最近、高齢ドライバーによる道路逆走や運転操作の誤りによる事故が急増している。確かに、歳を取ってくれば、否が応でも、認知機能は低下し、運転に必要な能力が怪しくなるのは仕方ないことだ。さらに、個人差も大きい。自分がその危険ドライバーに入るのかどうか?それを判断するのはとても難しいことだ。運転には自信を持っている人が多いし、自分の運転の欠点については、なかなか客観的にその能力を知る機会は非常に限られている。運転には非常の多くの能力が関係していて、反応速度が速ければいいというものでもない。反応速度が速いということで自信を持ち過ぎると、安全への配慮を欠いてしまうということもある。また、平常心を維持する能力ということも、運転には必要なことだ。自己の運転技術や傾向について、良く知っておくということは非常に重要なことだ。
ところが、人間というもの、自分の判断が怪しいものだと気づいても、それを認めるには相当の勇気と覚悟が必要だ。そのため、判断が先延ばしに、現状維持を続けているうちに、大きな事故を起こすという結果を招いてしまう。そうならないためには、やはり自動車を運転していて、ヒヤリとした体験(ヒヤリハット)をした時には、現状をしっかりと把握するように心がけたいものだ。
車を運転しないで生活するということは、生活全般にこれまでの生活スタイルを変えるということも意味しているように思う。電車、バス、タクシーといった公共交通機関を上手に利用することが不可欠になって来る。当然、ダイヤに合わせて、時間調整ということも大事になって来るだろう。まあ、そういう時間を利用して、音楽を聴いたり、本を読んだり、過ごし方は色々考えられよう。車を運転していた時には考えられないことだが、 時には、昼食にビールを一杯飲むということも可能になってくるし、車を運転しないからこそできるちょっとした贅沢ということにもなろう。いずれにしても、生活は劇的に変わるということだと思う。それを不便になったとか、便利になったとか、とらえ次第でいかようにもなることだと思う。