SSSB 新前橋町壮年ソフトボール

最近は4代目管理人が好き勝手に野球やメジャーのことも書いています。

背番号22といえば

2021年01月30日 | 背番号の話
背番号の話、第6回目は背番号22です。

まず、阪神-西武で通算474本塁打を放った“ホームラン・アーチスト”田淵幸一。
田淵の存在で「22」=捕手のイメージが強いと思われます。
現役でも巨人・小林誠司、広島・中村奨成、千葉・田村龍弘、北海道・鶴岡慎也と4人が捕手。
西武では田淵以降、和田一浩、中嶋聡が捕手が着用。
また、中日時代の山崎武司も「22」で捕手でプロ入り。

また、田淵入団以前の「22」は田宮謙次郎が着用し、移籍した大毎(現・千葉)でも着用。
阪神では田淵の後、捕手・木戸克彦が継承し日本一を経験。
一方、千葉では捕手・里崎智也が継承し、やはり日本一に輝いています。

しかし、90年代に入ると絶対的クローザーの番号となっていきます。
まず、前述の阪神ではJFKの一角、“火の玉ストレート”藤川球児。
入団当初は「30」、名前「きゅうじ」にあやかり「92」を、2005年から「22」へと変更。
この年、ジェフ・ウィリアムス、久保田智之と鉄壁の救援陣を形成し優勝に貢献。

そして、「22」のクローザーといえば”大魔神”佐々木主浩。
2月22日の2時22分に誕生から、自ら希望し背負った「22」。
95年から4年連続で最優秀救援投手を獲得し、98年の日本一に貢献。
2000年からMLBのシアトル・マリナーズへ移籍、37Sで新人王。
4年間の在籍で129Sをマーク、日米通算で381Sを記録。

「22」のクローザーはもう一人、現ヤクルト監督の高津臣吾。
亜大時代は小池秀郎の控え投手ながらドラフト3位で入団。
92年、日本シリーズで西武に敗れた野村監督から「(相手の潮崎のような)シンカーを覚えろ」と、
結果、55試合に登板し20Sを挙げリーグ連覇、そして日本一に貢献。
なお、この年デビューした松井秀喜が初めてホームランを打ったのは高津から。
2003年までヤクルトの守護神として、4度の最優秀救援投手のタイトルを獲得。
2004年にはMLBシカゴ・ホワイトソックスへ移籍し“Mr.0”の異名の中継ぎとして活躍。
日米通算314Sを記録し、韓国、台湾、独立リーグでもプレー。

西武からMLBへ移籍し、現在は楽天でプレーするサブマリン牧田和久も「22」。
同じくサブマリンでは“最後の30勝投手”南海の皆川睦男。
先発投手では、同じく南海の別所毅彦の若手時代、ヤクルト・安田猛、
近年では広島の高橋建、そして現役では昨シーズン沢村賞の中日・大野雄大。

捕手のイメージ、そして守護神。
SSSBでは捕手を務め、大魔神というか金剛力士像のような守護神、ミーサさんが「22」です。
列挙した選手の中では田淵幸一が一番近いのでしょうか。

参考記事
週刊ベースボール【背番号物語】
【SPAIA】「スポーツ × AI × データ解析でスポーツの観方を変える」
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栄光の背番号3といえば

2021年01月28日 | 背番号の話
背番号の話、第5回目は栄光の背番号3。

背番号3は多くのスタープレーヤーが背負ってきた番号。
その筆頭は永久欠番であるミスター・プロ野球こと長嶋茂雄。
豪快なフルスイング、空振りした際にヘルメットが宙を舞う姿、
ダイナミックなサードの守備、何よりも勝負強い打撃。
王貞治とのON砲が主軸となり、9年連続日本一の金字塔。
大卒での2000本安打と400本塁打の同時達成は史上初、
リーグ最多6回の首位打者、10回の最多安打、本塁打王2回、打点王5回。
リーグMVP5回、日本シリーズMVP4回、新人王、ベストナイン17回、
更に、シーズン、オールスター、日本シリーズのすべてで打率3割越えは唯一。

なお、デビューの年9/19の広島戦で、一塁踏み忘れによるホームラン取消事件があり、
これがなければ新人としても巨人の選手としても唯一のトリプルスリーを達成してたはず(笑)でした。
この年は29本塁打・92打点を記録し、本塁打王と打点王の二冠を獲得、打率は田宮謙次郎に次ぐリーグ2位の.305。
そのうえ最多安打を記録、リーグ2位の37盗塁を記録し、単打(83)、二塁打(34)もリーグ最多でしたが、
三塁打だけが田宮謙次郎に1本及ばず8本に終わり、「単打・二塁打・三塁打・本塁打のすべてでリーグ最多」という大記録は幻に。
(その後も達成者はいません)。

もう一人の永久欠番は、広島の“鉄人” 衣笠祥雄。
山本浩二とともに「赤ヘル軍団」を支え、世界記録となる2215試合連続出場を達成。
2000本安打、歴代7位の通算504本塁打、打点王や盗塁王(⁉)も獲得。

史上初の三冠王・中島治康、“猛牛”千葉茂、“青バット”の大下弘、“安打製造機”榎本喜八、
西武時代の清原和博、平成唯一の三冠王・松中信彦、日本記録の487二塁打の中日・立浪和義、
と各球団の顔とも言える選手が背番号3。

ちなみに、プロ野球史上初のトリプルスリー・岩本義行も背番号3。

西武では清原以降、中島裕之-浅村栄斗-山川穂高と右の強打者が背負う伝統が息づいてます。
阪急でも不動の四番・長池徳二、打ちまくる“肝炎” 石嶺和彦の系譜。
一方で90年代前半は立浪和義、日本ハム・白井一幸、大洋・高木豊、ロッテ・西村徳文とチームリーダーが背番号3。

MLBでは球聖ベーブ・ルースが着用し、NYヤンキースでは永久欠番。
1929年、ヤンキースは観客が遠くからでも選手を判別できるように背番号制を導入。
打順がそのまま背番号として振られ、ベーブ・ルースは3番打者だったので背番号3(笑)。
なお、ヤンキースでは1番から10番まですべてが永久欠番。

日米のスーパースターである長嶋とベーブ・ルースが背負ってきた背番号3、
SSSBでは三塁手であり、背番号3が似合い、ロングホールを3打で決めるイーグル・ヨッチさんです。

参考記事
週刊ベースボール【背番号物語2019】
【SPAIA】「スポーツ × AI × データ解析でスポーツの観方を変える」
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背番号56といえば

2021年01月26日 | 背番号の話
背番号の話、第4回目は「56」についてです。

さすがにこの背番号で名選手を探すのは難しいです。
かなり苦労しました。

21世紀初頭(笑)のパ・リーグを代表する二人の中島遊撃手を紹介。
一人は内野経験ゼロで西武へ入団した中島裕之。高卒で入団して3年間は背番号「56」。
松井稼頭央がメジャー移籍した穴を埋めるべく、背番号3と共にショートのレギュラーに。

もう一人の「56」の中島遊撃手は日本ハムの中島卓也。
入団5年目までは「56」を着用し、内野手の控えだったが、
堅実な遊撃守備と代名詞となった“ファウル打ち”でレギュラーと背番号9を奪取。
その後、盗塁王も獲得した恐怖の九番打者。

遊撃手では西武から南海へ移籍、「56」を着用して台頭した小川史。
パ・リーグへ移籍して成功するケースも投打に散見され、
中日で「56」を着けていた田上秀則は戦力外通告を受けてソフトバンクでブレイク。
古くは大洋で佐々木宏一郎が一年だけ着けて、のちに近鉄で完全試合を達成。

巨人の村田真一が「56」で入団し、正捕手となると背番号9へ。
反対に阪神の御子柴進は引退まで一貫して「56」を着用。
横浜時代「56」で芽の出なかったが海を渡ってのMLB移籍が奏功した異色の右腕が大家友和。

そして漫画・アニメの世界では「MAJOR」の主人公・茂野吾郎が名前にちなんで「56」。

SSSBのゴローさんは、翔さんことyutaさんです。

参考記事
週刊ベースボール【背番号物語】
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背番号39といえば

2021年01月25日 | 背番号の話
背番号の話、第3回目は「39」についてです。

「名捕手」が輩出される番号であり、古くは阪神の山本哲也、
そして大洋・秋山登の相棒・土井淳が2年目から「39」を背負って司令塔に定着。
なお、土井と秋山は岡山東高校、明治大学と一緒にプレーし、入団5年目の球団初優勝に貢献。
その後、横浜では法政での“江川の教育係” 高浦美佐緒や岡本哲司、
“大魔神”佐々木主浩が全幅の信頼を置いた秋元宏作ら個性的な捕手が並び、現在は嶺井博希が着用。

「39」から巣立った名捕手も散見され、阪急の黄金期を支えた岡村浩二と中沢伸二、
“江夏の21球”を受ける広島・水沼四郎もプロ入り5年間は「39」、若菜嘉晴も西鉄、阪神で「39」を背負っている。
中村武志は中日-横浜-楽天で21年間、一貫して「39」。
中日で星野仙一監督に“もっとも殴られた男”だが、その“期待”に応えて二度のリーグ優勝に貢献。
阪神で星野監督の優勝を支えた捕手も「39」の矢野輝弘。
中日で中村から定位置を奪えず、阪神へ移籍し正捕手に。やがて星野監督と“再会”して優勝の美酒を。

80年代から劇的な変化が訪れ、日本ハムでは“サモアの怪人”ソレイタがシーズン二度の4打数連続本塁打で衝撃を。
89年にはデストラーデが西武に加入し、秋山幸二、清原和博と“AKD砲”を形成、
左右両打席から本塁打を量産する五番打者は、西武の黄金期を盤石のものにした。
翌1990年シーズンから三年連続本塁打王を獲得、チームの優勝に大きく貢献。
眼鏡をかけた優しそうな風貌とは裏腹に、破壊力十分の打棒の持ち主で、
スイッチヒッターの本塁打王は日本プロ野球史上初。弓を引くようなガッツポーズが独特だった。

しかし、一方でMLBの大物が「お騒がせ」して帰国しており、
SFジャイアンツで本塁打王、打点王、MVPに輝き、ダイエーに入団したケビン・ミッチェルと、
ボストン・レッドソックスから阪神に入団し「神のお告げ」帰国したマイク・グリーンウェルはともに「39」である。

なお、MLBの「39」はドジャースをWシリーズに5回導き、MVP3度の名捕手、ロイ・キャンパネラが永久欠番であり、
また現役最高中堅手と名高く“ジ・アウトロー”の異名を持つタンパベイ・レイズのケビン・キアマイアー外野手の番号である。

SSSBでは鬼の三塁コーチ“トトロマスター”ことshunさんです。

参考記事
週刊ベースボール【背番号物語2019】
【SPAIA】「スポーツ × AI × データ解析でスポーツの観方を変える」
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背番号16といえば

2021年01月20日 | 背番号の話
背番号の話、第2回目は「16」についてです。

やはり、10番台は投手番号ということで、各球団共にエース級、または中継ぎ、抑えの核となる右投手が着用。
西武は球団創設以来、松沼雅之-潮崎哲也-涌井秀章-石井一久-菊池雄星-松坂大輔の系譜。
特に涌井は「18」を経て、移籍したロッテで「16」に“復帰”、昨年も楽天に移籍し「16」に“再復帰”。
史上初の3球団での最多勝利はすべて背番号「16」。
阪急黄金時代の足立光宏からオリックスのクローザーの平野佳寿が継承し、平野はMLBへ。
また、日本ハム1年目に投手タイトルを総ナメにした木田勇や、2017年最多勝のソフトバンクの東浜巨ら好投手が。

“打撃の神様”川上哲治が永久欠番となっている「16」。
10番台では珍しく好打者も少なくないものの、多数派は投手。
川上も最初は投手で、勝利投手になりながら通算2000安打を達成した初の選手に。

阪神では、長くプロ野球記録だった700試合連続フルイニング出場の三宅秀史。
その三宅にあこがれた岡田彰布がリレー。
大洋で“スーパーカートリオ”の一番打者として活躍した高木豊はプロ1年目と日本ハムでの現役ラストイヤーが「16」。

打者の「16」で強烈なのは近鉄・ブライアント。
88年に来日し、中日の二軍でくすぶっていたところ、デービスの逮捕で緊急移籍、6月下旬から34本塁打。近鉄は伝説の“10.19”へ導かれていく。
雪辱を期した翌89年には終盤のダブルヘッダーで2試合にまたがる4打数連続本塁打を放って優勝を呼び込む。

ちなみに、シーズン最多三振のプロ野球記録は、93年にブライアントが喫した204三振。
規定打席到達者での最少記録は、わずか6三振という川上。「ボールが止まって見えた」と口にした1951年のこと。

1989年ドラフトにて史上最多8球団競合の野茂英雄。
4年連続最多勝を獲得するなど78勝を挙げ、1995年から海を渡ってメジャー挑戦。その背番号が「16」。

なお、「巨人の星」で星飛雄馬が背負ったのも背番号16と投打にスーパースターを輩出しているのが背番号「16」。
SSSBでも自らスーパースターと嘯くtajiさんが背負ってます。
これからも投打に活躍されることを期待しています。

参考記事
週刊ベースボール【背番号物語2019】
【SPAIA】「スポーツ × AI × データ解析でスポーツの観方を変える」

ちなみにスー座長の腰は中学生の時から第五腰椎分離症で、現在は第五腰椎と骨盤の間の椎間板がすり減った状態です。
年齢と共に筋肉が減少し、身体の各所に支障をきたしているようです。
恐らく46歳を迎えた後の試合で背中を肉離れしたのも、腰が原因と思われます。
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背番号12といえば

2021年01月16日 | 背番号の話
新型コロナウイルスが猛威を振るい、2021年のシーズン開催も見通しが立たない中、
春に向けて何とかブログのネタを絞り出さないといけません。

個人的にも年末に祖母が亡くなったり、年始から腰の状態が悪く仕事も休み休みで、
それにつられてブログの筆も止まっておりました。
ようやく担当医から「順調に回復してきている」と良い診断の声が。
なので、ようやくバットを握って振り初め。左で7回、右で7回、もう一度左で7回。
2021年にちなんで、21回の振り初めです。シーズン開幕しますように。

ネタもないので、背番号の話とかどうでしょうか?

第1回は背番号「12」です。

投手、捕手、野手のイメージが一定しない番号で「異質な存在」とも言われています。
往年の名選手でいうと、V9の切り込み隊長・柴田勲でしょうか。
“赤い手袋”で塁間を駆け回った柴田は甲子園夏春連覇を達成した投手としてプロ入り。
背番号も投手ナンバーの印象が強い「12」に。しかし、1年目の秋に野手転向。
プロ野球初のスイッチヒッターとなった柴田は通算6度の盗塁王と2000本安打を達成。

柴田は「12」としては盗塁王3度に対して、南海・広瀬叔功は5度の盗塁王に輝く。
通算盗塁では596盗塁の広瀬が2位、579盗塁の柴田は3位。
広瀬の盗塁成功率.829は通算300盗塁以上の選手ではトップ。

58年から2年連続で盗塁王になった中日の岡嶋博治も「12」。
岡嶋との“盗塁王トレード”で中日へ加入した河野旭輝が「12」を継承、
62年に自身5年ぶり、プロ野球で唯一の両リーグ盗塁王。
なお、パ・リーグ盗塁王は広瀬で、両リーグとも盗塁王が「12」というシーズン。

近年では背番号「12」を2007年から背負ったのが鈴木尚広。
主に代走として起用され、終盤の勝負所で盗塁を決める姿が印象的な選手であり、
盗塁成功率は驚異の82.9%(228盗塁47盗塁刺)を誇っている。

また、捕手のイメージも強く、創設期の阪神を支えた“カイザー”田中義雄。
“ささやき戦術”の元祖で、阪急や西鉄で「12」を着けた日比野武、
西鉄で日比野の「12」を継承し稲尾和久とバッテリーを組んだ和田博実、
ロッテで村田兆治の“愛妻”として活躍し、ともに引退した袴田英利。
現役ではソフトバンクの髙谷裕亮と阪神の坂本誠志郎の2名が背負う。

そして、10番台は投手のイメージどおり、現役でも8名が投手で多数派。
ロッテ-大洋で17年間「12」を着け166勝を残したサブマリン・坂井勝二は
1967年に10日間で2度もノーヒットノーランを逃す悲運。
一方、来日1年目の西武・郭泰源は背番号「12」で日本ハムを相手にノーヒットノーランを達成。
その5日後にノーヒットノーランでチームの名誉挽回を果たしたのが日本ハムの田中幸雄も「12」。

2008年から5シーズン、背番号「12」を背負い、ヤクルトの守護神として君臨した・林昌勇。
第1回WBC決勝戦でイチローが決勝タイムリーを放った相手投手が韓国代表の背番号「12」林昌勇。

また、MLBではドミニカのカープアカデミー出身であるアルフォンソ・ソリアーノが、
広島からニューヨーク・ヤンキースに移籍し背番号「12」を着用。
2002年にトリプルスリー(3割30本30盗塁)を達成のほか、2006年には史上4人目の40本塁打40盗塁を達成。
ドミニカ代表でも「12」を背負った。

現役の投手ではロッテ・石川歩、広島・九里亜蓮、中日・田島慎二、ヤクルト・石山泰稚らが主戦力。
われらがSSSBの背番号「12」は、泣く子も黙る“レジェンド”まめさんです。
2021年も、令和も快速球をビシビシお願いします。

参考記事
週刊ベースボール【背番号物語2019】

【SPAIA】「スポーツ × AI × データ解析でスポーツの観方を変える」
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2021年が明けました

2021年01月01日 | SSSB
想像もしなかった未曾有な事態に襲われた2020年が終わり、
新しい年となりました。

今年はソフトボールもオリンピックも開催できますように。

皆が健康で一年間過ごせますように。

今夜、素敵な初夢が見られますように。

笑顔と希望溢れる一年でありますように。
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