強い揺れの地震に見舞われたとき、私は地下の仕事場に1人でいました。
中々収まらない揺れに、ビックリしました。
幸い、私や、同居の息子達の所では、何の被害もありませんでした。
しばらくして、TVで、東北地方を中心に甚大な被害が出ているとの報道を見て、とっても驚きました。
その時、主人は、知人の奥様のお通夜に出席の為、上越・長岡に向かっていましたので、どうなったかとても心配でした。
電話がつながらず、連絡が取れたのは、夜8時過ぎでした。
主人の話によると…
3月11日、午後1時46分、上越・長岡に到着。バスで知人宅に向かい、2時40頃、到着。
間もなく、2時46分、地震発生。長岡では、余り大きな揺れは感じず。
葬儀に出席の皆さんがTVで、刻々報じられる深刻な被災状況に見入る。
5時頃、長岡市内の通夜式場に移動。
6時30分からの通夜に出席。
新幹線がストップ、長岡駅のステーションホテルに泊。
12日、早朝、上越に震度5強の地震。ホテルのエレベーターがストップ。
新幹線動かず、本日の母校「西戸山中学校・閉校式」出席を断念。
告別式に出席。
新幹線の再開を待つ。
新幹線が再開後、最初の列車が長岡に到着したのは、午後5時頃。
長岡で乗車後、自宅に着いたのは、夜10時30分頃。
以上が、地震後のドキュメントでした。
主人は、初めての土地で、新幹線の開通を一人で何時間もじっと待つ間に、次々に入る「大震災」の報道に思いを寄せていたそうです。
その時の思いが、主人が「東日本大震災 記録・教訓・復興」を立ち上げるきっかけになりました。
実は、もう一つの心配事が発生していました。いつも、主人の親戚が寄り合ってお墓参りをしていますが、その中心の方が、11日午前、自転車で転倒し、頭部を強打して、緊急手術を受けたとの知らせが入っていました。 明日、主人と二人で御見舞いに伺うことにしました。
〔余談〕 その後、間もなくの3月末、何と主人自身が自転車で転倒。メガネ飛ばすほど左顔面を打ち、手首と胸を痛めました。当日午前中は、掛かり付け医の健康診断で、「私の自慢は、自転車で急な坂道を平気な顔をして漕ぎ上がることです」と自慢していたそうです。過信か?、焼きが回ったのかしら…?。