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幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

夫から性感染症をうつされ、離婚…そこから日本初の公許女性医師となった荻野吟子 ”『花埋み』渡辺淳一著で知られる”

2025-02-18 02:02:02 | 生き方 考え方 笑顔 ロゴセラピー
明治時代、日本人女性で初めて医術開業試験に合格した女性がいた。
彼女の名は荻野吟子(おぎの ぎんこ)。
吟子は武蔵国の名主の家に生まれ、何不自由のない少女時代を過ごした。しかし、17歳で結婚した夫から淋病をうつされ、病に苦しみ、子を持つことも叶わずに離婚を余儀なくされる。
失意の中、病を治すために上京し、大学東校の附属病院に入院する。
しかし、そこには女性医師の姿はなく、診察にあたるのはすべて男性医師だった。
肌を見せることすら憚られる時代に、下半身を晒して治療を受ける屈辱は、言葉にできないほどの苦痛だった。
「女性の医師がいれば、こんな思いをしなくて済むのに…」
その思いが、彼女の人生を大きく変えることとなる。
今回は、数々の困難を乗り越えて医師となり、さらには女性の社会的地位向上にも尽力した荻野吟子の生涯をたどる。

名主の家に生まれ、17歳で結婚するも病に苦しむ

嘉永4年(1851年)3月、荻野吟子(おぎの ぎんこ)は、武蔵国幡羅郡俵瀬村(現・埼玉県熊谷市俵瀬)の名主・荻野綾三郎の五女として生まれた。
荻野家は代々苗字帯刀を許された家柄で、地域でも有力な家の一つであった。
幼少期から聡明であった吟子は、儒学者・寺門静軒の『両宜塾』に通い、その後、寺門の門人である松本万年から漢学を学んだ。
やがて、聡明で美しい女性として評判となった吟子のもとに、武蔵国北埼玉郡上川上村(現・熊谷市上川上)の名主の長男・稲村貫一郎との縁談が持ち上がった。
家柄も釣り合いが取れており、両家はこの縁談を承諾。慶応4年(1868年)、17歳の吟子は貫一郎と結婚した。
しかし、結婚から間もなくして吟子の体に異変が生じる。高熱と下腹部の痛みに苦しむようになり、ついには夫から感染した淋病であることが判明した。
当時、この病は適切な治療が難しく、吟子の体にも深刻な影響を及ぼした。結局、病に苦しみながらも、吟子は結婚生活を続けることができず、明治3年(1870年)、夫と離婚することとなった。
当時の社会では、たとえ病の原因が夫にあったとしても、子を産めなかった女性は「妻としての役目を果たせなかった」とみなされる風潮があった。吟子もまた、この離婚によって自らの将来を閉ざされたように感じたに違いない。
しかし、この苦難が、後に彼女が医師を志す契機となるのであった。

入院中の屈辱的な体験を経て女医を志す

離婚後、荻野吟子は病気の治療を受けるため上京し、大学東校(現在の東京大学医学部の前身)の附属病院に入院した。
当時の医療機関には女性医師はおらず、診察や治療はすべて男性医師が担当していた。吟子も例外ではなく、治療の一環として男性医師による局部の洗浄を受けることとなった。

当時の社会では、女性が男性に肌を見せることすらはばかられる風潮があった。そんな中で男性医師に診察されることは、吟子にとって耐えがたい屈辱であった。
このような羞恥心から、当時は病気の治療を受けることを避ける女性も少なくなかったとされる。
吟子は、この経験を通じて「女性医師がいれば、同じように苦しむ女性たちが救われるのではないか」と強く思うようになった。そして、自らが医師となり、女性が安心して診察を受けられる環境を作ることを決意する。
退院後、吟子は周囲に「医師になりたい」という意志を伝えた。しかし、当時の社会では女性が医師になるという考えは受け入れられず、家族からは「無謀だ」「一家の恥だ」と強く反対された。
それでも、松本万年をはじめとする支援者たちは「結婚だけが女性の人生ではない。時代は変わりつつある」と吟子を励まし、彼女の決意を支えた。


医師への道を切り拓く

吟子は、医学を学ぶために明治6年(1873年)に上京し、漢方医であり国学者でもあった井上頼圀(よりくに)に師事した。
井上のもとで学ぶうちに、吟子の聡明さと美しさに惹かれた井上は彼女に求婚する。しかし、医師になるという強い決意を持っていた吟子はこの申し出を断り、井上のもとを去った。
明治8年(1875年)、吟子は東京女子師範学校(現在のお茶の水女子大学)の第1期生として入学する。寄宿舎での生活の中、彼女は寝る間を惜しんで学問に励み、明治12年(1879年)、首席で卒業した。
その後、大学東校の総長の紹介を受け、医学校「好寿院」への入学が特別に許可される。
しかし、医学の道を歩むうえで、吟子はさまざまな困難に直面した。
好寿院において、彼女を除くすべての学生が男性であったため、「女の来る場所ではない」と男子学生から嫌がらせを受けることもあった。そこで彼女は目立たないようにと袴を着用し、高下駄を履いて通学したという。
また、学費を賄うために家庭教師の仕事をしながら学業に励み、3年間の課程を優秀な成績で修了した。
しかし、次なる壁が待ち構えていた。医術開業試験(現在の医師国家試験)を受けるために願書を提出したが、「女性の前例がない」という理由で東京府により却下されてしまったのである。
その後も埼玉県、さらには内務省へと請願を続けたものの、受験の許可は下りなかった。
困り果てた吟子は、家庭教師をしていた子供の父であり、実業家の高島嘉右衛門(かえもん)に相談する。
高島は「日本の歴史の中に、女性医師の前例がないのか調べてみよう」と提案し、吟子の元師である井上頼圀の協力を得て、日本の古代法典『令義解』の中に女医の存在が記されていることを発見した。
この記録を根拠に再び請願を行い、ついに明治17年(1884年)9月、前期試験の受験が認められたのだ。
試験には他の女性3名も挑んだが、合格を果たしたのは吟子ただ一人だった。続く明治18年(1885年)3月、後期試験にも合格し、日本で初めて公許を受けた女性医師となった。
この快挙は新聞で大きく取り上げられ、「女医第一号」として世間の注目を浴びた。
同年5月、34歳となった吟子は、本郷湯島(現・文京区湯島)に産婦人科の医院を開業。「女性医師による診察が受けられる」と評判となり、多くの女性患者が訪れるようになった。
さらに、貧しい患者には薬代を負担せず診療を行うなど、慈善的な医療活動にも尽力した。
その後、診療所が手狭になったため、下谷黒門町(現・台東区上野)へと移転し、より多くの患者を受け入れる体制を整えた。
こうして、女性だからという理由で数々の障壁に直面しながらも、荻野吟子は自らの信念を貫き、日本の女性医師の先駆者として歩み続けたのであった。

信仰に導かれた結婚と苦難の末の晩年

明治17年(1884年)、吟子はキリスト教の教えに触れ、その中で説かれる女性の地位向上や男女平等の理念に共感し、キリスト教伝道者・海老名弾正の勧めで洗礼を受ける。
女医としての活動にとどまらず、女性の社会的地位向上を目指す運動にも積極的に関わるようになった。
そんな吟子は39歳のとき、16歳年下の同志社大学の学生で敬虔なキリスト教徒である志方之善(しかた ゆきよし)と出会う。同じ信仰を持つ者として互いに惹かれ合い、やがて愛情を育んでいった。
しかし、年齢差が大きかったこともあり、二人の結婚には周囲から反対の声が上がった。それでも吟子と志方は信念を貫き、明治23年(1890年)、結婚に踏み切った。
志方には「キリスト教徒による理想郷を北海道に築く」という壮大な夢があった。
吟子もその志に共感し、結婚後まもなく志方は仲間たちとともに北海道へ渡る。
明治29年(1896年)、吟子も東京の医院を閉じ、夫とともに北海道での活動に加わることを決意。翌明治30年(1897年)、生活のために瀬棚(現・せたな町)に医院を開業した。
しかし、当時の北海道は開拓途上であり、医療を受ける習慣のない人々も多く、診療所の経営は軌道に乗らなかった。一方、志方の理想郷建設も予想以上に困難を極め、計画通りには進まなかった。
それでも吟子は、婦人会を結成し、地域の女性たちの支援に努めるほか、志方とともにキリスト教の布教活動に尽力した。
そして明治36年(1903年)、志方は収入を得るために国後へ渡り、マンガン鉱の採掘に挑戦するが、失敗に終わる。その後、彼は牧師の資格を取得するために京都の同志社大学へ復学し、無事卒業した後、北海道浦河教会へ赴任した。
明治38年(1905年)、志方は再び瀬棚に戻り、開拓事業を進めようとするが、その矢先に病に倒れ、帰らぬ人となる。
吟子はその後も瀬棚にとどまり、地域医療に貢献し続けたが、次第に体調を崩すようになった。
明治41年(1908年)、吟子はついに瀬棚を離れ、東京の本所新小梅町(現・墨田区向島)で細々と医院を営むこととなる。
その頃には東京女医学校(現・東京女子医科大学)も設立され、吟子に続く女性医師たちが活躍する時代が訪れていた。
そして大正2年(1913年)6月、吟子は62歳でこの世を去った。
彼女が女医第一号となった際、世間では「女性は妊娠・出産するから医師には向かない」「女医は男医の代理として診察をするべきだ」といった否定的な意見も多くあった。
しかし、吟子は「男性の医師にも病弱な者はいる。なぜ男性は良くて女性は駄目なのか」と反論し、社会の偏見に抗い続けた。
多くの困難に直面しながらも、自らの意志を貫き、女性が医療の道を歩むための礎を築いた彼女の生涯は、日本の医学史において大きな意味を持つものであった。
参考 :
加藤純子「荻野吟子 日本で初めての女性医師」伝記を読もう7 あかね書房
小杉みのり「時代をきりひらいた日本の女たち」岩崎書店
文 / 草の実堂編集部

感想
『花埋み』渡辺淳一著で知られるようになりました。
三田佳子さんがずーっと舞台で演じられてこられました。

荻野吟子さんは元々は荻野吟さんだったようです。
夫から淋病を移され、離縁されました。子どもが淋病が原因で産めなくなったからです。
荻野吟子さんのすごいところは、当時女性が医者の試験を受けられなかったのをいろいろな力を持っている人に直訴して門戸を開いたことです。
まさに女医の扉を開けた人でした。

結婚した人が北海道で開拓との夢(キリスト教のユートピアを創りたい)で北海道の開拓に行き荻野吟子さんも夫に協力しましたが、開拓は過酷で失敗して亡くなっています。
東京にずーっと居たら、社会にもっと大きな貢献が出来た方でした。
実際いろいろな社会的活動を頼まれて行っていました。
それを捨てて、夫に付き添われました。

いのちの電話のネット相談(メール相談)の利用(現在受付中)

2025-01-24 21:13:44 | 生き方 考え方 笑顔 ロゴセラピー
いのちの電話

いのちの電話はなかなかつながり難いです。
いのちの電話ではインターネット相談(メール相談)を行っています。

電話はかけ続けないとつながりません。
しかし、インターネット相談は受付ているかどうかを確認1~2回/日するだけでよいのです。

メールは悩みを言葉にすること自体が悩みを吐き出すことにもなります。
吐き出すことで悩みを第三者として眺めることができます。

そして遅くても約1週間以内(早ければ1~3日で)で返信が来ます。

電話がつながらない人はぜひ、試してみてください。




いのちの電話広報誌(Web公開)一覧(更新) 興味深い広報誌を紹介しています。

2024-12-26 11:30:00 | 生き方 考え方 笑顔 ロゴセラピー
 興味深かった広報誌を下記に紹介します。
多摩いのちの電話
 手を洗わずにいられない若い女性の相談に、医師と大学カウンセラーの対応

浜松いのちの電話
 相談員が相談者の電話を長くなったので切りあげようとすることについて書かれています。

京都いのちの電話
 河井(陶芸家)の「助からないと思っても 助かってゐる」の言葉は、将棋の大山康晴十五世名人も座右の銘にしてくださっ ていました。この言葉と、河井のもう一つの言葉「一灯破闇」 が描かれた二つの陶板作品をお持ちです。贈り主は事業家 の大原總一郎氏でした。大山名人は、「終盤になって形態が 悪く、つい弱気になってあきらめようかと思ったとき、この陶板 の文句を思い出します。“助からない ”という弱気を吹きとばし て、“助かっている”という気持ちで盤上を見直します。不思議 なもので苦戦のなかから“一灯闇を破る”手が浮かんできます」 (『将棋世界』1988年 9月号)と述べてくださっています。  人によって、その置かれている状況や面している苦難はさま ざまですが、なんでもない言葉で、スルリと抜け出せたり、横にある見えていなかった世界の存在に気付かされたりがあり ます。そう思うと、人にかける言葉一つがとても大切で、また 素敵に思えます。

神戸いのちの電話
 こうしてみるとやはり人間は困難があるから こそ成長し、心のひだが深くなるのでしょう。 決して順調ではない、言うなればいばらの道を 歩んできたに違いないであろうこの子どもたち が見せてくれたその姿や言葉に、人が生き、成 長する意味を教えてもらった思いでした。 最後に子どもたちに伝えました。 「生きているだけでいい、それだけであなた たちは誰かを励ましている。そこに存在するだ けでいい。それだけであなたたちは誰かを支え ている。」
精神科医 認定 NPO 法人「地球のステージ」 代表理事 桑山 紀彦 

長崎いのちの電話
 松本俊彦氏が「死にたい/自傷/OD」などで苦しんでいる若者にどう対応するか?
・性急な変化を求めない 
・いきなり「やっちゃダメはダメ」
・「変化を求める」=「その人のありのまを否定」
・「生きててよかった」= 存在の肯定
繰り返し読みたいと思いました。
 
感想
 広報誌を発行するには、お金と労力がかかっていると思います。
広報誌はきっと、そのセンターの支援(お金と人)と自殺防止の啓発のために出されていると思います。

 今はネットの社会、ネットを活用すると多くの人に読んでもらえます。
ネットに掲載されていないセンターの広報誌、HPに「pdfいただければ掲載します」
と記載していますが、ご連絡はないですね。
 連盟にもこのサイトをことを伝えましたが、「なしのつぶて」でした。(涙) 

 いのちの電話の各センターで厚労省の助成金で公開講演会が開催されています。
一部のセンターではリモートや後日視聴に取り組んでおられますが、わずかです。
なぜ、リモートや後日視聴にして、多くの人に聴いてもらおうと思われないのか不思議です。録画や録音していただければWebにUpできます。
講演者も多くの人に聴いてもらいたいと願っておられるかと思います。

 厚労省の助成金は税金です。
その税金をもっと活用する方法があるのに、できるのにされません。
自殺予防の相談をやるだけでなく、自殺防止の啓発や教育にも関心持たれていると思うのですが・・・。

 同じことをやるだけでも大変かと思いますが、変わって行かないと、いのちの電話の社会への貢献度がどんどん下がっていくだけだと思います。
 それで良いなら良いのですが・・・。

 埼玉いのちの電話広報誌に、「若者の電話利用が低い」が紹介されています。相談となるともっと低いでしょう。
 『心のきずな療法』稲村 博著(この本はぜひ読まれると良いです)にいのちの電話の始まったとき、多くの若者が電話してきていることが紹介されています。
 今、若者は電話では相談せず、チャットやメールなどのSNSではないでしょうか。
若者の自殺は高止まりです。 

 京セラの創業者故稲盛和夫著『生き方』(この本もお薦め)に結果(パーフォーマンス)について、能力よりも、考え方(思い)が一番大切で、次は熱意(どれだけ時間とお金をかけるか)で、能力はやろうと思えば伴ってUpして行くと書かれていました。稲盛氏の実践哲学から導かれました。
結果=考え方 × 熱意 × 能力
 大空幸星氏が『あなたのいばしょ』を立ち上げ、ここまで大きくされたのは、まさに考え方(思い)でした。若者のニーズに合っていたのです。
 若者の自殺に何とか対応したい。しかし、既存の相談先は不十分だと。そしてチャットでの相談を立ち上げました。

チャット相談の使い方

STEP 01

まずはトップのボタンからトップページの「いますぐ話してみる」ボタンを押してください。


STEP 02

注意事項を確認し規約に同意

注意事項をお読みいただき、左側の「いますぐ話してみる」ボタンを押してください。注意事項は『やさしいにほんご』で読むこともできます。


STEP 03


チャットが起動します

「チャットをはじめる」ボタンを押していただくと、相談がはじまります。まずはいくつかの質問に答えていただきます。その後、自分の相談内容を書いてください。

STEP 04

いばしょ相談員とつながります。

質問に答えていただくと、相談員を呼び出します。混み具合によっては、しばらくお待たせすることもあるかもしれません。自分の相談を書きながらお待ちください。

⇒相談員につながるまでに、質問に答えたり、どんな相談かを事前に確認し、相談員にも心がまえが出来るように、システム構築されているようです。


「羨(うらや)む」とは 渡辺祥子さんのブログから

2024-12-16 09:11:33 | 生き方 考え方 笑顔 ロゴセラピー

語源を知ると、普段何となくそうかなぁ…と思っていたことの本質が見えてきてドキッとすることがあります。

今日取り上げるのもその一つ。

「羨(うらや)む」という言葉の語源をひもとくと、「うら」とは「心」で、「やむ」は、「病む」。
つまり「羨む」とは、「心」が「病む」ことをいうのだそうです。

身なりを整えるなどの「表」に対して、内側の心が「裏」ということですが、確かに!と思いますよね。

はからずも私は年に数回機会を頂く小学校での講話の際に、「自分を大切にするとは、『昨日の自分より今日の自分、今日の自分より明日の自分』と、自分の頑張りを自分で認めること」と話してきていました。

「他人と比べて自分より相手が上にいるように見えて自分はダメだと思ったり、相手の悪口を言うなどして陥れたりしても自分がいる位置は何も変わらない…。それって自分を大事にしていないよね」って…。
(もちろん誰か自分より上にいる人にあこがれて自分を頑張らせる力にするなど、前に進む力に変える場合は別ですが…)

何十年と話してきたことですが、それは「心を病ませたくない」という思いからだったのだ!と、その大切さを再確認できました。

ちなみに、「妬む」の「ね」は、「心根」の「ね」のことで、それが「痛む」ことをいうそうです。

「羨む」に「妬む」…。

あぁ!ダメダメ!!この年末、しっかり心をクリーニングして整えて、明るく新年を迎える準備をしなくっちゃ!!

さぁ、新しい一週間が始まりました!!
今週も笑顔でいきましょう^^

感想
妬むもそこに含まれるのでしょう。
 
 比較することで生まれてくるのでしょう。
今あると感謝する気持ちが持てるかどうか。
つい、ないものを羨みます。
そしてあるものに感謝を忘れてしまいます。
あるものを失って初めて今まであったものの大きさを知ります。

 こういうブログを読むことで、改めて意識させられます。

絶望から生まれた希望の心理療法 ロゴセラピーが教える「生きる意味」の見つけ方 ”生きる意味を見つけるヒントが”

2024-11-28 09:02:02 | 生き方 考え方 笑顔 ロゴセラピー

「生きる意味なんてない」ナチスの強制収容所で、多くの人々がそう感じ、命を絶とうとしているとき、同じ境遇にあった1人の精神科医はまったく異なる発見をします。家族を失い、死の恐怖と隣り合わせの極限状況の中でも、人生には必ず意味があると。
その精神科医こそ、ロゴセラピーの創始者ヴィクトール・フランクルです。彼が見出した「人生の意味を探求する心理療法」は、現代社会が抱える本質的な問題への処方箋となりうるものです。経済的な成功や社会的地位を得てもなお、虚しさを感じる人々、自分の存在価値に悩む若者たち。
そんな現代人の心の渇きに、ロゴセラピーはどのような答えを示してくれるのでしょうか。このインタビューでは、琉球大学の草野智洋先生に、ロゴセラピーの本質と実践、そして現代社会における意義についてのお話を伺います。

草野 智洋 / Tomohiro Kusano
琉球大学 人文社会学部 准教授
【プロフィール】
東京大学文学部 思想文化学科 卒業
大阪大学大学院 人間科学研究科 臨床心理学分野 修了
博士(人間科学)
臨床心理士、公認心理師、日本ロゴセラピスト協会認定 A級ロゴセラピスト

ヴィクトール・フランクルが遺した希望の心理療法「ロゴセラピー」
クリックアンドペイ(以下KL):はじめにロゴセラピーについて教えていただけないでしょうか。
草野氏:ロゴセラピーはヴィクトール・フランクルという著名な精神科医・心理学者が創始した心理療法です。フランクルはユダヤ人でナチスの強制収容所に収容された経験があります。妹を除く家族全員を失い、自身も死の危機に直面しましたが、生き延びてその体験記を著しました。その体験記『夜と霧』は、多くの言語に翻訳されて大ベストセラーとなりました。
フランクルは強制収容所という極限状況においても、人生に意味を見出すことが可能だと主張しました。多くの収容者が「生きる意味がない」と感じ、中には意図的に脱走を試みて命を落とす人もいました。しかしフランクルは、どんなに絶望的な状況でも生きることの意味を見出すことができると考え、その考えをロゴセラピーという理論体系にまとめました。
心理療法には様々なアプローチがあります。例えば、認知行動療法では思考記録表を使用して認知の歪みに気づき修正を行うという技法があります。ブリーフセラピーではミラクル・クエスチョンという特徴的な質問技法があり、「明日の朝起きて奇跡が起こり問題が全て解決しているとしたら、どこでそのことに気づきますか」といった質問をすることがあります。
心理療法において技法はもちろん重要ですが、その技法をどんなセラピストがどのように用いるかによって、効果は違ってきます。重要なことはセラピストの態度です。カール・ロジャーズが提唱したパーソンセンタード・アプローチでは、セラピストがクライエントに対してどのような態度で接するかが最も重要だと考えます。
ロゴセラピーでもセラピストの態度や技法を重視しますが、それ以外の点で特徴的なのは「セラピストが1人の人間として普段からどのように生きているか」を重視している点です。セラピストは相談時間だけでなく、日常生活全般においてフランクルの人間観や世界観に基づいた生き方をすることが望まれます。
ですから、私の場合は、普段からフランクルが提唱する生き方を実践できるよう心がけながら、心理療法場面ではパーソンセンタード・アプローチに基づいた態度でクライエントに接し、必要に応じて認知行動療法等の技法も活用する、という三段階のイメージでセラピーを行っています。
ロゴセラピーでは「意味を見出す」ことを重視します。例えば、仕事の意味が見出せず退職する人や、不登校の子どもたちが「なぜ学校に行く必要があるのか」と悩み、うつ病の方が「なぜ生きていかなければならないのか」と苦しむケースなどがあります。
重要なのは、意味は行為そのものにあるのではなく、人がその行為をどのように捉えるかによって見出されるという点です。例えば、心理学の授業中に突然「グラウンドを10周を走ってきなさい」と言われても、学生はその行為に意味があるとは思えないでしょう。しかし、甲子園出場を目指す野球部員にとっては同じ「グラウンドを10周走る」という行為は、重要な意味を持つ行為となります。
このように、ロゴセラピーは人が生きることに意味を見出していくプロセスを支援することを主眼とする心理療法です。

人生の意味を見出す「ロゴセラピー」の本質
KL:そもそもなのですが、心理的に幸福な状態にある人がロゴセラピーを学ぶメリットはありますか?
草野氏:まず、「心理的に幸福な状態」というのがどういうことか、すなわち幸せの定義について考える必要があります。多くの人、特に子供たちは学校や親から「人生の幸せ」について一面的な教えを受けることが多いと思います。例えば、勉強を頑張っていい学校に行き、いい会社に入り、お金持ちになって欲しいものを何でも手に入れられるようになれば幸せになれるというような教えです。
しかし、この考え方は社会的・経済的な側面だけを重視しています。ロゴセラピーでは、人間の幸せには2つの軸があると考えています。1つは「社会的・経済的な軸」で、金銭や権力、地位、名誉などの成功や失敗を表します。もう1つは「精神的な軸」で、生き方の充実度や充足感、やりがい、生きがいを表します。
例えば、宝くじで大金持ちになり、欲しいものが何でも手に入る状態になっても、次第に虚しさを感じるようになるというケースがあります。この場合、「社会的・経済的な軸」では高い位置にいても、「精神的な軸」では低い位置にいる状態です。
なぜかは自分でもわかりませんが、私はたまたま受験勉強がよくできて、中学受験をして関西の灘中学に合格し、そのまま灘高校、東京大学へと進学しました。周囲からは「勉強ができてすごい」と言われましたが、いつも「勉強ができて何の意味があるのか?」という虚しさを感じていました。いい学校を出て、いい会社に入り、お金持ちになれたとして、人間の生きる意味はそれだけではないはずだと考えていました。その思いから哲学や宗教学を学んで行くうちに、フランクルやロゴセラピーの考え方に出会いました。
確かに、精神的に充実し、生きがいを感じているという意味で幸福な人にはロゴセラピーは必要ないかもしれません。しかし、社会的・経済的な次元でのみ幸福を捉えているような人、例えば、お金がたくさんあってSNSでセレブな生活を発信して「いいね」をたくさんもらっているような人の中にも、心の奥に空虚感や意味の欠如を感じている人は多いと思います。そのような人々にとっては、ロゴセラピーの考え方は非常に有益だと考えます。

意味の実現が導く新たな人生
KL:確かに、社会的・経済的に成功しても、空虚感や意味の欠如を感じている人は多いと思います。空虚感や意味の欠如に対し、ロゴセラピーではどのような施術がおこなわれるのでしょうか。事例などがあれば、教えていただきたいです。
草野氏:私が病院に入院している生徒のための院内学級でスクールカウンセラーをしていた時の事例をお話しします。個人情報保護のため詳細は控えめにしますが、カウンセリングを行った高校生の事例です。(※インターネットでの公開にあたっては、ご本人とご家族の承諾をいただきました。)
その高校生は病気の発症前は学業優秀で、勉強を頑張って希望の大学に進学することを目標にしていました。しかし、突然脳梗塞となり、従来目指していた進路を断念せざるを得なくなり、深く傷つき、落ち込んでいる状態でした。
優れた能力を持ち、世間から評価される成果を出すことはもちろん素晴らしいことです。しかし、たとえ限られた能力しか持っていなくても、現在の自分にできることを最大限行うこと、現在の自分にとって最も意味のあることを行うことが、人間が生きていく上で最も重要だという、ロゴセラピーの考え方を伝えました。
例えば、大谷翔平選手はメジャーリーグでホームランを打ち、160キロを超える速球を投げることに意味があるでしょう。しかし、全ての人が大谷翔平選手のような能力を持っているわけではありません。高校野球部の補欠選手であれば、剛速球を投げることができなくても、例えばレギュラー選手の練習をサポートすることができます。
世間一般の基準でいえば、メジャーリーグでホームランを打つことと、高校野球部で練習のサポートをすることには大きな価値の差があるように見えるかもしれません。しかし、ロゴセラピーの考えに基づけば、両者の行為の価値は同じです。どちらも自分が置かれている状況において、できることの最善を尽くしているからです。
その高校生に、このようなロゴセラピーの考え方を伝えたところ、今が人生の新たな出発点だと理解してくれました。病気になる前は、将来の夢を叶えるために勉強して良い大学に行くことを目指していました。しかし今は、病気を患った現在の自分の状態からゼロベースで、自分のできることを考え直し、新しい目標を見つけることに価値があると気づいてくれました。
この生徒はもともと、航空整備士になることが夢でしたが、脳梗塞の影響で航空整備士になることは難しくなりました。しかし、仮に航空整備士になることはできなくても、空港や飛行機の近くで働くことができれば、それも夢が叶ったということだと考えられるようになり、将来のことをより広い視野で考えられるようになったと手紙で伝えてくれました。
同様の考え方は他の場面にも適用できます。例えば、医師になることを目指している学生の場合を考えてみましょう。もし医師を目指す理由が高収入や社会的地位のためだけならば、その目標の意味は薄いといえるでしょう。しかし、医学の力で病気の人や困っている人を助けたいという思いで医師を目指しているのであれば、たとえ学力が足りず医学部に進学できなくても心配することはありません。看護師や介護士、病院でのボランティアなど、様々な形で人々を助けることができ、こうした仕事の価値は医師に劣るものではありません。
このように考えることで、夢を叶えることの可能性は広がります。ロゴセラピーによって、現在の自分では駄目だという考えから、どんな状況でも、いつからでも意味のある行動ができるというような発想の転換が可能になります。

良心と自己超越 人間の価値を問い直す
KL:「最善を尽くしているという点で同じ価値を持つ」という場合の価値について、もう少し詳しくお聞きしたいです。例えば、社会に大きく貢献している人と、詐欺師や犯罪者など、両者の生きている価値をロゴセラピーではどのように考えるのでしょうか。
草野氏:ロゴセラピーでは、人間の命の価値は全て同じという考え方をします。ただし、詐欺師として人を騙したり、弱者をいじめたりすることを許容するわけではありません。
ロゴセラピーでは「良心」という概念を重視します。先ほどの補欠の野球部員の例では、レギュラー選手のため、つまり自分以外の誰かのために一生懸命努力しているという点が重要です。一方、詐欺師は相手のことを考えず、自分の利益のためだけに行動します。
意味を実現する際に重要なのは「良心」と「自己超越」です。自己超越とは、自分自身を超えて、自分以外の誰かや何かのために意味のある行動をすることです。
意味のある行動と意味のない行動の違いを説明するために、ある刑罰の例を挙げます。古代には、囚人に穴を掘らせ、その穴を埋めさせ、また同じ場所を掘らせ、また埋めさせるという作業を繰り返させる刑罰があったそうです。肉体的な重労働に加えて、精神的にも辛いのは、穴を掘ることに全く意味がないからです。穴を掘る目的は次に埋めるためだけで、その行為が自己完結してしまい、他の何にもつながっていきません。
一方、同じ穴掘りという行為でも、発展途上国で水不足に困っている村人のために井戸を掘るという場合であれば、肉体的な労力は同じでもその意味には大きな違いがあります。井戸を掘って水が出てきて村人が救われるという形で、自分の行為が他者の幸せにつながっているからです。
人間の存在という観点から考えると、自分の利益だけを追求する行為は自己完結的で、最初は満足感があるかもしれませんが、次第に「自分は誰かの役に立っているのか」「社会における存在意味があるのか」という疑問に直面しやすくなります。
自分の存在に意味を感じるためには、自分の行動が他者や社会につながっていること、良心に根ざしていることが重要です。詐欺師などの人を騙す行為をする人たちは、良心に従った生き方ができていないため、心の底から自分の生き方に満足できないのではないでしょうか。
実際にあるのかどうかは知りませんが、刑事ドラマでは、立てこもっている犯人に母親を連れてきて説得を試みるという場面が出てきます。この作戦は、犯人の中にも良心が眠っているという前提に基づいており、母親の説得によって犯人の良心を呼び覚まそうとしているわけです。
ロゴセラピーでは、どんな悪人と呼ばれる人の中にも良心は存在すると考えます。良心に反した行動を重ねていけば、次第に虚しくなり生きる意味を感じられなくなります。逆に良心に従った行動を重ねていけば、誰かに感謝されたり、誰も見ていなかったとしても自分で自分を好きになれたり、自分が生きていることの意味を実感できるようになるでしょう。
理想論に聞こえるかもしれませんが、ロゴセラピーでは、人間はこのような存在だと考えています。

現代社会におけるロゴセラピーの課題
KL:ロゴセラピーの考え方はわかりました。では、ロゴセラピーにおける問題点などあるのでしょうか。
草野氏:最も大きな問題点は、ロゴセラピーの定義の難しさです。ロゴセラピーとは具体的にこうしたりこう言ったりすることだ、という定義ができません。現状では、ロゴセラピーとは「ロゴセラピーの理念に従って、自分自身の人生を意味あるものにしようと生きているセラピスト(ロゴセラピスト)が行うセラピー」という説明の仕方になってしまいます。
一方、心理療法の中には、具体的な方法が明確に定められているものもあります。例えば8週間かけてこのようなプログラムを行う、ということが決まっていたりします。治療的介入のターゲットとなる症状や問題行動を特定し、介入の前後でそれらの変化を数量的に測定することによって、治療効果のエビデンス(科学的根拠)を示すことができます。こうした明確な方法論がある心理療法は、様々な患者に対して同じ治療を実施し、その結果どのような変化が起きたかを実証的・科学的に研究しやすい特徴があります。
しかし、ロゴセラピーには明確な理念はありますが、方法はセラピスト個人の判断に依存し、クライエントの発言に対する応答も状況に応じて変化します。セラピストの言動は常に臨機応変、ケースバイケースです。したがって、何が治療的に作用したのかというエビデンスを収集しにくく、現代では評価されにくいかもしれません。
というのも、保険診療の適用判断や国家予算の配分といったマクロレベルの判断においては、エビデンスが不可欠だからです。国の予算をエビデンスが明確でない治療法に配分することは困難でしょう。そのため、客観的な指標によって評価することのできる実証的な治療法が社会の主流となり、ロゴセラピーが周辺的な位置づけとなるのはやむを得ないと私も思います。
ただし、ロゴセラピーが社会の主流にはならなくても、ロゴセラピーの理念が消滅してしまわないように社会に伝え続けることは、非常に重要だと考えています。なぜなら、ロゴセラピーのような考え方は社会の「ブレーキ役」として必要だからです。
人生における縦軸と横軸の話に関連しますが、横軸の要素(年収、所得など)は数値化が容易です。一方、縦軸は自分自身の主観的な感覚であり、数値化や定量化が困難です。
現代の資本主義社会への批判にも通じますが、社会が目に見える数値でのみ物事の価値を判断するようになれば、人間として最も大切なものが見失われる危険性があります。私のクライエントのように、優秀な成績で進学していた学生が病気で学力が低下した場合、人間としての価値が下がったかのように本人や周囲が考えてしまうことがあります。このような考え方は危険であり、避けるべきです。
全てを定量的に測定し、数値が高ければ良い、豊かであれば良いという考え方に対するアンチテーゼとして、ロゴセラピーの考え方を伝え続けていくことは、私は大切だと考えています。

人生の意味という答えのない問いへの向き合い方
KL:では、ロゴセラピーで考える、私たち人間が生きていることの意味について教えていただけないでしょうか。
草野氏:少し期待外れかもしれませんが、ロゴセラピーでは「人間は○○のために生きる」という全ての人間に当てはまる普遍的な正解は存在しないと考えます。もし明確な答えがあれば簡単なのですが、残念ながらそのような答えは存在しない、というのがロゴセラピーの立場です。
この点がロゴセラピーと宗教の大きな違いです。例えば仏教では、現世で徳を積むことで来世でより良い場所に生まれ変わり、悪事を働けば地獄に落ちるという輪廻転生の考え方があります。生まれ変わりを繰り返して徳を積み続け、最終的に輪廻から解脱することが人間の生きる意味だと教えています。キリスト教であれば、聖書の教えに従って生きることで、たとえ現世では報われなくてもやがて最後の審判がきて永遠の天国に行くことができると考えます。
この考えを信じることができれば、現在の苦労や不条理さも受け入れやすくなります。真面目に生きることが辛く、不正な方法で利益を得ている人々を見ると腹立たしく感じるかもしれません。しかし、「悪事を働く者は来世で地獄に落ち、真面目に生きる自分は良い場所に生まれ変われる」と考えれば、真面目に生きるモチベーションとなり、社会秩序が維持されます。
ただし、この考え方は信仰の有無に大きく依存します。輪廻転生や最後の審判を信じることができない人には、真面目に生きていく動機が見つからない可能性があります。
それに対して、ロゴセラピーは、人生の意味についての普遍的な答を提示するものではありません。各個人が自分で自分の人生の意味を見出していく必要があります。ロゴセラピーの理念から「どのように生きれば人は人生に意味を見出すことができるか」という生き方の方向性を示すことはできますが、本人が実際にそのように生きなければ、たとえロゴセラピストであっても他者に意味を与えたり教えたりすることはできません。
私の学生時代は勉強はできたけれどそのことに意味を見出せなかった、という話をしました。その頃ずっと考えていたのが「人間はいったい何のために生きているのか?」という問いでした。しかし、このように「人生には何の意味があるのか?」と問うこと自体が、方向性としては間違っていたのです。いくら問うても神様が現れてお告げをくれるわけでもないし、その答えは永遠に得られないからです。
ロゴセラピーでは、人間は人生から問われている存在だと考えます。人生は「あなたは今何をするのか?」と問いかけてきます。人生は「あなたはこれをしなさい」という命令はしてきません。しかし、常に「今この瞬間に最も意味のあることは何か」を問いかけています。その問いに対して自分で答えを見つけ、実行することが大切です。
先ほども例に挙げた高校野球部の補欠選手の場合を考えてみましょう。レギュラーになれなかったことで挫折し、「自分には才能がない」とふてくされて努力をやめることもできます。レギュラー選手に嫉妬して、スパイクに画鋲を入れるということだって、やろうと思えばできます。しかし、良心に従って考えれば、そのような行為に意味はないでしょう。補欠という立場で最も意味のある行動は、例えばレギュラー選手の練習をサポートすることなどが考えられますし、それ以外にも様々な意味ある行動の選択肢が見つかるでしょう。
別の例でも考えてみましょう。私がロゴセラピーの講演を行っているときにいつも例に挙げるのは、まさにその瞬間の「私がロゴセラピーについて講演を行っている」という状況です。その状況で、私がとることのできる行動の選択肢は無限にありますが、以下に3つ挙げてみます。
  1. できるだけ分かりやすくロゴセラピーについて説明する
  2. 緊張して怖くなってきたので、途中で逃げ出す
  3. ちょうどマイクを持っているので聴衆にカラオケを披露する
この3つの行動の選択肢のどれを選択することも、講演中の私には可能です。しかしその状況でどの選択肢に最も意味があるかと考えれば、それはAでしょう。しかし、状況は刻々と変化していきます。もしも講演中に大地震が発生すれば、その状況でいくら分かりやすくロゴセラピーの説明をしても、そのことに意味はありません。その状況では、落ち着いて冷静に避難することが最も意味のある行動となるでしょう。
このように、時々刻々と変化する状況の中で、自分の良心に照らして最も意味のある行動を選択し続けていくことによって、人生を意味あるものにすることができます。言い換えれば、私たちが「人生の意味」を実現するためには、一瞬一瞬変わりゆくそれぞれの状況において「瞬間の意味」を実現していくことが必要だということです。
「人生の意味」と「瞬間の意味」について、私は川のイメージで考えています。例えば東京の利根川を見る時、昨日も今日も明日も、それは同じ「利根川」という名で呼ばれる川です。しかし実際には、昨日見た利根川と今日見た利根川は、全く別のものです。なぜなら、昨日と今日でそこに流れている水は全て入れ替わっているからです。「川」とは実際には一粒一粒の水滴の集まりにすぎません。しかし、それを俯瞰して見たときに、私たちはそれを「川」という1つの実体であるかのように認識します。
人生も同様で、私たちは「人生の意味」「人生とは何か」という風に、まるで人生というものを1つの実体であるかのように扱いがちです。しかし実際には、人生とは誕生の瞬間から死の瞬間までの「瞬間」の集合体です。それぞれの瞬間に自分がどのような行動を選択するか、その行動は自分だけのための自己完結的なものでなく他者や社会に開かれた自己超越的な行動になっているか、それが重要です。
無限に続く瞬間の中で、意味のある行動が選択できないことはいくらでもあります。「本来はこうすべきだった」と後悔することもあります。しかし、後悔している間にも次の瞬間は訪れています。過去の失敗を悔やんでいる暇があれば、今現在のこの瞬間にできる最も意味のある行動を選択すれば良いのです。
自己完結的ではなく自己超越的であることが大切だと述べましたが、常に100%完璧に他者のために生きることは誰にもできません。もちろん私自身もできていません。ですから、できない自分を責める必要は全くありません。しかし、単に自分の利益だけを追求したり、周囲に流されて行動したりするだけでは、人間は自分が生きていることの意味を見失ってしまいます。100%完璧には無理でも、それぞれの瞬間において良心で感じ取った最も意味のある行動をできる範囲で積み重ねていく。私たちにできることは、ただそれだけです。
そのような生き方ができれば、人生は価値あるものとなり、自分が意味のある存在だという実感が得られてきます。逆に、自分の利益だけを追求するような生き方をすれば、「自分が生きていることに何の意味があるのか」という虚しさを感じることになるでしょう。

ロゴセラピーの今後とアドバイス
KL:先生もおっしゃられたように、ロゴセラピーの考え方は素晴らしいのに、世間であまり認知されていないように感じます。今後ロゴセラピーは世の中に浸透していくのでしょうか。
草野氏:2024年の4月から、NHKの「こころの時代」という番組で6回シリーズとしてフランクルやロゴセラピーをテーマとした放送がされました。また、著名人の中にもフランクルの思想に触れている方々がいます。
例えば、女優の門脇麦さんは、ヴィクトール・フランクルの考え方に救われたと公言しており、NHKの「こころの時代」のナレーションも担当しています。ボクサーの村田諒太さんも、ボクシングという過酷な世界でヴィクトール・フランクルの思想に影響を受けたと語っています。
東京大学教授の福島智先生も、全盲ろうという状況でありながら、フランクルの思想に救われたと述べています。また、東日本大震災の直後には、仙台の書店でフランクルの著書が人気を集めました。人々が自力では如何ともし難い状況の中で意味を見出せる思想として注目されたためです。
このように、これまでにも多くの人がヴィクトール・フランクルの思想について語っているのですが、「ロゴセラピー」という言葉はあまり使用されていませんでした。その理由は、フランクルの著作が哲学的な内容に重点を置き、実践的な心理療法としての方法論についてはあまり記述されていなかったからだと思います。
ロゴセラピーの実践方法は、フランクル自身よりもその弟子であるエリーザベト・ルーカスの著書で、より具体的に論じられています。今回私たちが翻訳したのが、そのルーカスの著書『ロゴセラピー 人間への限りない畏敬に基づく心理療法』です。これは、フランクル以降のロゴセラピストによるロゴセラピーの実践に関する著書の初めての邦訳だと思います。
私のロゴセラピーの師匠であり、「こころの時代」の解説も務めた勝田茅生先生は、ドイツに在住しながら、年に3回日本に帰国してロゴセラピストの養成を行っています。勝田先生は、ルーカスのもとでロゴセラピーを学び、日本人初のロゴセラピストとなった人です。今回ルーカスの著書の翻訳を出版できたことで、ロゴセラピーがより広く普及していく可能性があると感じています。
ロゴセラピーがそれほど普及しない理由として、私にはもう一つ思うことがあります。ロゴセラピストとしては、ロゴセラピーを広めることが最優先にはならないということです。なぜなら、ロゴセラピストにとって最優先のこと、すなわち今この瞬間にこの状況で最も意味のあることを行うということは、目の前のクライエントにとって最善の援助を行うことだからです。
クライエントにとって最適な方法を提案し、クライエントにとって最善の援助を提供した結果として、ロゴセラピーが広まればうれしいですが、ロゴセラピーを広めるということ自体は、ロゴセラピストにとって直接の目的にはなりません。「目の前の人にとって最善のこと」よりも「ロゴセラピー」を優先してしまえば、私はロゴセラピストではなくなってしまいます。そこに矛盾があり、マーケティングという観点からは弱いかもしれませんが、個人的にはそれでも構わないと思っています。
KL:ありがとうございます。では最後に、この記事の読者には企業家志望の学生が多いため、企業家志望の学生向けにアドバイスをいただけますか。
草野氏:ビジネスの世界でも、自分や自社の利益だけを追求する姿勢では成功は難しいと聞きます。もちろん、事業として赤字は避けなければならず、利益を上げることは重要でしょう。しかし、自分たちのビジネスが社会にどのように貢献できるか、言い換えれば、自分たちのビジネスが社会にとってどのような意味を持つか、という視点を大切にしてもらいたいと思います。
私の知る限りでは、優れた経営者はみな社会への貢献という意識を持っているように思います。社会への貢献と自社の利益は対立するものではなく、社会の利益を実現しようとすることが、結果として自社の利益にもつながる好循環を生み出すのではないでしょうか。「自社中心主義」ではなく「意味中心主義」の視点でビジネスを展開していただけると、ロゴセラピストとしてはうれしく思います。インタビュー

感想
 ロゴセラピーに私がロゴセラピーに関する本を読んだメモと感想を掲載しています。

 ロゴセラピーはセラピーの側面を持っていますが、エデュケーションの要素が大きいセラピーです。
 生きる意味が見いだせない、何のために生きているのか分からない、なぜ死んではいけないのかなど、生きる根源の問いにヒントを与えてくれるように思います。