
老人になり幼稚化した父と喧嘩した自分は、ある意味大人げないと思う。でもここで縁を切っておかないと、私の身に何かあったときに父に迷惑がかかる。
お土産はドアの前に置いてこようかな。いや、未練たらしいことは止めておこう。
久々にアクセサリーを取り出してみた。指輪が全然入らない。全部ピンキーリングだ。処分しようかな。
唯一旦那に昔買わせたダイヤのペンダントを明日していこうと思う。ピアスはもうしたくない。
父には会わないけど、春に会った友人とはお昼の約束ができた。ホテルのキャンセル期限は昨日だ。展示会のチケットも2人分買ってある。行かないとなると、いろいろとお金が返ってこなくなる。
それでも夕方4時まで起きれなかった。いつになく生理痛が酷くボルタレンを飲んだ。それから禁じ手のリタを半分だけ飲んで、準備を始めた。私はせっかちなほうなので、たいがい出かける前々日には準備を始める。今回はぎりぎりだ。着て行く服もまだ決まらない。ジョギングを止めたから、スパッツも入らないかも。そんなこんなで準備を続け、久々に化粧品も広げて、アクセサリーをしてみようかという気になったのだった。
おしゃれやアクセサリーに興味がなくなったのは何故なんだろう? 強皮症のせい? 躁鬱病のせい? なんだか女として終わったんじゃないかという気がしてしまう。旦那はおしゃれな女には興味がないので大勢に影響はないんだけれど。

義姉の旦那は上級公務員だ。生活も安定している。公務員嫌いな旦那でも、そのことに関してだけは、義姉の幸せと喜んでいる。「地味だったけど、心がけがよかったのかな」と。
私だって義姉の幸せ自体はうれしいけれど、そういう風に他人を自分の前で誉められると、相対的に自分が比較され、貶められているように感じる。私の悪い癖だ。確かに義姉はいい人だし、私も好きだ。でも、私が子供時代に虐げられたエネルギーを社会人になってから発散した(コンサートやディスコなど)ことで癒されていると言う旦那は、やっぱり血がつながっていないから、そう考えるのだろうか?と思ってしまう。コンサートやディスコに行ったからとて、子供時代の傷が癒えるわけがなかろう。
それに義姉だってJリーグ三昧をしたり、歌手のおっかけをしたりしていた時期があったのに、そんなこと忘れている。地味って、私よりおしゃれだったじゃない? 旦那は私の服装なんて見てないんだ、きっと。
普通の夫婦は、男性が外で働いてきて、家で安らぎを求める。女性は育児をしたり家を守る。共働きは除いて普通はそういう形かな?と思うのだけれど、うちは、まるで違う。夫婦というより運命共同体なのだ。だから、私は弱音を吐けないし、病人なら病人なりの仕事をするポーズを取らなければならない。義姉は家を守り、暇なときはゲームをしたり、時間の使い方に困っている。そんな義姉をちょっとうらやましく思ったりもする。ないものねだりかもしれないけど、私は普通の夫婦がうらやましい。共働きでもいいから。そして辛いときには泣いたりできる、そういう夫婦がうらやましい。今も生きる意味が見つからなくて泣きそうだというのに。
もしかすると私に合った形態は、お互い独立自立して生活し、癒しが欲しいときだけ会う、そういう関係なのかもしれない。
今日の病状:手指むくみ■□□□□。関節痛。生理痛。
…むくみは5段階評価を黒四角でインジケート、■が多いほど不快です。