どんぴ帳

チョモランマな内容

はくりんちゅ49

2007-12-10 23:25:23 | 剥離人
 常務の渡から携帯電話に連絡が来た。

 私は丁度ホテルの大浴場から出て、部屋でパンツ一枚でくつろいでいる所だった。
「もしもし、ワシや」
「ああ常務、お疲れ様です」
「おお、お疲れさん。そっちはどうや?」
「いつもと同じですよ。奴隷のように働いています」
「ワハハハ、まあそう言うなや。ところで、お前たちの帰りの日程が決まったぞ」
「え、本当ですか?」
「おお、S社の所長と話をしたわ。作業は来週の火曜日で最後や、水曜日に機材を片付けて、木曜日にトラックに荷積みして、そのままO県のS港まで走ったら、フェリーに乗れるやろ」
「ああ、それなら行けますね。KT社に連絡をして、迎えのトラックを手配しなきゃいけませんね」
「それもワシから連絡をしておいたから、心配せんでええわ」
「それは助かります」
 私はこれでこの仕事の明確なゴールが見えたと思い、かなり気持ちが楽になった。そうと決まれば刺身を食べに行かねばならない。ここに居られるのもあと少しだ。

 居酒屋『大吾』の暖簾をくぐると、今夜もおかみと美里が明るく迎えてくれた。
「いらっしゃいませ!」
「こんばんは」
 私は今日もカウンターの端に座ると、生ビールを注文した。もちろんおかみと美里の分もだ。
「乾杯!」
 三人で乾杯をして、のどにビールを流し込む。
「今日はなんとなくすっきりとした顔をしてるんじゃない?」
 美里はニコニコしながら私に言った。
「そうかな?ようやく家に帰る日が決まったんだ」
「そうなの?良かったねぇ!でも私とお母さんはちょっと寂しいかも」
「そうそう、せっかく顔馴染みになってもらえたのに、本当に寂しいわ」
 この二人が言うと全然お愛想で言っている様に聞こえないのが、私にとっては嬉しかった。
 いつもの様におつまみに黒鯛の刺身を頼むと、私は一気にジョッキのビールを空けた。
「次は焼酎?」
 私が頷くと、美里は私のボトルをカウンターに置き、アイスピックで氷を割り始めた。ボトルキープと言っても二回来ると一本空けてしまうので、あまり意味は無かった。
「たまには私も貰っちゃおうかなぁ」
「お、いいねぇ、一緒に呑もうよ!」
 美里は私と自分のグラスに氷を入れると、焼酎をたっぷりと注いだ。
「ちょっと濃いんじゃないの?もしかして俺を押し倒そうとしてる?」
「あはははは!してない、してない!」
 美里は爆笑して、私と濃い目の焼酎で乾杯した。
「あ、やっぱりちょっと濃かったね」
「大丈夫、このくらいの方が、刺身には合うから」
 そこへおかみが黒鯛の刺身を持って来る。
「はい、お待たせしました!」
 見るだけで生唾が出る。こいつと焼酎は最高の組み合わせだ。
 そしていつもの様にオヤジにドリンクをおごり、乾杯をする。今日のオヤジドリンクは牛乳だ。
「売り上げ協力、ありがとうございます!」
 今夜もオヤジの言葉には一片の嫌らしさも無く、やはり私は笑ってしまう。私は黒鯛の刺身に柚子胡椒を載せ、甘い醤油を付けると口の中に放り込んだ。至福の一時だ。

 この日は話も盛り上がり、いつの間にか閉店時間まで私は呑んでいた。何人もの客が私の隣で出入りしていたが、結局私が最後の客になっていた。
「もうこんな時間か、なんか気分的には呑み足りないけどね」
 私はそう言うと、お会計を済ませた。
「あ、それならお兄ちゃんの店に呑みに行かない?」
「ああ、お兄ちゃんの店ね」
 美里の兄は大吾に寄る事もあり、一度だけカウンターで一緒に呑んだこともあった。その時、店をやっていることも聞いていた覚えがあった。
「今から私は行くつもりだったんだけど、良かったらね」
 美里と呑みに行けるのなら、私は大歓迎だ。美里と一緒に店を出て、夜のY町を一緒に歩いた。
「お兄ちゃんの店はなんて名前なの?」
「名前はね『俺』って言うの」
 美里は笑って言った。
「『俺』?なかなか個性的だね」
「やっぱりそう思う?」
「うん」
 他愛も無い会話だが、結構楽しい。店は大吾から近く、すぐに着いた。
「いらっしゃいませ!」
 店に入ると、カウンターの中に美里の兄が居た。
「おお、美里!それから君はこの前カウンターで呑んだよね」
「ええ、私も覚えていますよ」
 店はそんなに繁盛している感じでも無かったが、静かで落ち着ける感じだった。
 ここでも私と美里は盛り上がり、店を出たのは空が少し白み始めた頃だった。すでにカラスの鳴き声があちこちで聞こえ始めている。
「もう朝だね」
「うん、朝だね」
「もしかして今日も仕事?」
「うん、仕事だよ」
「大丈夫なの?」
「あはは、大丈夫!」
 私は美里の心配を笑い飛ばし、手を振って別れた。
 
 とりあえず今日の朝食を買わなければならない。私はコンビニに向かうと、入口で見覚えのある男とばったりと出会った。
「あれ?」
「おお」
 それはS社の下請会社の職人で、良く挨拶を交わす私と同年代の奴だった。
「呑んでたんですか?」
「うん、今店から出てきた所だよ。なんか腹が減ってね」
 見ると彼が下げているビニール袋には、弁当が二つ入っていた。
「朝飯?」
「いや、一つは晩飯」
「晩飯って、もう四時ですよ」
「あはは、呑んでばっかりで食べてなかったから」
「もう一つは朝飯?」
「そう、岸壁に着いたら食べるんだ」
「凄いですね」
「食べなきゃ体が動かないからね、それじゃ!」
 彼はビニール袋を乱暴に肩からぶら下げると、足早に立ち去って行った。

 私も二時間後には起床して、今日も肉体労働をしなければならなかった。