復帰後の世相
復帰後の世相、単なる気まぐれで復帰前の世相があったなら、復帰後の世相があってもいいのではないかと考えたからブログを書
きます。昭和47年5月15日(1972年)に琉球諸島が本土復帰をして沖縄県となった。感慨深いものがあった。あの時の思い
は沖縄県民みんなが同じだったはず、さぁ、今から未来が始まるそ!とハッラツとした気持だった。
復帰してから早44年が経った。早いものだと思う。瞬間にここまできたような感じしかない。それだけみんなが無我夢中で生き
てきたのかも知れない。沖縄県は本土他府県に遅れているからと焦るような急ぐような思いでやってきた。復帰直後、沖縄県の長
寿率は全国一だったが今は惨憺たるもの、メタボリック県民と呼んだほうがいいくらい不健康な県民が増えた。当時の長寿率一位
は昔、芋裸足で生きてきたお年寄りたちの長寿率である。十分に食べ物もない戦前の社会で体を酷使して働いてきた先人達は今の
時代の添加物だらけの食品を食べていないのが健康の源らしい。余計な物を食べないので病気にならないのだ。粗食に甘んじる貧
しい戦前の生活が良かったとは皮肉ですね。
ある事実がある、米国が太平洋の島々を信託統治(実際は隔離植民地だがうまく装っている)している南洋の島々の住民、人口規
模が小さいのでアメリカ政府が住民全員の生活を無償でみていることがある。島民は働かなくてもアメリカ政府が生活保護費をだ
して暮らしている。スーパーが進出してカロリー過多な米国製のジャンクフードの味をおぼえる、そのまま慣れてしまい働かなく
ても生きていけるから産業や漁業、農業、あるいは生産加工することをしない。島民が食べる野菜類さえも作らないでアメリカか
らの移入に頼る。鮮度を維持するために防腐剤を使った加工野菜などを食するのである。その結果、成人病や肥満で寿命を縮める
ことになる。戦後、沖縄でも米軍政府は全住民に対してこの政策を実施しようとしていたが、人口が多すぎて経費を捻出するのが
困難と判断して計画がとん挫したのだ。今となってはとん挫したのが沖縄にとっては良かったと思う。もし計画が実施されていた
ら今頃は全沖縄県民が琉球列島、琉球人となって完全に骨抜きになっていたはず。自主努力をする環境とはその必要に迫られて懸
命に頭を働かせて知恵を出す。復帰後の本論に話しを戻そう。
駆け足で抜けて来た44年、気がつけば二十代前半の年がシルバー世代となっている。思い起こせばこんな短期間に社会インフラの
整備、日本国として法令、条例発令と実施、ビジネス環境の変化、経済の発展、文化の交流等々沢山のことを体験してきた。
こんな忙しい世替わりを体験したのは沖縄県だけではないか、あるいは外国の国が分裂したとか独立した地域が同じ体験をしてい
るのではにだろうか。
世替わりをするにしても、日本の一県として参加したのが良かった、日本以外の国の枠組みに入ると県民の地位がどうなっていた
か分からない、日本国憲法の下で日本人として生きていることは幸せではないかと思う。欲を言えば限がない、日本の国は世界の
水準からみても悪くない、むしろ優秀である。地味だが真面目に働き頭脳明晰な民族である。沖縄県もその一翼を担うことが出来
るように頑張るしかない。
tiger60
こんな話しをやること事態がおかしいが、沖縄の歩んできた特殊性から言えば、今が平和である。落ち着いて国民としての生活が
出来る。