世の中には “隠れた偉人” がいる。
子供らが読む「偉人伝」などにはあまり取り上げられることのない人物…
まだ生きている、存命の人物…
この「挑戦シリーズ!」では、そんな “隠れた偉人”の生き様に迫ります。
記念すべき第1回目を飾るのは、元力士であり現役プロレスラーである
高木功(たかぎ いさお)さんです。
* * * * * * * * *
生年月日や出身地など細かいことは省く。
大相撲時代は、高田川部屋に所属する幸運に恵まれる。
そこで、後に伝説となる四股名を授けられる。その名も
卓越山吾郎(たくえつやま ごろう)
である。
晴れて力士となった卓越山は、天性の相撲の才能をいかんなく発揮しはじめる。
1985年11月場所には自身の最高位となる
西十両5枚目
を記録。
1986年、惜しまれつつ引退。
ここで高木に人生の転機が訪れた。
あのジャイアント馬場が率いる全日本プロレスに入団したのだ。
プロレスラー高木は、みるみる頭角をあらわした。
北原光騎という最強最高のパートナーに恵まれ
みごと王者として君臨する。
第70代アジアタッグ王座 ( 0回防衛 )
である。
1990年、全日本プロレスを退団。
天龍の立ち上げた新団体「SWS」に殴り込みをかける。
しかし、早くも翌年1月には、
無断欠場により解雇
となる。 これも今となっては笑い話である。
失意の高木は、全日本プロレスにUターンし、覆面レスラーになる。
その名も、「ラブ・マシン・ストーム」。
マスクマン時代、高木を象徴する一つのエピソードがある。
2005年、太陽ケアに試合で敗れ、挑発された高木は暴挙に出る。
それは、
その場でマスクを脱いでしまう
という行為であった。 まさに嵐を呼ぶ男である。
その後、団体を渡り歩き、法律違反で逮捕されるアクシデントがありながらも、
2007年に藤波辰爾の率いる「無我」でみごとにリング復帰。
復帰戦は、第1試合の前に行われた。
それは、運命のいたずらとも言える
第0試合
であった。
相手は、団体のエースである西村修。
いやがうえにも燃え上がる高木の闘争本能。
試合結果だが、
3分ちょっとで西村選手のスリーパーホールドでギブアップ
リング上でファンに謝る高木選手
また、全試合終了後、各選手が続々リングインし観客に挨拶を行う中、
リングに入ろうとした高木は、藤波から
リングには入るな
との指令を受ける。 まだ認められていなかったのである。
2010年、フリーとなり、自主興行も開催した。
[参考]
高木功 Wikipedia
子供らが読む「偉人伝」などにはあまり取り上げられることのない人物…
まだ生きている、存命の人物…
この「挑戦シリーズ!」では、そんな “隠れた偉人”の生き様に迫ります。
記念すべき第1回目を飾るのは、元力士であり現役プロレスラーである
高木功(たかぎ いさお)さんです。
* * * * * * * * *
生年月日や出身地など細かいことは省く。
大相撲時代は、高田川部屋に所属する幸運に恵まれる。
そこで、後に伝説となる四股名を授けられる。その名も
卓越山吾郎(たくえつやま ごろう)
である。
晴れて力士となった卓越山は、天性の相撲の才能をいかんなく発揮しはじめる。
1985年11月場所には自身の最高位となる
西十両5枚目
を記録。
1986年、惜しまれつつ引退。
ここで高木に人生の転機が訪れた。
あのジャイアント馬場が率いる全日本プロレスに入団したのだ。
プロレスラー高木は、みるみる頭角をあらわした。
北原光騎という最強最高のパートナーに恵まれ
みごと王者として君臨する。
第70代アジアタッグ王座 ( 0回防衛 )
である。
1990年、全日本プロレスを退団。
天龍の立ち上げた新団体「SWS」に殴り込みをかける。
しかし、早くも翌年1月には、
無断欠場により解雇
となる。 これも今となっては笑い話である。
失意の高木は、全日本プロレスにUターンし、覆面レスラーになる。
その名も、「ラブ・マシン・ストーム」。
マスクマン時代、高木を象徴する一つのエピソードがある。
2005年、太陽ケアに試合で敗れ、挑発された高木は暴挙に出る。
それは、
その場でマスクを脱いでしまう
という行為であった。 まさに嵐を呼ぶ男である。
その後、団体を渡り歩き、法律違反で逮捕されるアクシデントがありながらも、
2007年に藤波辰爾の率いる「無我」でみごとにリング復帰。
復帰戦は、第1試合の前に行われた。
それは、運命のいたずらとも言える
第0試合
であった。
相手は、団体のエースである西村修。
いやがうえにも燃え上がる高木の闘争本能。
試合結果だが、
3分ちょっとで西村選手のスリーパーホールドでギブアップ
リング上でファンに謝る高木選手
また、全試合終了後、各選手が続々リングインし観客に挨拶を行う中、
リングに入ろうとした高木は、藤波から
リングには入るな
との指令を受ける。 まだ認められていなかったのである。
2010年、フリーとなり、自主興行も開催した。
[参考]
高木功 Wikipedia