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DonkeyMの部屋

Donkeyはロバ。格好良くなく、足も遅い。「のろま」とか「馬鹿」といった意味。日々の感動、怒り、愚痴等を記事にしたい。

北朝鮮 ミサイル発射に失敗?

2017-04-16 11:27:52 | 雑感

 北朝鮮がミサイル発射に失敗と簡単にテレビでニュースを流しているが、それで良いのだろうか?成功するも失敗するも、行為としては全く関係がない。アメリカの圧力に抗して、ミサイルを発射した事実には変わりがない。少なくとも、トランプ氏には、北朝鮮が反抗してきたと取るだろう。これに対して、中国が即対応措置を講じない限り、トランプ氏が北朝鮮攻撃に踏み切る可能性は非常に高まったということではないのだろうか?

 いったんアメリカが攻撃を始めた途端に、北朝鮮が全面戦争を辞さずに韓国や日本に対してミサイル攻撃、核攻撃を仕掛けてくるおそれもあるわけだろう。私は、とても不安でたまらないが、日本は何とのんびり構えているのだろうか、不思議でならない。最も、政府の行動は最重要機密だろうから、そう簡単にニュースに流れるはずもないのだろう。平成を装っているだけなのかも知れない。

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天皇を隠れ蓑に、国民を騙し続けるのは、やめたら?

2017-04-16 06:23:26 | 雑感

 天皇が政治的な力を失ってから、もう何世紀たったことだろう。少なくても、鎌倉幕府の頃には、既に実権は鎌倉幕府にあり、天皇はお飾り的な存在になっていたように思う。それからというもの、天皇家は、幕府に世継ぎのことまで口出しされ、時には島流しにもされた歴史がある。それなのに、その時々の政権を握った人たちは、天皇を錦の御旗に押したて、国民を支配し続けてきた。それは、国民を支配するのに非常に便利なアイテムだったからだろう。

 今回、天皇が生前退位をお口にされ、安倍首相は、それを無視し続け、そのことがマスコミに漏れ、大きなニュースになるや否や、「憲法違反のおそれ」と口に出し、天皇の発言を牽制し、そして、有識者会議なる怪しい会議を開いて、天皇の継承について検討し始めた。自民党憲法改正草案で、天皇は「元首」と文言を変えようとする一方、この有様だ。下心がありありと見えて、とても、おかしく感じられてならない。

 本来、天皇の継承については天皇家が決めれば良いことだろう。これは、憲法に保障された基本的人権そのものではないのか?天皇にはそれさえも認めず、操り人形でいてもらわなくては困るという話なのか?天皇からしてみれば、言語道断な仕打ちと言えるだろう。有識者会議などという怪しい会議なるもので、国民を誤魔化すのではなく、正々堂々と国会で討議するべきではないのだろうか?

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日本って、日本人っていったい何なんだろう?(3)

2017-04-16 00:45:59 | 雑感

「日本って、日本人っていったい何なんだろう?」と、考えてみるとき、日本語の持つ特徴に焦点を当ててみるのも、面白いかも知れない。

 欧米や中国の言葉が、主語の後に、動詞が来るのに比べ、日本語の場合、動詞はずっと後の最後に来る、これは最大の特徴だと思う。誰が何をするかが文章や言葉の上でどうしても欠かせないところだ。これがなくては全く意味を成さない。私たちが英語を習い始めた頃、英語と日本語の違いで、まず、驚いたのはこのことだ。そして、和訳するときに動詞の部分を最後に持ってきて約す。ところが、欧米人や中国人は、決して日本語訳のように戻るように考えているわけではない。思考のパターンがそういう順序になっているのだろうと思う。

 また、欧米の言語では、質問に対して、必ずYesかNoが先に来る。意思表示が実にはっきりしている。ところが、日本語の場合、質問に対して、最初に「Yes、No」と意思表示することなく、話の最後になってようやく賛成なのか反対なのかが分かる。場合によっては最後まで来ても、曖昧に濁してしまうときも少なくない。欧米人から日本人は何を言っているのか分からないと言われるゆえんなのかも知れない。

 日本語は、中国から輸入した「漢字」と、日本人が漢字の一部を変化させて考え出した「平仮名」と「カタカナ」によって表示される。中国の長い歴史の中で使われ続けた多くの語彙と意味の深さがそのまま日本語に取り入れられているし、日本の中で作り上げられた単語も少なくない。平仮名については、日本独自のことば、言い回しを表現するのに使われる。戦後、外来の言葉はカタカナによって標記されるようになった。これがまた絶妙な使い方がされ、言語に近い音を生み出すことができるようになった。例えば、「バイオリン」と標記されていたものが、「ヴァイオリン」と標記されたりするようにもなった。もともとカタカナには「ヴァ」などという表し方はなかったものだが、それが作られ、通用するようになってしまったのだ。実に、変化を取り入れるに便利な文字だ。

 このように多様性を備えている言葉を使っている日本人もまた、多様性に富んでいるということなのだろうと思う。

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