SSSB 新前橋町壮年ソフトボール

最近は4代目管理人が好き勝手に野球やメジャーのことも書いています。

背番号23といえば

2021年04月24日 | 背番号の話
背番号の話、今回は23についてです。

ヤクルトにおいては青木宣親、山田哲人とチームの顔とも言うべき選手が「23」から「1」に変更して飛躍。
青木はMLBから日本球界に復帰した2018年から再度「23」を背負っています。

また農大二高出身でホークスに育成入団した周東佑京が「23」を背負っています。

「23」のレジェンドといえば、阪神の“牛若丸”こと吉田義男。
立命館大学から阪神に入団し、俊足巧打の遊撃手として1年目からレギュラー獲得。
1954年に51盗塁、1956年に50盗塁で盗塁王に。1964年には打率.318をマークしてリーグ優勝に貢献。
軽快な身のこなしと華麗な守備で“牛若丸”の愛称でファンを魅了していたようです。

近年では横浜のロバート・ローズ二塁手。1993年から2000年までの8年間日本でプレーし、背番号は「23」。
日本初年度である1993年に打点王を獲得。1994年から2000年まで7年連続打率3割をマーク。
1999年には打率.369(521打数192安打)、37本塁打、153打点で首位打者、打点王の二冠。
1998年にはマシンガン打線の4番として君臨し、日本一に貢献しています。

MLBではNYヤンキースの4番、キャプテンを務め、首位打者も獲得したドン・マッティングリー。
メジャー3年目から1995年の引退まで「23」を背負い、ヤンキース一筋14年で1785試合出場、7003打数2153安打で打率.307を記録。
MLBでは珍しく1球団のみで過ごしたが、この間ヤンキースは一度たりともリーグ優勝すらなく、
マッティングリー引退の翌年、デレク・ジーターやバーニー・ウィリアムスの台頭で三年連続世界一の黄金時代に突入しています。
優勝に縁がなくとも、人気・実力・リーダーシップに優れた功績で「23」もヤンキースの永久欠番となっています。

SSSBでは若き4番・ヨーヘイくんです。

参考記事
【背番号物語】

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