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阿川佐和子さん「サワコの朝 宮本信子さん」 ”映画「タンポポ」が米国で上映され大人気に!”

2019-07-06 08:31:22 | 生き方/考え方
女優。伊丹十三記念館館長(松山)
1945年生まれ。23歳の時、13歳上の伊丹十三さんと結婚。
伊丹監督作「お葬式」は日本最高アカデミー賞
22年前に伊丹さん逝去。

「タンポポ」がアメリカで上映。
多くの人が来てくれて喜んでいるのを見てすっごく感動した。
NYで30年ぶり上映。行列ができるほどの人気。
見た人が皆とてもよかったと。25回も見た人がいた。
上映が終わると大きな拍手。宮本信子さんがアメリカへ。

「タンポポ」は前衛的な映画だった。お風呂に帽子を被っていたとか。
観客が楽しんで見ていた。この状況を伊丹さんに見せたかった。
伊丹万作の息子で映画を撮りたくないと。
私の父が亡くなって、お葬式の煙突を見ていて、これは映画になると。
それでお葬式の初監督になった。

1曲目 ジャン=ピエール・ランパルの「フルート・ソナタロ短調」
伊丹監督と行ったコンサートを思い出す曲。
ランパルさんの顔が真っ赤になっていたのを思い出す。

伊丹&宮本の映画は次々とヒット。
脚本、監督。伊丹監督は編集が大好き。
楽しいから編集室に来ないかと誘われた。
嫌とは先生だから言えない。
帰ると、「面白かった?」と聞かれる。そうしたら「はい」と。
息子にもお風呂に入りながら「面白かった?」とそうしたら「うん」と。
素直な家族(サワコ)。

伊丹作品に必要とされる。
評価は後の結果。若い時は評価を気にしたが、その後気にしなくなった。
伊丹10作品でいろいろな役柄を演じてきた。
その中でも協力的なインパクト「マルサの女」
カツラ選びの時の映像を見ながら。
こういうことから映画が始まる。
衣装合わせに3日かかる。100着くらい着る。
カメラの長回しに泣かされた。
何度も練習した。伊丹先生に勉強させていただいた。

冷凍庫にいるような気持に。(亡くなったことを)考えない。
子どもが二人いた。
次の仕事を決めていた。
お嫁に行った翌日に夫が亡くなったシングルマザー役。
監督から「辛かったら降りてもよいよ」と言われたが、「女優ですからやります。約束したことですから」と。
それが良かった。
伊丹監督だとどう指示したかなと思っていた。

一切の妥協をしなかった伊丹監督。
美術も音楽も詳しかった。
伊丹監督のことをもっと知って欲しかったという気持ちがあって、伊丹記念館を建てようと思った。12年。13年目で17万人突破。入館料は800円。私はグッズ係。グッズは私が作っている。
若い人が子どもを連れて来館してくれる。
てぬぐいも作った。「これはダメよ」とか伊丹の声が聞こえてくる。よい生地で作ろう。買ってくれた人に喜んでもらえるように。
結婚当初「僕は少数派で嫌われ者なんだよ」と言われて、「そうです」とは言えなかった。
今は伊丹だったらどんな映画を作るだろうねと皆さんに言ってもらえる。

小椋佳さんがNHKのBSで番組持っていて、生バンドがとても楽しかった。
今度、芸大でコンサート。学生さんと一緒に歌う。

2曲目 リー・ワイリー「AS TIME GOES BY」
この人の歌を聞いて、ジャズを歌いたいと思った。
厳しすぎると思ったことは? 「あります」
あれだけの神経の細い人がリラックスできる家庭を作りたいと思っていた。

感想
伊丹十三監督と二人三脚で10作の映画。
どれも話題になり人気になりました。

衣装やカツラ選びも徹底的にされていたようです。
長回しで、何度も何度も練習されたとのことです。

よい作品にはこだわりがあるのだなと思いました。


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