SSSB 新前橋町壮年ソフトボール

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背番号55といえば

2021年04月21日 | 背番号の話
長らく筆を休めてしまい申し訳ありません。
職場の異動があったのですが、ようやく落ち着いてきましたので、復活したいと思います。

今回は背番号55についてです。
王貞治の本塁打記録「55本」を目指すべく、左の長距離砲に与えられる傾向のある番号です。
一番印象強いのは巨人とNYヤンキースで4番を務めた“ゴジラ”松井秀喜でしょうか。
星稜高校時代、甲子園での5打席連続敬遠も話題でしたが、プロ入り後は更に輝かしい球歴です。
掛布雅之に憧れ阪神を希望していたものの長嶋茂雄が引き当て巨人入り。
長嶋の「巨人四番1,000日計画」と王の「55本」を背負い、ON両方のDNAを受け継ぎます。

実は松井の前に左の大砲として「55」を背負った期待の選手が吉村禎章です。
54番の槇原、50番の駒田と共に「50番トリオ」として売り出され、
吉村は7番、駒田は10番、槇原は17番へとそれぞれ背番号を若くしています。

中日では祖国・台湾の英雄である王に憧れた大豊泰昭が背負った番号です。
ひたすら王の背中を追いかけ、一本足打法にも挑み、94年に本塁打王、打点王の打撃二冠。

現在、MLBレイズに所属する筒香嘉智も1年目だけ「55」を背負っています。
広島では“赤ゴジラ”と呼ばれた嶋重宣からエルドレッド、松山竜平へと受け継がれています。
また、オリックスのT-岡田、ヤクルトの若き主砲・村上宗隆が本塁打王に輝いています。

左の大砲が多い中、プロ野球のシーズン安打記録を達成したのが西武・秋山翔吾。
秋山も背番号55を背負い、獅子脅し打線のリードオフマンとして活躍。現在はMLBレッズに所属。

MLBでの「55」はLAドジャースで「ドクター0」と呼ばれたオーレル・ハーシュハイザー投手。
1988年、MLB記録となる59イニング連続無失点を記録し、204勝を挙げた名投手です。
この年は23勝8敗、防御率2.26で最多勝、サイヤング賞を受賞、ワールドシリーズを制し、MVPを受賞。
その秋、日米野球で来日し、日本ハム・田村藤夫捕手にホームランを打たれ、
「連続無失点記録を止めたのは田村(笑)」と話題になってました。

SSSBでは切り込み隊長のじゃんけん王子ことそば平さんです。
本人はゴジラにあやかって「55」を背負っていますが、核弾頭ぶりや俊足を活かした外野守備は秋山翔吾に重なります。



参考記事
【背番号物語】
SPAIA「スポーツ×AI×データ解析でスポーツの観方を変える」


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