喜屋武岬と具志川城址
今日は糸満市の喜屋武岬と具志川城址のことを書きます。
喜屋武岬と聞けば、沖縄県民なら知っているが本当最南端にある所くらいの認識しかないはずです。それと具志川城址とは初めて
聞く名前ではないでしょうか。喜屋武岬の近くにあるのです。約500年前に作られた小さな城です。
喜屋武岬なら知っているが具志川城址とはびっくりされるでしょう。県民でもあまり知っている人はいないのです。
喜屋武岬、本当最南端の岬で太平洋と東シナ海が交差するところです。波が交差するので年中波が荒く、釣り好きの太公望達の
メッカとなっているが、危険な岩場から波にさらわれて海に転落して二度と上がってこない危険な岬であります。無謀なサー
ファーが波の誘惑に負けて荒い波に乗ろうと行方不明になる海岸でもあります。
喜屋武岬のさらに南に荒崎海岸があります。岩場が突き出たところが本当の最南端のポイントです。荒崎海岸の岩場の先から台風
の突風に吹かれて20トンもの大きな岩がはがれて内陸部150メーターのところに移動しています。巨大な石が風にあおられて岬か
らはがされるとは凄いですね。傘が被っている形に似ているのを、「カサカンジャー」と表現したのです。年代は明治前の出来事
らしいです。自然の起こす偶然には驚きますね。
喜屋武岬は中部、那覇方面から南部へ米軍に追われたきた避難民や喜屋武住民、日本軍、1万余柱の人が戦没しています。ひめゆ
り学徒と引率の教員もこの場所で犠牲になっています。崖から飛び降りて自らの命を絶った人たちもいたそうです。青く美しい海
岸線は戦死者の血で赤く染まっていたそうです。平和の塔が建立されて合祀されています。
近くに具志川城址があります。1500年頃に具志川(久米島)按司が築城したとされます。久美島の真金声按司が伊敷牽按司の
次男、真仁古樽按司に攻められて糸満喜屋武の知に逃げて来て、具志川城址を作ったそうです。国指定の史跡になっています。
東西83メートル、南北33メートルの小さな城です。石を野面積みにした城です。城の真ん中に直径3メートルの穴が垂直に掘ら
れています。下は海面があり、船を浮かべて、敵の襲来があればこの穴から降りて船で沖にこっそり逃げることが出来るように作
られています。当時、外地との交易をして、その荷物を船で穴下まで運んで城の上に揚げていたそうです。とても賢く作られてい
ます。具志川へいずれは攻め入る為の基地としての築城だったように思います。具志川城址は東シナ海に面して海が雄大な光景と
して見ることが出来る観光客や県民が喜ぶ場所です。まだの方はぜひ訪ねて見てください。tiger60はこの具志川城址に行くとな
ぜかは分からないが、心がとても癒されます。なぜかは分からないが、心が開放されるような気分です。古い城には戦いによるい
ろいろな悲劇や怨念などが渦巻いているがこの城だけはそれを感じない、不思議です。おすすめのスポットです。
喜屋武集落は漁業と農業が盛んなところです。旧暦の伝統芸能が残っている若い人たちが多い集落であります。喜屋武のニンジン
は糖度が高く生でジュースでも甘くて美味しい「ちゅらキャラット」が有名です。県内や本土市場に出荷しているブランドです。
tiger60
風光明美な喜屋武岬と具志川城址、時々行きたくなる場所ですね。具志川城址は県内の観光関係者でもあまり分からない、知らな
い人が多いくらいです。他府県からの客を案内すると120%感動します。明るい小さな知恵ある城と明るい海と空が展望出来ると
ころです。お勧めスポット1位の具志川城址の話しでした。