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エスペラントな日々

エスペラントを学び始めて28年目である。この言葉をめぐる日常些事、学習や読書、海外旅行や国際交流等々について記す。

再建された景福宮

2005-10-19 | 韓国旅行
 ホテルで小休止して、H.Hと3人でソウルの街へ。3分も歩くと世宗路の大通りに出る。道路を渡るには地下通路を通らねばならない。車椅子の人など、どうするのだろう?
 まずアジア大会会場「世宗文化会館」ヘ行って、明日の遠足集合場所を確認。このあたりはアメリカや日本の大使館があって、武装した警官か兵士が多い。
 世宗路の北端に景福宮の入り口、光化門がある。ところが横断歩道がない。東か西へかなり歩かないと渡れないのだ。歩行者にずいぶん不親切な街だ。
 国立中央博物館は月曜日で休館。景福宮に入る。ここは李氏王朝を興した太祖が1394年に建設し、1592年の秀吉の侵略で焼失した。その後1865年に再建されたが、日本の植民地統治の間に多くの建物が壊され、さらに正殿を覆い隠すように巨大な総督府が建設された。この建物は、1995年に取り壊され、景福宮全体が復元された。
 この旅行では、日本の植民地支配の傷跡を見ることになるだろうと思っていたのだが、それよりも秀吉の侵略のあとを各地で見ることになった。
 広い景福宮内を歩き、少々疲れた所で国立民族博物館へ。ここの定休日は火曜日なので入場できた。かなり広くて内容豊富で、韓国の歴史、手工業と衣食住、教育・習慣・伝統などの3つの展示館がある。半日くらいかけてゆっくり見るといいと思ったが、歴史の展示館だけを少しゆっくり見て、あとは駆け足になってしまった。
 ホテルに帰る途中で大きなお寺があった。曹渓寺らしい。お堂の中ではたくさんの人が読経をしていた。
 コンビニを見つけて、朝食用にパンと飲み物、さらに果物屋を見つけてリンゴやネクタリンを買ってホテルへ。ぬるま湯しか出ないお風呂に浸かって、お休みなさい。

   写真はかつて宴会が行われた建物(慶会楼)、柱は花崗岩
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韓国・ソウルへ

2005-10-18 | 韓国旅行
 今日から新しいカテゴリー、韓国旅行です。
 2002年8月、韓国のソウルで第3回アジアエスペラント大会が行われた。なんとかギリギリに間に合った自費出版の「ベトナムからの報告」(日本語版は「生き抜いた人々」)を数十冊持って、私はソウルに飛んだ。
 大会は23~26日だったが、大会前遠足に参加するために19日に出発した。同行は妻とH.H、名古屋空港でY.T・Y.S夫妻と一緒になった。Y.Tが名古屋空港で円をウォンに両替、私はインチョン(仁川)空港で両替したが、インチョン空港の銀行の方がかなりレートが良かった。
 インチョン空港には韓国のエスペランティストが何人か迎えにきていた。そのうちの一人の案内でソウルへ、そしてホテルへ。韓国には「韓式旅館」というのがあって、ベッドでなくて床に布団を敷いて寝る。料金も安い。
 現地の大会実行委員会の世話で韓式旅館に泊まるはずだったが、勝手に「少し上等の」ホテルに変えられて、料金も高くなってしまった。我々はベッドが好きでないからわざわざ韓式旅館にしたのだが、ベッドの部屋だった。現地の世話人が、外国人はベッドに寝るものだと勝手に思い込んだのかもしれない。
 こういう「親切」は余計なお世話であり、約束違反だと怒る人もいる。抗議することで逆にお互いの気持ちのズレがわかるわけで、今後のためにも怒った方がいいのかもしれない。
 Y夫妻はもっと高級なホテルへ。我々夫婦とH.Hの3人が同じホテルに泊まった。外国、特にアジアでは「シングル」の部屋をほとんど見たことがない。H.Hは一人なので、料金が倍になる。エスペラントの大会では、こういう場合見知らぬ人と相部屋になることもあって、それがまた楽しかったりする。

   写真は景福宮の入り口
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