脳出血で無職になった親父のブログ

株式投資に腕時計が好きなオッサンのブログです。年齢を重ねスピリチュアルにも興味を持ったお蔭で人生感も変わりました。

1年前の悲劇

2014年07月11日 10時11分10秒 | 入院日記
今朝のニュースでビリーバンバンの兄が脳出血で倒れたそうです。トイレに入って40分経っても出てこないので94歳の母が救急車を呼び一命をとりとめたとの事・・ビリーバンバンは昭和40年半ばから後半に活躍したアーティストで『さよならをするために』『白いブランコ』等のヒット曲があります。そのニュースを聞き私も平成25年6月16日・・・職場で倒れ救急搬送され昨年の今時分は、やっとベッドから車いすに移る練習が出来て右足で車いす前進させる事が出来るようになり平行棒4mがやっと歩ける状態で大半はベッドの上で寝ているだけ・・妻も毎日のように来てくれリハビリ中にも、付き添ってくれることもありました。倒れる直前の、あの何とも言えない・・頭の中が雲で覆われる感触と『フ~ッ』と体中の空気が抜けていく・・力が入らず・・周囲の人達が、しきりに『大丈夫ですか?』『おい!救急車呼べッ』とか聞こえるのですが喋ろうとする気持ちだけで・・口が動かないのです・・・やっとの思いで『らい・・ようぶです・・』(大丈夫です)と言うのが精いっぱいでした。今、思い出すと、一瞬でしたが『死』を覚悟しましたが一方では生きるんだという気持ちも強くありつつ、何とも言えない心地よさで倒れたのを覚えています。痛さとか苦しさは全くなく、とにかくふわッと・・そしてスーっと体中の力が抜けていく、あの感触は心地よいのです・・しかし・・今でも時々、怒りの感情が高ぶると似たような感覚が頭に来るのですが、その時は恐怖しかありません。心地よさなど全くなく『死』or『再発』の恐怖のみが頭の中をぐるぐる回ります。何度か経験するうち『怒り』やイライラ・・はしないよう気持ちや考え方を変えるように心がけています。ある本を読んだのですが『怒り』の多くは些細な事が原因で自分の思い通りにならないことや自分の価値観や行動パターンを狂わされたときのようです。ようするに頑固さや自己中心、他人を受け入れる器の大小で怒りの分岐点に違いがあると書いていました。本当に怒らなければならない時・・それは、そう多くないようです。何度か再発の恐怖を味わいながら『己』の小ささに思い知らされ1年が経過し・・やっと少し感情の高ぶりは出ないようになってきました。夫婦喧嘩は犬も食わないと申しますが私は夫婦に限らず『喧嘩そのものは犬も食わない』と思います。頭に血が上り理性を失い怒鳴ったり、がなったり・・時には暴力や殺傷事件になる・・双方、後味も悪く意外に気まずくなったり・・周囲の人達にも嫌な思いをさせる・・失うものは決して少なくないのに・・私が倒れたのも電話中に感情的になった時でした。あれから1年、多くのことを学び『感謝』『反省』『謝罪』の大切さを知り、病気になる前は『傲慢』『見栄』『自画自賛』『自己中心』等・・振り返れば顔から火が出る思いを経験し、その度、胸の奥が『キュン』と痛みました。もっと人を大切に相手の気持ちになって考え、欲しいと思う倍以上、与える気持ちにを持って接することができたら・・・謙虚で人の話に、もっと耳を傾けていたら、幸せな人生であったのではないかと1年前の悲劇は、今の私にとって、お金では買えない人生の教訓を神様が与えて下さったのだと、しみじみと思えるのです。不幸な出来事であるのは確かです。でも不幸を経験しないと幸せも掴むことはできない・・不幸から這い上がり努力すれば幸せは必ずあると。今は信じることができます。幸せは人の『愛』を感じたときではないでしょうか?お金や役職・・贅沢も幸せかもしれません。でも妻と知り合えた時、娘が生まれた時、苦楽を共にした友人・・この人達さえ居れば、それだけで十分に幸せを感じた、あの時、あの瞬間を・・時が過ぎると出世やお金・・贅沢する事が幸せと・・そこに愛が、どれほどあったのでしょう・・サラリーマンの平均年収を大きく上回りそこそこ出世し多くの部下を持つと知らず知らずに傲慢になり王様きどり・・気が付いたら『リストラ』され転職,転職先では前職の自慢ばかり・・謙虚さもなく自分の経験を周囲に押し付ける。
人にやさしくする心・反省する心・感謝する心・ごめんなさいを言えない自分が、そこに居ました。上から目線・・そんな私に1年前、神様は、やむなく・・お灸をすえたのかもしれません。死んだ方が楽かも・・でも、あえて生かされたのは、それなりに理由がある。半年の入院中・・最初は『なんで俺が?』病気を恨んだのも事実です。でも入院中に人の優しさに触れ、人は決して一人では生きていけないことを思い知らされました。病気を発症したのは悲劇かもしれません。しかし病気になって理解できたことは、お金では買えない多くの大切なことを学び心に刻むことが出来ました。もし1年前に病気になって、そのまま死んでしまったら、私は、あの世へ持っていかなければならない大切な心を持たずに逝ってしまっていたかと思うと、今、こうして生きて、ありがとう・・ごめんなさい・・が素直に言えることは幸せに思います。1年前の悲劇は決して悲劇ではない。そう本当に思えるには1年かかりました。今では労災休業補償と妻のパート収入で何とか食べておりますが、もう出世とか全く望まず、高級ブランドとか良い衣服・物は全く欲しくありません。お金は生活に足りる丁度よい金額があればいい・・そう思っています。労災で裁判をすれば多額な、お金が入るかもしれません。この、お金は、これまで尽くしてくれた妻と大切な娘達に残せたらと思っているだけです。私個人は、とにかく穏やかに暮らし妻と一緒にいられれば、それだけで十分。病気の、おかげで妻とも話す機会も増え・・『お父さん、9月に・・これ・・この日帰り旅行行かない?』チラシを指さし私に話しかけてきた旅行は岡山への日帰り旅行 1人8980円。『これさ、おみやげも沢山あるし・・バス旅行やから・・観光で歩くことも少ないみたい。ね♪行こ♪』妻の笑顔を見てると久しぶりにいいかも?値段もリーズナブル♪『ええなぁ。行こうか?』1年前の悲劇・・私は今では悲劇とは思わずとても感謝しています。

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