どんぴ帳

チョモランマな内容

はくりんちゅ43

2007-12-05 01:36:25 | 剥離人
 黒鯛は、その立派な体を岸壁に晒したままだった。

 私はこいつをどうしようかと思案していた。残念ながら、現場には冷蔵庫なんて存在しない。S社の事務所の冷蔵庫まで運ぼうかとも思ったが、
「その黒鯛はどこで手に入れたんだ?」
 なんて所長に質問をされたら答え様が無い。まさか、
「暇つぶしにドックで釣りをしていら、大物が釣れてしまいました」
 などと答える訳にも行かなかった。
 考えること数分、一つのアイデアが浮かんだ。私は黒鯛を右手にぶら下げると、岸壁の裏手にある建物に向かった。
 
 行き先はJ隊厚生食堂。基地内にはB軍とJ隊の施設が混在しており、このJ隊厚生食堂への出入りは特に制限も無く、誰でも利用することが出来た。職人用仕出弁当に飽きた私は、最近ではこの厚生食堂で昼飯を食べることもあった。安くて温かい物を食べられるからだ。
「こんにちは」
 私は挨拶をして食堂に入った。時間が早いので客はまだ誰も居らず、厨房では昼メニューの調理準備が行なわれている様子だった。
「あの、お願いがあるんですけど・・・」
 私はカウンターから厨房の中に、恐る恐る話し掛けた。みんなの視線が私に集中する。
「これ、夕方まで預かってもらえませんか?」
 私は右手の黒鯛を顔の前にかざした。
「ほう、黒鯛か?」
 中から包丁を持った白衣のオジサンが出て来た。
「どうしたんだ?これ」
「たった今、目の前のドックで釣りました」
「目の前のドックって、あのベローウッドの前か?」
「ええ、目の前の岸壁で」
「竿を立てて?」
 オジサンは私の服装を見て、仕事中であると判断したらしい。
「いえ、テグスと錘と針だけです」
「餌は?」
「冷凍のオキアミです」
「ほう、大したもんだね!おいみんな、ちょっと見てみろよ!」
 オジサンの呼び掛けで、中から三人の白衣のオバサンたちが出て来た。口々に驚きの声を上げる。
「へえ、目の前で!」
「いい大きさじゃない」
「食べるの?」
 私は今日の夕飯に食べるつもりなので、それまで冷蔵庫で預かって欲しいと言った。
「おお、いいぞ、預かってやるよ」
 オジサンは快く引き受けてくれた。
「で、三枚に下ろしておけばイイか?」
「いえ、そんな悪いですよ」
「内臓を取っておいた方がイイと思うぞ」
「でも、今から忙しいんじゃないですか?」
 私の問い掛けに、オジサンはカラカラと笑うと、三枚に下ろすくらいは直ぐに終わると言った。
「そうしてもらいなさいよ」
 オバサンたちもそう言ってくれたので、私は厚生食堂のみなさんの好意に甘えることにした。

 夕方、私は厚生食堂に黒鯛を取りに行った。
「きちんと三枚に下ろしておいたからな。それとこの袋はアラだ。旅館の人に汁にでもしてもらいな!」
 オジサンは笑顔で白いビニール袋に入った黒鯛を手渡してくれた。
「あの、調理代をお支払いします」
 私はそう申し出たが、オジサンはそんな物は要らないと言って、顔の前で手をヒラヒラとさせた。
 私は厨房の人たちに丁寧にお礼を言って岸壁まで早足で移動し、車で待っていた江藤に黒鯛の入ったビニール袋を手渡した。

 一時間半後、私は江藤たちが泊まっている旅館に到着した。
「おお、木田さん!」
 古びた玄関に入ると、そこには仕事でA県に戻っていた筈である、KT社センター長の柿沼が居た。
「あれ?戻って来たんですか?」
 柿沼は私の両肩をガシっと掴むと、満面の笑顔で言った。
「僕が江藤たちや木田さんを見捨てる訳は無いでしょう!明日から頑張りましょうね!」
 やはり顔が近い・・・。
「え、ええ、頑張りましょう。とりあえず今夜は黒鯛を・・・」
「木田さん、準備出来たよ!」
 江藤が階段の上から呼んでいる。
「さあ、B軍基地産の黒鯛を食べましょう!」

 私は柿沼を強く促すと、階段を駆け上がった。