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「刑務所の精神科医 治療と刑罰のあいだで考えたこと」野村俊明著 ”よい受刑者を作ることではなく、よい市民を作ることを目標に”

2022-02-05 23:24:24 | 本の紹介

1954年生まれ。日本医科大学名誉教授。精神科医。東京大学文学部、同大学院教育学研究科教育心理学専攻博士課程満期退学。日本医科大学卒業。日本医科大学附属第一病院、複数の矯正施設への勤務を経て日本医科大学医療心理学教室教授
https://www.msz.co.jp/book/author/na/6305/


 私には、非行少年少女や受刑者の多くが人生の偶然や不運に翻弄されているように見えた。そして、人生のほんのわずかな何かが変わっていれば、自分も少年院に入って反対側の椅子に座っていたかもしれないと感じていた。
 刑務所や少年院などの受刑者・被収容者の中には、精神障害が理由となって法を犯した者もいれば、矯正施設という特殊な状況下で精神障害を発症する者もいる。しかし、受刑者たちの治療の前には、つねに法の「平等主義」が立ちはだかってきた。
 親の顔も知らずに育った青年。身寄りもなく、万引きを繰り返して刑務所と外の世界を行き来する老人。重度の精神障害のため会話もままならず、裁判すらできずに拘置所に収容されつづける男性――。著者は精神科医として、矯正施設でありとあらゆる人生を見てきた。
 高い塀の向こうで、心の病いを抱えた人はどう暮らし、その人たちを日夜支える人々は何を思うのか。私たちが暮らす社会から隔絶された、もうひとつの医療現場を描くエッセイ。

・本書のタイトルである『刑務所の精神科医』には二つの意味がある。
1) 主として刑務所などの矯正施設に精神科医として勤めた経験に基づいて書かれていることによる。
2) 刑務所に代表される矯正施設が、私たちの日常生活から高い堀で隔てられ、見えにくい世界になっていることと関係している。ここでは「刑務所」という言葉は、私たちの社会の陰の部分、陽のあてられていない部分を指すものとして使われている。つまり、刑務所と言う言葉はある種の隠喩である。

・医療少年院に覚せい剤乱用で収容されているのは圧倒的多数が女子であった。勤めはじめたころ、精神症状の出しやすさや依存の形成に性差があるのかどうか疑問に思い教官に尋ねたことがある。「シャブは高いので男は手に入れるのが大変なんですよ」「家に自由にできるお金があるか、売人をやらないといけない」「その点、女の子は売春をすればすぐシャブが買える」「本人は自分からやっているつもりでも、実は作られた依存もありますよ」「だから少年院に覚せい剤で入るのは女性が多くなるだけですよ」とその教官はきわめてわかりやすく説明してくれた。

・この少女のように、幼いころから重ねて虐待を受けてきた人を対象とする場合、そうした体系化された精神療法は無力であるか、効果はあってもきわめて限定的である。必要なのは安定した衣食住を提供すること、根気よく支えつづけることである。言葉を変えれば、狭義の精神医学にできることはごくごく限られている。

・私が哲学科の学生から臨床心理学、さらに精神医学に転じたのはいろいろな出会いや偶然が複合してのことだが、『ローラ、叫んでごらん』という本をたまたま読んだことも影響を与えていた。

・強い不安・恐怖・緊張などを感じた場合、人間が示す反応は大別して三方向である。
1) 不安や緊張をそのまま体験することである。不安が強すぎるか、長期間続くか、あるいはその人になんらかの脆弱性があれば、その人の気質や体質との関連で、抑うつ・恐怖・不安緊張・強迫などのさまざまな精神症状を呈することになる。
2) 不安や緊張などが身体症状に転換(身体化)されることである。動悸・発汗・便秘や下痢・めまいなどの自律神経症状から、立てない・歩けない・話せないなどの多彩な身体表現性障害や転換性障害がこれにあたる。
3) 不安や緊張などが行動面に表出されることで、これはさらになんらかの非適応的な行動として示される場合とひきこもりという形で表現される場合とがある。前者はギャンブル・アルコール症・食行動の異常・さまざまな逸脱行動などとして示される。非行はこうした行動化の表れとして理解することができるだろう。
このように考えていくと、少年非行は虐待された少年少女が示す一連の不適反応の一部(行動化)として理解することが可能になる。

・無理に診断を確定しようとせず、できることはなんでもするというスタンスで治療教育を行っていくというところに落ち着くのだが、私たちは常に居心地の悪さを感じつづけることになる。こういう居心地の悪さが苦手な人は、非行や犯罪領域の精神科臨床、心理臨床には向かないように思う。

・これはあくまでも印象にすぎないのだが、ひどい虐待をしている保護者の多くに何らかの精神障害が認められることが多いように感じていた。

・こうした経験から精神科医が学ぶことは、人には(特に患者には)こちらが思いもよらぬ、語られていない外傷体験がありうるということである。語られない以上、それらは治療者の理解の彼方にあるのだが、せめてそういうことがありうるという認識だけは持っていたい。

・拘置所には精神疾患が多いことにも驚かされた。重症の統合失調症・双極性障害・薬物乱用の後遺症などの患者が多いのである。

・私が若い時代には、統合失調症の診断に必要なものとしてシュナイダーの一級症状を習った。思考化声(自分の考えていることが声になって聞こえる)、対話性幻聴(自分の頭の中で対話が行われる)などである。こうした特徴的な幻聴や異常体験を医療機関の外来で聞くことがめっきり減ったような気がする。

・拘置所は未決の人を収容している施設であるが、刑が確定しているにもかかわらず拘置所にいる人たちがいる。死刑囚である。死刑は死刑になることが形の執行なので、刑務所では行われない。死刑や拘置所で執行される。

・この先生に意見を聞けばこういう判断が返ってくるという予見のもとに精神鑑定が依頼されることが少なくない。ある精神科医はたいていの場合、責任能力を認める鑑定書を書き、ある精神科医は責任無能力ないし限定責任能力という鑑定書を書くことが多い。前者の精神科医は検察とよい関係にあり、後者の精神科医は刑事事件を扱う弁護士と親しくなる。

・振り返れば自分が不注意や多動性や衝動性のために、しなくてよい苦労や失敗をしたこと、危うい橋を渡ったことは数々ある。そもそも大学入学以来、哲学・心理学・精神医学と専門を次々変えたのも落ち着きのなさの表れだし、医師になってからも転職を繰り返している。

・ADHDの薬物について触れておきたい。
この書籍を執筆している時点で、わが国でADHDが適応になっている薬物は四種類あり、そのうち三種は成人にも適応になっている。
リタリン(今はナルコレプシー適応)
コンサート(リタリンと成分は同じで徐放性剤)

・パーソナリティ障害にはいくつかのタイプがあるが、一般医は三つのクラスターに大別されている
A 風変りで奇異な印象を与えるパーソナリティ障害
B 情緒的、演劇的、変転しやすさを特徴とするパーソナリティ障害
C 不安、恐怖、内向性を特徴とするパーソナリティ障害

ASDの心因論は、科学的に誤っているだけではなく、患者とその家族に対しても罪深いものであった。母親への非難が含まれていたからである。多くの母親が自分の子どもが発達の遅れを示すことに悩むだけでなく、その遅れが母親の育児態度、それも愛情の不足によって生じていると非難されたのである。

・受刑者が重大な病気になって回復が見込めず、医療刑務所でも管理が難しいと判断されると「刑の執行停止」が行なわれる。例えば癌の末期で余命幾ばくもない場合などがこれに該当する。刑の執行停止の是非を判断するのは、なぜか検察官の権限である。刑を言い渡すのは裁判官なので、どうして検察官なのか不思議に思ったが、とにかくそうした決まりになっている。

・この男性は刑務所でも周囲の受刑者と衝突を繰り返し、やがて医療刑務所に送致されてきた。・・・案の定前頭葉に委縮が認められた。かつてはピック病と呼ばれ、もの忘れに代表される認知機能低下より感情面・行動面の変化が先行するタイプの認知症である。
この人は幸いまだ若くて体力があり、少量の向精神薬によく反応して穏やかになった。

・ドイツ・フランス・スイスなどのデータを教えてもらった。どの国でも高齢受刑者は増加傾向ににあるが、日本ほど受刑者の高齢化率が高い国はどこにもなかったし、窃盗などの微罪で高齢者を受刑させる国はなかった。

・私には認知症の患者を刑務所で処遇するのはどう考えても合理的ではないとしか思えないのだが、どうだろうか? ちなみに、経済的な問題に関しては、ことの本質から外れるだろうが、刑務所で高齢者を処遇するコストは、生活保護費と比べて決して安くないという経済学者の資産(中島隆信『刑務所の経済学』)があることも付け加えておきたい。

・この女子刑務所には乳児と母親が一緒に暮している別棟の施設が併設されていた。受刑中に出産した受刑者は乳児とここで暮らすのだという。私たちが見学したときには六、七組の母子がいただろうか。フィンランドでこのような施設を作っているのは、「子どもの人権」を優先するからだという。親は犯罪者で受刑しているにしても、生まれてくる子どもには親と過ごす権利がある、それを守らなければならないという考えに基づいているとのことだった。
医療少年院に勤務時代、収容されていた女子が出産したのに遭遇したことがある。出産ギリギリまで医療少年院におり、病院で出産して数日後に戻ってきた。赤ちゃんは乳児院に預けられたとのことだったと思う。私はそれを目の当たりにして生まれてくる子どもを不憫に思ったが、その子どもの「人権」について考えたことはなかった。

・ヴァナヤ刑務所の所長はなかなかの人物であった。刑務所はこうあるべきだという自分の信念を話してくれた。その中で一番印象に残ったのは、「私たちはよい受刑者を作ることではなく、よい市民を作ることを目標にしている」という言葉であった。彼女はつい最近視察してきた日本の刑務所にいろいろ思うところもあったのに違いない。私は「日本の刑務所はよい受刑者を作ることに躍起になっている」と言われたような気がした。

・哲学科の学生時代、山本信氏「哲学とは常識批判である」という言葉が強く印象に残った。

クレプトマニア

・少年院や刑務所で、面接していて難しさを感じたときに、私が頭に浮かべていたカル・ヤスパースの言葉を引用したい。「精神療法の根本は、どれほど異常な、どれほど不快な人間に対しても忍耐をするということにある」

感想
刑務所での精神科医として出会ったさまざまな受刑者との交流を紹介されています。
日本の社会の蔭のある面を表しているようでした。

罪を犯した人がよくないのは当然ですが、罪を犯した人の境遇は悲惨なことが多かったようです。

受刑者が子どもを産むと一緒に暮らせる。それが子ども権利だと。
もし、日本で子どもを別にされることは憲法違反だと裁判を起こしたら裁判長はどう判断するのだろうかと思いました。

幻聴が聞こえるなどというと統合失調症と診断してもらえると受刑者仲間が情報交換されているとのこと、精神科医を逆に自分の意に合うようにすることもあるのかなと思いました。

日本の刑務所は「よい受刑者」を作ることが目的になっているが海外では「よい市民を」を作ることを目的にしているのが印象的でした。

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