小千谷から(Ojiya kara)

新潟県中越大震災の、とある被災者からのメッセージ
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ボランティアと被災者の距離のとりかた

2005年06月13日 01時52分55秒 | 新潟県中越大震災・地震
小千谷市民で被災していながら震災直後からボランティアセンターに登録してボランティア活動を続けていた方と話をしていて「そうそうそう!!」とすごく頷いたことがありました。
ものすごく大変なときを一緒に乗り越えてきて、ボラ同士は戦友のような意識を持ちはじめるのだそうです。
しかし、彼女は普通のボラではなく被災ボラです。

はじめは「いいよいいよ!泊まって酒でも飲んでいきな~」と自宅にボランティアを宿泊させてあげていた彼女も、段々とその付き合いが負担になってきたと言います。
家族もいい顔をせず親子喧嘩はたえなくなり。
こっちは被災してんだぞ、ゆとりがないんだぞ、ボラなんかしてる場合じゃねーだろ、と。
でも一度いい顔をしてしまった彼女にその県外ボランティアはどんどん甘えを見せはじめました。

数ヶ月経ってそのボランティアは「また小千谷に行くから!」と言ってやってきて彼女の家に連泊したといいます。
泊めてくれて当たり前、といわんばかりに。
いつ帰るともいわない。食事だって彼女の家庭が負担する。
冗談じゃないよ、と・・・。
あんたのために私は時間や生活を犠牲にしなきゃいかんのか?と。

なんで被災ボラが県外ボラの世話をしてるんだ??って。

勢いと人情で突っ走ってきた被災ボラ。
しかし彼女は「ボランティアなんかするんじゃなかった。。。」と苦悩を語ります。

被災者の負担になっていませんか?
「僕は新潟のために何かしたいんだ!」
「私は新潟のために必要な人間なんだ!」
自分のアイデンティティを問い直したいがためだけのエゴボランティアになっていませんか?

そこに被災者のニーズが本当にあるのか いまいちど確認しないと、それは「押し付け」「ありがた迷惑」「自己満足」「ひとりよがりボラ」になってしまいます。

物を贈るとき、その人は本当にそれが欲しいのでしょうか。
なんでもいいからモノをあげたい ではかえって失礼になることもあります。
そして我々被災者は「ありがとう」としか言えないのです。
善意を断れない・・・それは個人対個人の付き合いになるほど余計言えることだと思います。

被災地に行くときに足や宿泊場所を被災者に頼ったりしてませんか?
被災者は忙しいのですよ。時間は本当に貴重です。

親子のような強力な信頼関係があるなら話は別です。
孫のように可愛がられていて「おいでおいで!寄ってけ!泊まってけ!」と言われて「じゃーお世話になります」とちゃんと約束して行くのならいいのですが。

今駅に着いた。今どこどこにいる。足がないんだけどどうしよう~。
といきなり電話がきても困るのです。
遠くから来た人ならなおさら。
結局無理やり時間を作って予定をあとまわしにしたりすることも多々ありました。

大至急ママさんの撮ったビデオテープを送ってください。
今すぐに福岡県庁の○○さんに資料をまとめてメールしてください。
また○○の動画を撮って配信してください。
仮設住宅のこんな人を紹介してください。

・・・・せっつかないでください。
私はお母さんなんです。
子供が病気になったり卒業式や入学準備などでてんてこまいだったんです。
ボランティアのコーディネータではありません。
そしてボラするのもお金がかかります。
余裕のあるときに「自分が選んだことだけ」をできることからちょっとずつしているだけなのです。
それをいちいち説明するのも負担です。
できないことはできないと言ったら丁重に謝罪してくださった方もいらっしゃったのですが・・。

この数週間こういうことが重なり疲れてました。
そしてエントリーを書くのに2週間悩みました。
傷つく人が必ずいるからです。
だけど、これを書かなければまた同じ行為を繰り返してしまう人もいるでしょう。

そして私自身もこの先ボランティアをするときに肝に銘じておかなければならないことだと思っています。