魅惑の島 沖縄を知り楽しむ

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旅人を魅了して止まない沖縄

日本人として生きる

2015-12-13 20:54:39 | 日本人

      

        

                  日本人として生きる 

沖縄県民は日本人である、当然のことであるが敢えて話してみたい。

私達、ウチナーンチュが日本人となったのはいつだっただろうかと考えてみた、面白いことです

ね。日本人として生きているのに日本人となったのはいつだろうと考えるなんて、おかしいとおも

いますよね。明治になる廃藩置県の時が日本人になった時ですね。それまでは琉球王府の人民だっ

たのは歴史が語っている。

明治になり、国作りと県の始まりで混沌とした時代もあったようだが、太平洋戦争の敗北まで日本

人であったが、日本の敗戦と共に米国政府の管理下、米軍政府の施政権下に置かれたのが1950年頃

から、1972年の祖国復帰まででした。その米軍政府下の間は琉球住民として、国際的に訳の分から

ぬ不安定な国籍のような身分でした。当時、沖縄から漁船が南洋まで漁の為出かけて海上で操業し

ていると南洋の諸国の政府の警備艇が琉球の旗を認識することが出来ない、国際的に認知度が無い

状態だったので、不審船との判断で機銃掃射を浴びたものでした、漁船が攻撃されて漁船員が負傷

する事態まで起きました。施政管理する米軍政府は琉球の旗と日の丸の旗を掲げることを許可した

ので、日本の船籍との認識の下、不審船扱いが無くなり安全操業が出来たそうです。

沖縄県民は復帰前は、東京や大阪の他府県に行く場合は、パスポートを持ち出国手続きをして、大

阪、東京の港でパスポートを提示して入管手続きをしたものです。使用する通貨は米国ドルでした

。沖縄は外国扱いだったので本土への行き来する際は、外国ウィスキーをカバンの底に隠して東京

などで高い値段で買い取ってもらったものです。当時の日本は、外国のウィスキーに人気があり引

く手あまたで取り引きされていました。沖縄では米軍の布令により、米軍人、軍属の権利が琉球住

民より優先権があり、事件、交通事故、争いなどすべてにおいて米軍最優先の時代でした。その時

日本に帰ろう、日本に戻ろうとする運動が起きました。祖国復帰運動でした。日本人として権利が

ない状態から日本人に戻りたいとの渇望は止めることが出来ないことでした。日本の日の丸の国旗

を家々に立てて祖国への復帰を願望したものです。その悲願が叶った1972年、昭和47年5月15日に

復帰をしました。あのころの県民は復帰の喜びと歓喜と期待や不安が入り混じっていたが、みんな

が同じ方向を見つめて、「さぁ、今からだぞ」との思いを胸に希望を持っていました。

今、どうなんだろう?

昨今の沖縄の状況をみると、日本人に戻り40年余が経ち、落ち着いたのか日本人から別の何かにな

ろう、変われるなら変わろうみたいな心境になっている人達が一部にいることは確かである。明治

政府から120年余、沖縄にもいろいろあった、日本の一県としての歩みもあった、日本の国全体と

同じ思いで共有してきたこともあった。なのになぜ今、日本人の反対の方向に揺れているのだろう

との思いがある。沖縄県民よ、どこに行くと問いたい。そんな人達が幻想を見ているのは中国であ

る、琉球と中国との付き合い、交流で積み上げた文化の影響などがあることが影響しているよう

だ。昔の偉大で寛大で親切な中国人と今の中国人は違うことが見えていないのではと思う。とても

心配しているtiger60です。我々沖縄県民は今さら、中国人にはなれなのだ、今さら独立の道を選ん

でもイバラノの道が待っているだけだ。今沖縄が割れていることは事実であるが、大人の判断をし

てほしいと願うtiger60です。

tiger60

しばらくぶりに沖縄の世論の気になることを書いてみた、あまり政治や世間のことに触れたくない

思いからブログに書くのを控ええていた。しばらくは動静を見守りたい思いである、ブロガーの皆

さんはどうでしょうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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