マッシーの日本寸評

「日本を少しでもいい国に、住みやすい社会に」との思いから政治、経済、時事問題を感性の赴くまま自由に批評します。

「道義的的責任」が分からない兵庫県知事に思う

2024-09-13 07:30:17 | 地方政治
兵庫県議会百条委員会における兵庫県知事の「道義的責任が分からない」との答弁が気になっている。
筆者はかねがね「公人たるもの、市井人より一段高い倫理観が必要」と主張してきた。
その観点から言えば県知事職は一般人よりも高い道義的責任を保持しなくてはいけない。
ところが先日行われた兵庫県議会百条委員会で兵庫県知事の「道義的責任は分からない」との受け答えを聞かされたので唖然としてしまった。
恐らく氏の辞書に「道義的責任」は存在するのだろうがそれを認めてしまうと自らの地位が危うくなる、と判断したのだろう。
もしも「本当に道義的背責任の意味が分からない」ということであれば公人たる県知事を務める資格はない。
知っていて「分からない」と言うのならもう何をかいわんや、である。
知事は知事職を続ける(いや居座ると言った方がいいかな?)と理由によく県民の負託を受けているというがあれは3年前の話で今も通用しているかと言えば極めて疑問だ。
それを確認できるのがいわゆる出直し選挙なのだがそれも拒否しているので尚更おさまりが悪い。
道義的責任を認めようとしない県知事には何を言っても無駄なようだ。


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