「白秋」に想ふ―辞世へ向けて

人生の第三ステージ「白秋」のなかで、最終ステージ「玄冬」へ向けての想いを、本やメディアに託して綴る。人生、これ逍遥なり。

「引き算」のすすめ―『堕ちられない「私」』

2015年01月08日 | Life
☆『堕ちられない「私」』(香山リカ・著、文春新書)☆

  子どものころ、発明発見物語を読んでワクワクしたり、自然の不思議さに魅せられて胸が高鳴り、科学・技術の世界へ進んだ人は少なくないだろう。しかし、いざ大学などで研究生活に入ってみると、成果を挙げることに汲々とした毎日を送ることになる。企業に入れば、利益に結びつく研究が至上命題となる。そして、子どものころのワクワク感やドキドキ感は、いつかどこかに忘れ去られてしまう。もう少しアカデミズムの世界の話を続ければ、進歩や成長に意義を唱え、人間疎外を問題視していたはずなのに、指導教員に論文投稿や学会発表の発破をかけられ、いつのまにか自分自身がモノ化・アトム化してしまう。少しばかり自分の知っている世界のことを書いたが、どの分野であっても同じようなことが起きているように思う。これってどこかおかしくないだろうか。
  この本は「堕ちること」のすすめである。もちろん、ドラッグなどで身を滅ぼすような堕落ではなく、いまや社会全体を覆っているある種の価値観から「堕ちること」のすすめである。ある種の価値観とはなにか?―目次を見ながらざっと挙げてみると、健全さ、自己啓発、成果主義、ポジティブシンキング、計画的な人生設計、明るさ、自己実現、理想の〇〇、アンチエイジング、世間の枠、などなど…。総じてプラス志向の価値観といえそうだ。プラスは、マイナスがあってこそのプラスのはずだが、いまの世の中はマイナスの存在が忘れ去られ、プラスだけのいびつな状態になっている。プラスオンリーのいびつな社会から、「引き算の行為」を取り戻そうとする試みともいえそうだ。
  そうはいっても、「堕ちること」や「引き算の行為」はそう簡単ではない。プラス志向の価値観にがんじがらめになっている自分自身に気づくことが第一歩だが、他人事のようにいうのではなく、自分自身の実感をともなって気づくのはなかなか大変である。気づいたとしても、「引き算の行為」へ進むこともまた大変だと思う。そこで重要になるのは、たぶん「何もしない」ことだろう。プラスの「がんばる」に対して、「がんばらない」がマイナスならば、それ以上「がんばる」ことを止めてしまうというイメージだろうか。そうすれば、そのうちに「がんばらない」こともできるようになるかもしれない。
  道端で見つけた花がきれいだと思った。それでデジカメで写真を撮り、たとえばフェイスブックに載せたとする。そこまではいい。しかし、「いいね!」が付くことを気にするのはよくない。ましてや「いいね!」の数に一喜一憂するのは。きれいな花だったので写真を撮り、日記代わりのフェイスブックに載せてみただけのことだ。それ以上を望むのは自己肯定感に酔いたいだけであり、その裏には不安が隠されている(著者の香山さんも本書でふれている)。もし一つでも「いいね!」が付けば、それはそれで嬉しく思えばよいし、付かなかったとしても、きれいな花を見ただけで満足すればいいことだ。花はきれいなだけでいい。
  研究だって、きっとそうだろうと思う。ときには成果を挙げる必要もあるだろうし、論文投稿や学会発表もすべて否定すればいいというものではない。ただ、プラス志向の一本道に血道を上げるのではなく、たまには堕ちてみて、花の美しさを愛でてみようということなのだ。

  

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