脳出血で無職になった親父のブログ

株式投資に腕時計が好きなオッサンのブログです。年齢を重ねスピリチュアルにも興味を持ったお蔭で人生感も変わりました。

栄転(^。^)しかし、逃げた私。その1

2017年12月24日 10時55分41秒 | わが半生
人生を振り返ると恥ずかしくなることが多いです
また、辛く苦しいときもあり、ワガママも言って大いに反省も(〃ω〃)
それは私が消費者金融会社に在籍していた平成16年から18年の頃でした。
山高ければ谷深し。株の格言ですが人生にも当てはまってしまいました。

平成16年当時、私はエリアマネージャーとして北陸、京都、兵庫、大阪の一部を統括していて業績も全エリアトップクラスの成果を得ることが出来ました。これは支店長、社員、派遣社員のお陰で達成した成果なのに。

私の心の何処かで『俺のマネジメントの結果や!』という思い上がりMAXでした。(ー ー;)

支店長や社員、派遣社員のお陰で達成した成果。
お陰で私は昇進し東京本社へ栄転したのです。
ホントは『させて頂いた。』のに。
ディレクターというポジション。部長クラスです。ここが山の頂きでした。

大きなプロジェクトを任されることになりましたが。結果は自然消滅。私の不徳の結果でした。

本社のオフィスでいても仕事らしい仕事がありません。萎んでしまったプロジェクトの小さなミーティングに参加する程度。
現場の店舗も担当でした。その店舗は消費者金融店舗ではなく住宅ローンを主に取り扱いするので店舗マネジメントは出来る!と思っていても上司がそれを許してくれず店舗マネジメントも出来ません。八方塞がりな精神状態となり鬱病発生寸前まで。
心療内科へ行き会社を2週間休暇を。
休暇の後は帰るところがなく、私は本社オフィスから不動産担保の審査部門での雑用をすることになりました。
ここが谷底かぁ。と思った私はワガママを会社に言って関西に戻して欲しいと。今、思えば。
人事も、さぞやお困りだったと思います。
人事の担当から。『ディレクターという高いポジションの方の異動は、そう簡単な事ではありません。どうしても希望を?』私は『ハイ。もう今の職場は梁の上のムシロですから。』
周りから冷たい視線。
飲みの誘いもされず。
ただ朝8時には出社し21時ごろ退社する。
いたたまれない気持ち。
あー現場が良かった。エリアマネージャーの方が良かった。後悔ひとしお。
その後悔とは。
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