SSSB 新前橋町壮年ソフトボール

最近は4代目管理人が好き勝手に野球やメジャーのことも書いています。

背番号9といえば

2021年04月23日 | 背番号の話
残り3人となりました。今回は背番号9です。
「9」は“苦”と音が通じるため、「4」=“死”と並んで忌み数とも言われますが、
野球やソフトボールは9人で打線を組み、9人で守るスポーツであり、切っても切れない重要な数字でもあります。
背番号「9」の歴史を振り返ると、故障などに苦しんだ打者が多いのも事実。
しかし、そのほとんどが復活を果たし、チームに不可欠な存在として再び光を放っています。
カムバック賞に選ばれた打者が多いのが「9」の特徴でもあります。

背番号「9」のカムバック賞を古い順に列挙すると
1979年 広島・三村敏之
1987年 ヤクルト・杉浦享
1988年 巨人・有田修三(近鉄から移籍)
1989年 巨人・中尾孝義(中日から移籍)
2003年 ヤクルト・鈴木健(西武から移籍)
2004年 巨人・小久保裕紀(移籍前のダイエーで「9」)となります。

そしてホークスの「9」を小久保から継承した柳田悠岐も故障が少なくありません。

「9」での最大の復活劇は阪神・佐野仙好をおいて他はありません。
前橋工業から中央大学を経て、1973年にドラフト1位で入団するも本職の三塁手は掛布雅之が台頭したため、左翼へ。
4年目に川崎球場の外野フェンスに頭から激突し、頭蓋骨陥没骨折の重傷。
2ヶ月後には復帰し、その打席で本塁打を放ち、外野のレギュラーに返り咲き、
85年には主に六番打者としてリーグ優勝、日本一に貢献しています。

佐野のように巧打の外野手が多い傾向にあり、中日・井上一樹、オリックス・坂口智隆、
広島は長内孝、緒方孝市、丸佳浩の系譜、巨人・清水隆行、亀井義行が名を連ねています。

広島・緒方孝市と柳田がトリプル・スリーを達成しているので、
今後は“三拍子揃った外野手”のイメージが定着していくかもしれません。

ロッテでは前橋商業から日石を経て入団し、史上2人目の全ポジション出場、
史上6人目の全打順本塁打を達成した唯一の選手五十嵐章人が背負い、
“幕張の安打製造機”こと福浦和也の背番号です。

前述のようにホークスでは小久保→柳田と主砲の系譜ですが、
リーグ安打記録を持つ阪神のマット・マートン、南海のトニー・バナザード、
ヤクルトのロベルト・ペタジーニ等外国人の主軸打者の背番号でもあります。

MLBでは最後の4割打者であるレッドソックスのテッド・ウィリアムズの番号です。
1939年メジャーデビューの年に145打点で打点王を獲得。
3年目には打率.406(456打数185安打)、37本塁打、147打点で首位打者、本塁打王を獲得。
同時に史上最年少(23歳1ヶ月)で打率4割を記録。これが最後の4割打者となっています。
通算7706打数2654安打で打率.344、521本塁打、1839打点の成績を残し殿堂入りしています。

またNYヤンキースでは、MM砲の一人でシーズン最多となる61本塁打を放ったロジャー・マリスの背番号であり、永久欠番となっています。

SSSBでは主砲・タケちゃんです。

参考記事
【背番号物語】
SPAIA「スポーツ×AI×データ解析でスポーツの観方を変える」


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