N試作場

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偉人伝に挑戦!1 : 高木功

2012年02月16日 | 挑戦!シリーズ
世の中には “隠れた偉人” がいる。

子供らが読む「偉人伝」などにはあまり取り上げられることのない人物…

まだ生きている、存命の人物…

この「挑戦シリーズ!」では、そんな “隠れた偉人”の生き様に迫ります。

記念すべき第1回目を飾るのは、元力士であり現役プロレスラーである
高木功(たかぎ いさお)さんです。

  


 
  *  *  *  *  *  *  *  *  *



生年月日や出身地など細かいことは省く。


大相撲時代は、高田川部屋に所属する幸運に恵まれる。

そこで、後に伝説となる四股名を授けられる。その名も

卓越山吾郎(たくえつやま ごろう)

である。


晴れて力士となった卓越山は、天性の相撲の才能をいかんなく発揮しはじめる。

1985年11月場所には自身の最高位となる

西十両5枚目

を記録。


1986年、惜しまれつつ引退。

ここで高木に人生の転機が訪れた。

あのジャイアント馬場が率いる全日本プロレスに入団したのだ。

プロレスラー高木は、みるみる頭角をあらわした。

北原光騎という最強最高のパートナーに恵まれ
みごと王者として君臨する。

第70代アジアタッグ王座 ( 0回防衛 )

である。


1990年、全日本プロレスを退団。

天龍の立ち上げた新団体「SWS」に殴り込みをかける。

しかし、早くも翌年1月には、

無断欠場により解雇

となる。 これも今となっては笑い話である。


失意の高木は、全日本プロレスにUターンし、覆面レスラーになる。

その名も、「ラブ・マシン・ストーム」。




マスクマン時代、高木を象徴する一つのエピソードがある。

2005年、太陽ケアに試合で敗れ、挑発された高木は暴挙に出る。

それは、

その場でマスクを脱いでしまう

という行為であった。 まさに嵐を呼ぶ男である。


その後、団体を渡り歩き、法律違反で逮捕されるアクシデントがありながらも、
2007年に藤波辰爾の率いる「無我」でみごとにリング復帰。

復帰戦は、第1試合の前に行われた。

それは、運命のいたずらとも言える

第0試合

であった。


相手は、団体のエースである西村修。

いやがうえにも燃え上がる高木の闘争本能。

試合結果だが、

3分ちょっとで西村選手のスリーパーホールドでギブアップ





リング上でファンに謝る高木選手


また、全試合終了後、各選手が続々リングインし観客に挨拶を行う中、
リングに入ろうとした高木は、藤波から

 リングには入るな 

との指令を受ける。 まだ認められていなかったのである。


2010年、フリーとなり、自主興行も開催した。




[参考]
高木功 Wikipedia



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