日本の歴史を紐解き、大雑把に言うと、縄文時代は、狩猟や魚介類、木の芽などを採取し、食料としていたようだが、弥生時代には、米が伝来し、各地で米が栽培するようになったようだ。もともと米というものは、亜熱帯の植物で、暖かい気候を必要としていたし、水がどうしても欠かせない。そういう観点から見ると、農耕を中心とする日本人は、南から北へと日本全土に広がっていったものと考えられている。
米という植物は、水を上手に管理して、田植えの時期には田に水を入れ、刈り取りの時期には、水を抜き、田を乾かす必要がある。そのため、整地し、水路を作るといった基盤整備が欠かせない。そのための、技術や財力を必要とし、また、一人の力では対応できず、村全体で共同して作業していくことも必要になって来る。また、村の中で生きていくためには、他と協調していくことが要求され、強く自己主張をするような人は、周りから疎まれ、排除されていくことになる。そうして、出来上がったのが現代の日本人ということになろう。
日本人が欧米人に比べて、自己主張をあまりせずに、もくもくと作業を続けるといったところ、自己表現力に欠け、人に同調しやすいところなどは、こうした歴史的な背景があるのだろうと思う。過度の自己主張は、集団にとって、不協和を生むことになるため、抑制されることになるわけだ。
一方、米を中心とした食生活から、味に対してはかなり繊細な味覚が培われ、繊細な料理が生み出されるようになったようだ。限られた食材の中、より美味しく食べるという工夫が、和食を作り上げているように思う。素材の味を活かしつつ、微妙に変化を付けて、美味しく食べる。その辺が他の国の料理と大きく違うところなのだろうと思う。