私は親孝行らしい親孝行をしなかった事が自分の反省です。
そして親が他界してから
やっとこ、親の有り難みを知り両親に感謝の心が芽生えました。
遅すぎる気づき。
恩返しをしたくても両親は天国。
そんな時、妻のお母さんが認知症になりました。
私は心に決めたのでした。
『お義母さんのために。』そう心に誓って身体障害者になっても出来る事は精一杯にしよう。
だって大切な妻を産んでくれたお義母さんなのですから。認知症と診断されてから約2年間。妻の兄は全く放置状態。実の母親の現状すら知ろうともしなかった義兄に当初は憤りばかり。
そして挙句には現在では義兄夫婦と係争関係となっています。今日、何気なく私は自分の両親への親不孝を反省していると、義兄が、そんな人だったからこそ私は義母への親孝行を妻と共にできているんだ(^-^)もし?義兄が孝行息子だったら私なんか出る幕もないじゃないか?
そして義兄夫婦が義母の預貯金や不動産を狙っているからこそ。わたしも知恵とカンで義母の資産を守ろうする行動をさせてもらっているじゃないか?と(^-^)ふと思ったのです。
無償の愛情を妻の母へ注ぐ事が出来ているのです。そんな中で、おそらく義兄夫婦は義母に私の悪口を言っているのが感じるのです。
義母の私への言葉や眼が時々、そう感じさせられるのです。それが、何とも言えない寂しさも。
それも私が実の両親への親不孝の報いなのかなぁと。真摯に受け止めて反省すると?
あれだけ義兄夫婦に対する良くない感情がスーーッと消えていくのです。(^-^)
そして義理の母親とは言え親孝行をさせてもらえたのは義兄夫婦の存在であること。
そう思うと義兄夫婦に感謝しないといけない。
それとは別の問題は問題としてあるのですが、義兄が親を放置していたから私が義母に関わる事が出来たのは確かです。
そんな『気づき』が、ふと心の中で湧き上がるのを覚えました。反省と感謝を繰り返すと少しづつ、何かに気づける物なのだなぁ。
そして怒りは何のプラスにもならないこと。
いや、むしろマイナスになる感情であるのかなぁとも。怒りばかりを心にためると『自分への気づき』は決して起こらないんだと心で分かった今日この頃です。
そして親が他界してから
やっとこ、親の有り難みを知り両親に感謝の心が芽生えました。
遅すぎる気づき。
恩返しをしたくても両親は天国。
そんな時、妻のお母さんが認知症になりました。
私は心に決めたのでした。
『お義母さんのために。』そう心に誓って身体障害者になっても出来る事は精一杯にしよう。
だって大切な妻を産んでくれたお義母さんなのですから。認知症と診断されてから約2年間。妻の兄は全く放置状態。実の母親の現状すら知ろうともしなかった義兄に当初は憤りばかり。
そして挙句には現在では義兄夫婦と係争関係となっています。今日、何気なく私は自分の両親への親不孝を反省していると、義兄が、そんな人だったからこそ私は義母への親孝行を妻と共にできているんだ(^-^)もし?義兄が孝行息子だったら私なんか出る幕もないじゃないか?
そして義兄夫婦が義母の預貯金や不動産を狙っているからこそ。わたしも知恵とカンで義母の資産を守ろうする行動をさせてもらっているじゃないか?と(^-^)ふと思ったのです。
無償の愛情を妻の母へ注ぐ事が出来ているのです。そんな中で、おそらく義兄夫婦は義母に私の悪口を言っているのが感じるのです。
義母の私への言葉や眼が時々、そう感じさせられるのです。それが、何とも言えない寂しさも。
それも私が実の両親への親不孝の報いなのかなぁと。真摯に受け止めて反省すると?
あれだけ義兄夫婦に対する良くない感情がスーーッと消えていくのです。(^-^)
そして義理の母親とは言え親孝行をさせてもらえたのは義兄夫婦の存在であること。
そう思うと義兄夫婦に感謝しないといけない。
それとは別の問題は問題としてあるのですが、義兄が親を放置していたから私が義母に関わる事が出来たのは確かです。
そんな『気づき』が、ふと心の中で湧き上がるのを覚えました。反省と感謝を繰り返すと少しづつ、何かに気づける物なのだなぁ。
そして怒りは何のプラスにもならないこと。
いや、むしろマイナスになる感情であるのかなぁとも。怒りばかりを心にためると『自分への気づき』は決して起こらないんだと心で分かった今日この頃です。