ぴよ姉の気晴らし日記

ぴよ姉の気晴らしの日々(Since* 2006.4.17)

昭和の風景

2009-11-25 21:56:41 | Others
 私がよく思い出す風景が有る。

どれだけそのときが幸せだったのかと思わされる。
少しだけ遠くまで遊びに行っていた。

だんだんと、日が沈んで暮れていき、辺りは夕焼けで真っ赤に染まっている。
家屋の軒先や木の塀の横を歩きながら、舗装されていない道端の石を転がしながら帰る。
自転車で売りに来る豆腐屋さんの鳴らす音が響いている。
アルミのボウルを持って出てくる前掛け姿のお母さん達。
どこからか炊いているおかずのにおい、お腹がグ~って鳴ってしまう。
引き戸を思いっきりガラガラ~。
ただいま~!
元気一杯に声を出したら、台所から母の声がした。
おかえり~!
白に黒ブチ模様の猫のタマが走リ寄ってくる。
焼き鳥のタレが仕込んであるところに行って、「舐めてもいい?」 って聞く。
今度はカウンターにあるおでん鍋を覗いてニオイを嗅いだ。

おじいちゃんのうちは川崎にあって、住宅街の中にある居酒屋を経営していた。
母は看板娘で結婚してからも、忙しいときは手伝った。
実際には5歳ぐらいまでしか住んでいなかったので、記憶は週末に遊びに行ったときのことだろう。
洗濯機がガタガタ動いている。お風呂を沸かしている音がする。

誰も構っちゃくれなくって、とても退屈。
2階への階段を上って行く。そこには宝物が眠っていた。
アナログレコードのSP盤、78回転とか。それこそ蓄音機がそこにはあった。
バタバタと駆け上ってくる音、洗濯ものの干し場が2階にもある。
木でできたそれは、ところどころ危なっかしい床で、ミシミシミシミシ。

そこには遊びに来ていた父方のおばあちゃんもいた。
よく働く人だったそうだ。父の父は洋服の仕立て屋さんで腕のいい職人だったそう。
商売していたのもあるだろうけど、いつもニコニコと笑顔を絶やさなくて、子供心に幸せだなと思っていた。

おじいちゃんは昼間にパチンコ屋で仕事をしていたから、膝にのっかって一緒に店番をした。
店の奥の穴倉みたいなところに景品交換するところがあって、そこにいるのが楽しかった。
森永のハイクラウンで数えるところだったね。今のパチンコ屋はどうなっているのか知らない。
元夫と離婚したのは彼の金銭感覚の乱れが原因だったので、ギャンブルはもうイヤだなぁーと思ってしまう。

お店が始まる前のおじいちゃんは座椅子に座っていた。
すぐに膝の上に忍び込む幼い私。膝の上が安心の場所だったんだろうか(笑)
おじいちゃんの腕の痣や傷を見つけると、『どうして怪我しちゃうの?治らないの?』って聞いた。
「年取るとね、なかなか治らなくなるんだよ。」
当時ショートカットで目がクリクリした私はおじいちゃんを質問攻めにした。
「一緒に歌を歌おうか」
いろんな鳥の名前が出てくる変な歌を教えてくれた。今でも歌える(笑)合っているかは不明。
♪ハトにとんびにキジにツバメにカナリヤにうぐいすの鳴き声、聞~けば~トントン ?

今から思えばなるほどなんだけど、おじいちゃんの家(親?)は置屋をやっていたらしい。
芸者さんやらが、お座敷遊びの中で歌う歌だったのかも知れないね。
調べてみたけど、ちょっと歌詞が違うみたい。

川崎の家のモノ達、今はどうなってしまったんだろう。
住んでいた家は区画整理でなくなってしまった。
パチンコ屋も今はない。

思い出の中で生きるものが増えていくんだね。




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