幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

「病牀六尺」正岡子規著 ”その時にならないと実感しないことを先達から教わる”

2022-06-26 00:50:50 | 本の紹介
・病床六尺、これが我世界である。しかもこの六尺の病床が余には広過ぎるのである。僅かに手を延ばして畳に触れる事はあるが、蒲団の外へまで足を延ばして体をくつろぐ事も出来ない、甚だしい時は極端の苦痛に苦しめられて五分も一寸も体の動けない事がある。苦痛、煩悶、号泣、麻痺剤、僅かに一条の活路を死路の内に求めて少しの安楽を貪る果敢なさ、それでも生きて居ればいひたい事はいひたいもので、毎日見るものは新聞雑誌に限って居れど、それさへ読めないで苦しんで居る時も多いが、読めば腹の立つ事、癪にさはる事、たまには何となく嬉しくてために病苦を忘るるやうな事がないでもない。

・病勢が段々進むに従つて何とも言はれぬ苦痛を感ずる。それは一度死んだ人かもしくは死際にある人でなければわからぬ。しかもこの苦痛は誰も同じことと見えて黒田如水なとどいふ豪傑さへも、やはり死ぬる前にはひどく家来を叱りつけたといふことがある。

・余は今まで禅宗のいはゆる悟りといふ事を誤解して居た。悟りといふ事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思つて居たのは間違ひで、悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きて居る事であつた。

・「如何にして日を暮すべき」「誰かこの苦を救ふてくれる者はあるまいか」此処に至つて宗教問題に到着したと宗教家はいふであらう。しかし宗教を信ぜぬ余には宗教も何の役にも立たない。基督教を信ぜぬ者には神の救ひの手は届かない。仏教を信ぜぬ者は南無阿弥陀仏を繰返して日を暮らすことも出来ない、あるいは画本を見て苦痛をまぎらかしたこともある。しかし如何に面白い画本でも毎日々々同じ物を繰返し見たのでは十日もたたぬうちに最早陳腐になつて再び苦痛をまぎらかす種にもならない。

・英雄には脾肉の嘆といふ事がある。
 文人には筆硯生塵という事がある。
 余もこの頃「錐錆を生ず」といふ嘆きを起こした。

・このごろはモルヒネを飲んでから写生をやるのが何よりの楽しみとなつて居る。

感想
正岡子規

『坂の上の雲』司馬遼太郎著に正岡子規も登場します。
愛媛県松山市出身の秋山好古、秋山真之、正岡子規の3人の話で、司馬遼太郎さんの作品の中でも人気作品です。
かなりの長編ですが、惹きこまれました。
そして秋山兄弟を知りました。
司馬遼太郎さんの作品はほとんど読みましたが、私は『坂の上の雲』がお薦めNo1です。

身体が動かなくなり、寝たきりの状態で過ごすことが待っている可能性も高いです。
その時初めて実感するのではなく、先達の体験から教わることで、今できることをすることなのでしょう。

また本から、その著者の生き方だけでなく文体や記述、言葉などを学ぶこともできます。

どんな状況になっても、生きて居ることが大切なのでしょう。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿