どんぴ帳

チョモランマな内容

はくりんちゅ191

2008-05-21 00:18:10 | 剥離人
 人間、仕事が終われば開放感で気持ちが弛むものである。

 出発が三時間遅れたこともあるが、私はだんだんN県N市まで走るのが嫌になって来ていた。
「小磯さん、なんかこの辺に泊まりたくないですか?」
 私は助手席の小磯に提案してみた。海岸沿いの道路を走っていると、とても雰囲気の良い民宿を見かける。私は無性に、その海に面した民宿に泊まりたくなっていた。
「ん?俺はイイけど、木田君は試験があるんじゃなかったっけ?」
 私には会社からの至上命題である、『一級土木施工管理技士』の試験を受けるという最後の職務が残されていた。
 本来はA県N市で受験する予定だったのだが、今回の出張が入ったので、急遽試験会場を変更し、N県N市で受験することにしていた。
「試験は日曜日だから問題ないですよ」
「俺はイイけどね、ハルはどうよ?」
「え?俺はどっちでもイイよ。二人に任せるから」
 後部座席のハルは、本当にどちらでも良いと言う顔で海を眺めている。
「じゃ、あと少し走ったら、適当に宿を探しましょう!」
「がははは、本当に木田君は、仕事以外では全然計画性が無いね」
「ええ、良く言われます」
 私はひなびた民宿を楽しみにして、車を走らせた。

 一時間後、私たち三人は、海沿いの小ぢんまりとした民宿の一室に居た。
「木田君、どうして海沿いの宿なのに、海が見えないのかな」
 我々が案内されたのは、なぜか海とは反対側の二階の部屋だった。海に面した部屋は小さい部屋なので、三人は無理だとの理由だった。
「まあまあ小磯さん、この眺めも中々捨て難いですよ。見て下さいよ、この線路!」
 部屋の窓からは、日本海の海岸沿いを走るU本線の線路が、目の前に見える。
「ま、確かに線路は見えるよ」
「どーですか!」
「木田君?俺は『てっちゃん(鉄道マニア)』じゃ無いんだよ?」
「あれ、違いました?」
「がははは、全然違うよ!」
 私と小磯は大笑いをする。
「俺は嫌な予感がしたんだよね、この宿の名前」
 ハルが瓶ビールを手酌しながら、ニヤけている。
「がははは、『四郎』か?」
「うん、そう」
 二人が言っているのは、自分達が以前居た会社、T工業の『幸四郎』のことを指している様だった。
「もう、大体『四郎』って名前からして、俺はこうなると思ってたよ」
 ハルは自分の意見にウンウンと自分で頷く。

「夕食をお持ちしました」
 宿の、見るからに普通の主婦の奥さんが、夕食の膳を運んで来た。
「おお!」
「がははは、これは!」
「なんか普通の、物凄く普通の料理だよね」
 ハルは首を左右に振っている。
「まあまあ、刺身は美味いかもしれませんよ?」
 私はそう言うと、醤油皿の上で、ややペタつく醤油さしを傾けた。
「!?」
 何故か液体が出て来ない。
「どうしたの?」
 小磯が覗き込む。
「ちょっと詰まってるみたいですね」
 私は爪楊枝を取り出すと、醤油さしの口に突っ込み、開通式を執り行った。
 再び醤油さしを傾ける。
「ぽちょっ」
 何かが醤油皿の中に、液体と一緒に落ちて来た。
「木田君、それは何?」
 小磯が醤油皿を覗き込む。
「えーと、ん?うー、あ、これは何匹かの羽虫かなぁ?」
「がはははは、虫?」
「うん、羽虫ですね!」
 小磯が笑い、ハルが露骨に嫌そうな顔をしている。
「いや、ちょっと待って下さい、こっちのソース…」
「がはははは、もっと入ってるよ!」
「凄いですね、どうやったらこんなに虫が入るんですかね!?」
「ちょっと、そんなのじゃ飯なんか食えないよ!」
 ハルの顔つきが険しくなり、私と小磯は爆笑していた。

 どうやらこの宿では、たんぱく質の補給は調味料で行うらしい。