SSSB 新前橋町壮年ソフトボール

最近は4代目管理人が好き勝手に野球やメジャーのことも書いています。

背番号11といえば

2021年03月01日 | 背番号の話
早いもので気付けば弥生・三月になってしまいました。
田中JAPANの劇的な世界一から、もう一年が過ぎちゃいました。

背番号の話、今回は11です。
ほとんどの場合、「1」から「10」は野手、「11」から投手が並ぶケースが多いので、「11」は投手の筆頭ともいえます。
古くは巨人・別所武彦、毎日の左腕・荒巻淳がその代表でしょうか。
阪急・オリックスで22年着用した佐藤義則は40歳でノーヒットノーランを達成。
広島黄金時代は池谷公二郎、二代目ミスタータイガースの村山実は永久欠番。
阪神・村山は巨人・長嶋との名勝負を演じただけでなく、10年連続での二桁勝利。
1970年には防御率0.98を記録。その後1点未満の投手は誕生していません。
なお、村山がプロの投手として第一球を投じたのは、初代ミスタータイガース藤村の引退試合。
奇しくも藤村の「10」と村山の「11」が並んで永久欠番となっています。
悲壮感漂う渾身の投球フォームはヘルシンキ五輪のマラソン金メダリストから“ザトペック”投法と呼ばれました。

また、ライバルチームである巨人では別所のあと、巨人では渡辺秀武、高橋善正、角三男らを経て
89年に11連続完投勝利のプロ野球新記録を樹立した斎藤雅樹が「41」から「11」を継承。
背番号を継承した年も二年連続の20勝を達成、89年、95年、96年に沢村賞を受賞しています。

パリーグでも西武では森繁和、石井丈裕、岸孝之、今井達也と本格派右腕が継承しています。
90年代は近鉄に野茂英雄が入団し、“トルネード投法”で旋風を巻き起こします。
ドラフト最多の8球団による1位指名を受けて近鉄に入団した野茂は4年連続最多勝、最多奪三振を記録。
95年にはLAドジャースに移籍し、新人王。日本人メジャーリーガーのパイオニアとなりました。

その野茂の「11」を継承したのがクローザーの大塚晶文。
横浜では斎藤隆が先発の一角を担って横浜38年ぶりの日本一になりました。
「20」がエースナンバーの中日でも川上憲伸が着けて新たな印象を築いています。
21世紀に入ると、日本ハムではダルビッシュ有から大谷翔平がリレーしています。
ダルビッシュは2007年から5年連続で防御率1点台を記録し、メジャーへ移籍。
そのダルビッシュの「11」を継承したのが“二刀流”大谷翔平。
2014年には球聖ベーブルース以来となる10勝、10本塁打を達成。
また、2016年には投手と指名打者の二部門でベストナインを獲得しています。

投手番号ではありますが、打者でも大洋のシピンや中日から日本ハムに移った大島康徳が着用してます。

SSSBではスーパーユーティリティのKonさんです。
Konさん、お誕生日おめでとうございます!


参考記事
【背番号物語】
【背番号物語】阪神#11
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1 コメント

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2021-03-03 20:44:35
konさん、おめでとうございます!
シピン、と打ち方と走り方がちょっと似てる?
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