作・演出 三谷幸喜
出演 西村雅彦 近藤芳正
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9歳の少年が交通事故で重傷を負った。
手術をすれば確実に命は助かる、手術には輸血が必要、と言う整形外科副部長(西村雅彦)。一方、少年の父親(近藤芳正)は、地域に伝わる昔からの教えに従い、輸血に同意することはできない、輸血なしで手術をして欲しいと主張。タイムリミットは90分・・・医者としての良心、父親の愛情、どちらも少年の命を救いたい気持ちは同じでも、譲れないルールと信仰の間で、時間は刻一刻と過ぎていく・・・
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2011年、三谷幸喜生誕50周年記念のトリを飾る舞台。
最初に、「この舞台は実際にあった事件をもとにしているが、特定の団体や個人を中傷するものではない」という字幕。
始まってみて、すぐに納得・・・「エホバの証人」信者の輸血拒否事件(の一つ)がモデルになっています。
観終わってからネットで感想を検索してみると、三谷幸喜さんの舞台にしては賛否両論・・・というよりも、むしろ否定的な意見が多かったです・・・が、それはおそらく、「共感できない」という気持ちからなのでは?と思いました。
大多数の方にとって、「我が子が重傷、手術をすれば助かるが、手術をしなければ確実に死ぬ。手術には輸血が必要であり、輸血なしでの手術は不可能。」という状況において、「輸血をしない」という選択肢は有り得ないでしょう。
また、そのような状況において、いつでも輸血・手術をスタートできる状態でありながら、本人・家族の同意がないために、状態が悪化していく患者を目前にしながらも手が「出せない」外科医のもどかしさ、も、多くの観客の方の共感を得られるとは・・・やはり思えません。
三谷さんの失敗(?)は、舞台上に二人っきりの役者がぶつかり合う二人芝居でありながら、どちらの人物像にも感情移入をしにくい・・・という設定を作ってしまったことでしょうか
でも私は医師側へ感情移入してしまったので、一緒にイライラ
したり、焦ったり、迷ったり、悩んだり・・・
ラストの1本の電話には・・・不覚にも、ホロリ
ときてしまいそうでした。
そしてほっ
としました・・・が、舞台としては、本当にこれでよかったのかな?と疑問も
決着つけないほうがよかったのでは???とも思ったり。
西村雅彦さん、近藤芳正さん。どちらもとても好きな素晴らしい役者さんです
二人っきりで90分しゃべりっぱなし、あの専門用語の多いセリフをよくまあ
・・・と感心
昨年の「国民の映画」もそうでしたが、三谷さん、喜劇一辺倒ではない新境地を切り開いておられるようですね。
でも、なぜ、今、この事件・・・?というのは不思議ですが・・・。
*モデルとなった輸血拒否事件では、最後まで家族の同意が得られず、患者は死亡しました。
*一方、同宗教における、別の輸血拒否事件では、患者自身(成人)が輸血を拒否しましたが、救命のために主治医の判断により輸血を行いました。これは裁判の結果、医療側の過失を認められました。
*また、比較的最近のことですが、消化管大量出血で重体となった1歳男児への輸血を拒否した保護者に対し、病院・児童相談所が「児童虐待」として親権停止を家裁に請求、即日審判で親権を一時停止し、輸血を行い男児は救命された、という例がありました。
出演 西村雅彦 近藤芳正
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9歳の少年が交通事故で重傷を負った。
手術をすれば確実に命は助かる、手術には輸血が必要、と言う整形外科副部長(西村雅彦)。一方、少年の父親(近藤芳正)は、地域に伝わる昔からの教えに従い、輸血に同意することはできない、輸血なしで手術をして欲しいと主張。タイムリミットは90分・・・医者としての良心、父親の愛情、どちらも少年の命を救いたい気持ちは同じでも、譲れないルールと信仰の間で、時間は刻一刻と過ぎていく・・・
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2011年、三谷幸喜生誕50周年記念のトリを飾る舞台。
最初に、「この舞台は実際にあった事件をもとにしているが、特定の団体や個人を中傷するものではない」という字幕。
始まってみて、すぐに納得・・・「エホバの証人」信者の輸血拒否事件(の一つ)がモデルになっています。
観終わってからネットで感想を検索してみると、三谷幸喜さんの舞台にしては賛否両論・・・というよりも、むしろ否定的な意見が多かったです・・・が、それはおそらく、「共感できない」という気持ちからなのでは?と思いました。
大多数の方にとって、「我が子が重傷、手術をすれば助かるが、手術をしなければ確実に死ぬ。手術には輸血が必要であり、輸血なしでの手術は不可能。」という状況において、「輸血をしない」という選択肢は有り得ないでしょう。
また、そのような状況において、いつでも輸血・手術をスタートできる状態でありながら、本人・家族の同意がないために、状態が悪化していく患者を目前にしながらも手が「出せない」外科医のもどかしさ、も、多くの観客の方の共感を得られるとは・・・やはり思えません。
三谷さんの失敗(?)は、舞台上に二人っきりの役者がぶつかり合う二人芝居でありながら、どちらの人物像にも感情移入をしにくい・・・という設定を作ってしまったことでしょうか

でも私は医師側へ感情移入してしまったので、一緒にイライラ


ラストの1本の電話には・・・不覚にも、ホロリ

そしてほっ


西村雅彦さん、近藤芳正さん。どちらもとても好きな素晴らしい役者さんです



昨年の「国民の映画」もそうでしたが、三谷さん、喜劇一辺倒ではない新境地を切り開いておられるようですね。
でも、なぜ、今、この事件・・・?というのは不思議ですが・・・。
*モデルとなった輸血拒否事件では、最後まで家族の同意が得られず、患者は死亡しました。
*一方、同宗教における、別の輸血拒否事件では、患者自身(成人)が輸血を拒否しましたが、救命のために主治医の判断により輸血を行いました。これは裁判の結果、医療側の過失を認められました。
*また、比較的最近のことですが、消化管大量出血で重体となった1歳男児への輸血を拒否した保護者に対し、病院・児童相談所が「児童虐待」として親権停止を家裁に請求、即日審判で親権を一時停止し、輸血を行い男児は救命された、という例がありました。