義姉が帰った翌朝、妻が「姉が来ていたとき、足のマッサージに来なかったね!足のマッサージなんていらないと思ったの?普段、どういうつもりでマッサージしていたの?」などと、言って来る。どうも、姉にも足をマッサージしてとまでは言えなかったようだ。まあ、私は、色々と言いやすい存在なのかもと思い、少し嬉しい気分になった。
人間ってとても変な動物だ。面倒だと思っても、頼られていると思うと嬉しくなる。まあ、そんなもんか、誰かに必要とされることって、大事なことだよね。やる気が出てくるような気がする。
義姉が帰った翌朝、妻が「姉が来ていたとき、足のマッサージに来なかったね!足のマッサージなんていらないと思ったの?普段、どういうつもりでマッサージしていたの?」などと、言って来る。どうも、姉にも足をマッサージしてとまでは言えなかったようだ。まあ、私は、色々と言いやすい存在なのかもと思い、少し嬉しい気分になった。
人間ってとても変な動物だ。面倒だと思っても、頼られていると思うと嬉しくなる。まあ、そんなもんか、誰かに必要とされることって、大事なことだよね。やる気が出てくるような気がする。
昨日、手羽元のコーラ煮をよそって妻に出した。いつもの食事量から考えて、少し少な目によそったら、妻は、私の皿と自分に出された皿を見て、「大根が一杯の方が良い!」と言って来た。大して量は変わらないのだが、見た目に私の皿の方が多いと感じたらしい。「そんなに欲張っても、食べられないだろう!」と思いながらも、皿を交換した。案の定、大根が多い分を残した。私は内心、「やっぱり食べられなかったじゃないか!」と思いつつ、残した分は私が平らげた。
同じようなことが、最近、しばしば起こり、繰り返されている。見て食べたいと思うらしいが、普段、少量しか食べないため、胃の許容量が限られていて、それ以上は食べられなくなっているのだ。その辺が私との違い、私は、子どもの頃から、動くのが億劫になるほど胃の中に詰め込めるだけ詰め込んで、「満腹、満腹!」と良いながら、大満足を得ていた。それは未だに続いている。そのおかげで、食べようと思えば、二人前は平気で食べられる胃を持っている。まあ、鍛え方が違うというもんだ。ところが、妻は違う。美味しいもの、食べたいものを少し欲しいタイプ。だから、弁当を買って来ても、私の方の弁当を見て、「美味しそう!少し味見して良い?」と言って来る。食堂に入って食べるときも、同様で、私の注文した品にも、箸を伸ばしてくる。これは若い頃から変わっていない。でも、歳をとって、食べられなくなってきた分、「目が欲する」ことが多くなってきたようだ。
妻は、グルメ番組を見ていることが多く、余程、「美味しいもの」を食べたいらしい。まあ、私も、不味いよりは美味しい方が良いに決まっているが、それ程のこだわりがない。だいたい味が分からないので、どれだけ上手いのかということも想像できない。そういうことにあまり興味がないのだ。それよりはメカに興味があり、欲しいと思うのだ。まあ、何に重きを置くのかは人それぞれだから仕方ない。