思い出すことができれば、どんな危機もきっと乗り越えられるはずだ。わたしはあなたを信じる。もしもわたしに何かあったとしても、わたしはあなたを信じていたことを、あなたは信じてほしい。あなたへのお願いである。
  この世は、あるいは宇宙は、無慈悲だという。宇宙は一滴の水で人間を殺すことができる。宇宙はそのことを知らないが、人間はそのことを知っている。そういったのはパスカルだっただろうか。しかし、この考えは人間をより傲慢にするのではないか。人間は宇宙とはくらべものにならないくらい無力な存在である。そのことはいい。しかし、そのことを容易に方便へとすりかえて、自己保身の論理へと転換することはないだろうか。「わたしは無力であることを知っているのだから、わたしの過ちは無力によるものであって責められるべきものではない」などと。
  母の寝顔を見ていると、まだまだわたしにできることがあるのではないか、まだまだすべきことがあるのではないかと思えてくる。一人暮らしとはいえないものの、日中2,3回ヘルパーさんが訪ねてくる以外、ほとんどだれも顔を見せない(仕事が忙しくなければ、兄もごく短時間顔を出してくれているようだが)母の寂しさは痛いほどわかる。それでもあと1週間もすれば、わたしは再び埼玉へと戻らなくてはならない。わたしのいない間に、母の身の上に思いもよらないことがおきるかもしれない。そのとき、わたしは自らの無力さに慟哭することになるだろう。
  わたしは、わたしの無力さを自らに納得させようとして、それこそ方便を探しているのかもしれない。わたしこそ自己保身をしようとしているのではないかと指摘されれば、返す言葉もない。何にしろ、介護の打ち明け話や安っぽい宗教談義をしようと思っているのではない。願わくは、悩みの尽きない愚かなわたしをあなたに知ってほしくて、拙い文章を綴ってきたのだ。どうかそのことを、あなたにはわかってほしい。

  

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