どんぴ帳

チョモランマな内容

はくりんちゅ45

2007-12-06 15:28:15 | 剥離人
 バラストタンクの剥離作業はいよいよ終盤に入ってきた。

 いつの間にか船体後部の岸壁に全ポンプが集結し、タンク内はガンの撃ち手で満員御礼状態になっていた。
 指定された部屋に向かおうとするが、すでにその隣の部屋には別のチームが入っていて、壁に空いた穴から猛烈な勢いでジェットが噴き出ている。危険すぎて近寄れ無い状態だ。こっちも向こうも耳栓をしている上に、向こうはガンを撃っているので、声を掛けても全く聞こえない。
 仕方が無いので相手の顔にマグライトの光を当て、何度も動かす。まぶしさで気が付いた相手に大声で話し掛ける。
「こっちの部屋に段取換えをするから、しばらくの間、向こう側の壁を撃ってくれる?」
 だが、一本のガンが停まっても、他のガンがあちこちで動いている。凄まじい騒音で、相手には声が届かない。もう一度、激しいジェスチャー付きで話し掛ける。
「ミーは、今から、ここ、ガン、入れる。お前、向こう、壁、撃て!頼む!」
 なんとか通じると、相手は頷き、再びジェットの音がタンク内に響き渡り、ミストサウナ状態になる。もはや、送風機での換気も追いつかない状況だった。

 私はなんとか段取換えを終えタンクを出ようとすると、今度は出入り口の部屋の裏側からもジェットが噴き出している。その壁の穴に自分の足を掛けなければ、タンクからは出られない。
「うぉーい!」
 私はライトを当てながら大声を出すが、相手は気付かない。ミストが凄すぎて、マグライトの光が十分相手に届かないのだ。やむを得ず、マグライトで壁をガンガンと叩き、再び相手の顔に光を当てる。
「?」
 ようやく相手が気付く。
「出るよ、ここから出るから!」
 激しいジェスチャーで、この穴に足を掛けることをアピールし、急いでタンクから這いずり出る。
「ふぅー」
 思わずため息が出る。この現場では油断をしていると、自分の肉体に危険が及ぶ。

 午後に入ると、タンク内の混乱はますます加速した。
「いやぁ、タンクの中は凄いことになってますよ」
 江藤がドロドロに汚れたフェイスシールドを洗いながら、私に言った。
「油断していると、いきなり背後の壁からジェットが噴き出して来るからね」
「それはかなり危険ですね」
「ええ、思わずこっちも撃ち返して、自分の存在を伝えましたよ」
「本当ですか?」
 ある意味かなり怖い状況だ。ただ、超高圧ジェットは十五センチ以上のオフセットになると、あまりにジェット水流が高速すぎて、霧になってしまうため、見た目ほどの危険性は無かった。
「俺なんか撃ち返したら、向こうもさらに撃ち返して来たんで、もう一発撃ち返してやりましたよ」
 トモオがゴム手袋をジャブジャブとすすぎながら言う。
「あんまり無茶苦茶しないでね、頼むよトモオ君」
 私は笑っているトモオに注意を促し、そのままS社のメンテナンスコンテナを覗き込んだ。
「伊沢さん、ちょっとイイですか?」
 伊沢は他の職人と話をしていたが、それをすぐに終わらせた。
「なに、どうしたの?」
「バラストタンクですけど、かなり混雑していて危険な状況になって来たんですけど」
 伊沢は腕組みをすると、右足に体重を載せ、左足を斜め前に差し出した。伊沢が脳の中で立体図面を広げている時のポーズだ。
「まだ、そんなに近くは無い筈だけどなぁ。船体中心側の部屋が四つは残ってるよね」
「いや、そこには別のチームが入ってますよ」
「あれ?おかしいなぁ、じゃああいつらは左舷に入って無いのかな…、左舷に入れって言ったのに」
 伊沢はブツブツと言い出すと、コンテナから出て岸壁の縁に立ち、船内を見渡した。
「そうだなぁ、左舷側に入ってるホースが少ないなぁ。よし、一緒に来て!」
 伊沢は言い終わる前に、スタスタと歩き出した。

 夕方、我々は右舷から左舷への大掛かりな段取換えを行なった。
「うぉーし!次、そのエアホースを持って来いシンジ!」
 昨日から復帰の柿沼センター長は、ここぞとばかりに全開で張り切っている。
「おしっ!ここで高圧ホースを分岐するぞ!T字の金物はどこに行った?」
 柿沼は一人だけ暴走気味だ。
「柿沼さん、やけに気合が入ってるね」
 私は江藤に小声で言った。柿沼が居ない間に我々の役割分担は自然と決まり、かなりスムーズに事が運ぶようになっていたが、今日は柿沼が張り切り過ぎて、あちこちに命令が飛ぶので混乱気味だった。
「いつもああなっちゃうからなぁ…、悪い人じゃないんで許してあげて下さい」
 江藤は腕組みをして、笑いながら自分で頷いている。
「あはは、確かに悪い人じゃあ無いですよね」
 私もクスクスと笑った。
「はい、柿沼さん!そんなに張り切らない!」
 江藤が両手をパンパンと叩きながら、汗だらけの柿沼に近寄って行った。

 職人さんたちは結構面白いと、私は思った。

はくりんちゅ44

2007-12-06 04:17:43 | 剥離人

 翌朝、岸壁に車を乗り入れると、すでにKT社のワゴンが来ていた。

 柿沼が車から降りて来る。
「おはよう、木田さん!」
「おはようございます」
 今日も柿沼は朝から元気だ。
「ところで木田さん、お腹の調子はどう?」
「は?別にいつもの通りですけど」
 私はいきなりの質問にやや面食らった。
「柿沼さんは何か問題でも?」
「いや、僕も何とも無いんだけどね・・・」
 そこへ江藤が車から降りて来た。
「木田さん、お腹大丈夫?」
「いや、僕は大丈夫だけど、みんなしてどうしたの?」
「俺は下痢気味です」
 江藤はお腹をさすってみせた。
「ええ?他の人は?」
「俺もッス」
 シンジが車の窓から声を掛ける。
「俺と氷室さんも調子今一です」
 トモオも車から降りて来る。
 
 昨夜は全員で黒鯛の刺身とアラ汁を食べている。B軍基地産の黒鯛は、私のお気に入りの『居酒屋 大吾』の刺身には及ばない物の、なかなかの味わいだった。
「木田さん、悪いけど俺は黒鯛が原因じゃないかって思ってるんですけど」
 江藤は笑いながら言った。
「でも俺は何とも無いよ」
 柿沼が違うだろうという顔で首を振る。
「江藤さんと僕は確かに腹の調子が悪いんですけど、でも木田さんと柿沼さんが一番たくさん食べていましたよね、黒鯛」
 シンジはナポレオンの様に、手を作業着に突っ込んで俯き加減だ。
「ワハハハ、きっとこの二人がおかしいんですよ!」
 トモオが馬鹿笑いをしながら叫んだ。
「あー!それじゃあお前、俺と木田さんが何を食べても平気な人間みたいじゃないか!」
 柿沼がトモオにヘッドロックを掛ける。
「ごめんさい、ごめんなさい」
 トモオはすぐにギブアップをした。
「氷室さん、調子はどう?」
 私は氷室にも声を掛けた。氷室は胸の前で小さく手を振ると、黙って笑顔で頷いた。どうやら大したことは無さそうだ。
「お前たちが軟弱過ぎるんだよ!俺と木田さんを見てみろ!」
 柿沼はトモオとシンジに意味不明な自信を見せつけている。
「はい、はいはい、柿沼さん仕事だよー」
 江藤が柿沼を連れて、朝一の段取換えに向かった。その後ろをシンジとトモオが、そして私と氷室が続いた。

 昼、小磯に会ったので、今朝の話をした。
「がっはは、いやぁ、だから本当に食べるの?って聞いたでしょう」
「でも僕は何とも無いですよ」
「わははは、君は特別丈夫な胃を持っているんだよ」
 小磯は適当な事を言って笑っている。
「木田君、ドックなんて何が沈んでいるか分からないんだからさ、ここは戦争をやっていた頃からドックなんだよ」
 私はそれ以上は詮索しない事にした。

 やはり黒鯛の刺身は、『居酒屋 大吾』が一番だという結論に達した。