ダイビングを始めて、一生懸命潜り続けた理由。
それは、海底遺跡をみることでした。
「100本以上の経験はないと」という話を聞き、安全に、そして自由に見ることができるように、倍の経験をと計画し、潜り続けて約1年半。
ついに、与那国にたどり着くことができました。
さて、2/6の早朝羽田を飛び立ち、一路与那国へ。
与那国ダイビングサービスに送迎していただき、お店の食堂で昼食をいただいた後、まずは1本のダイビング。
「ダイナシティ」でかるーく肩慣らし状態で潜ったら、2本目はいよいよ海底遺跡ポイントです。
「かなり流れがあるんだけど、これで潜らないとしばらく潜れないから」ということはガイドの大木さんの話で、ぎりぎりセーフでのダイビングです。
冬の北風だと島影になって穏やかなんですが、それ以外の風だと、荒れてしまい、船も近づけることができません。
今日は波が高いので、避難港に船が接岸されています。
乗り込んだのはYDS-III号、プロペラ船です。
いくつかのチームに分かれて入れ替わりでダイビングをしますが、私たちのチームは船長とガイドも含め13名が乗船しました。
ブリーフィングは、ガイドの大木さんの細かな説明で、途中のテラスでは順番に着底する方法まで聞いて、いざポイントに移動です。
TVドラマで利用された「Dr.コトーの診療所」を横目で見ながら、約15分ほどでポイントに到着です。
ポイントは、岸ぎりぎりなので、風に流されると座礁してしまいそうです。
それまで穏やかだった海も、ポイントのまわりでは波が高くなり、注意してのエントリー開始。
もちろん、完全ドリフト。
「はい、どうぞ!」の合図で間隔をあけずに、順番に海へジャイアントスタイルで飛び込んでいきます。
(その2に続く)
それは、海底遺跡をみることでした。
「100本以上の経験はないと」という話を聞き、安全に、そして自由に見ることができるように、倍の経験をと計画し、潜り続けて約1年半。
ついに、与那国にたどり着くことができました。
さて、2/6の早朝羽田を飛び立ち、一路与那国へ。
与那国ダイビングサービスに送迎していただき、お店の食堂で昼食をいただいた後、まずは1本のダイビング。
「ダイナシティ」でかるーく肩慣らし状態で潜ったら、2本目はいよいよ海底遺跡ポイントです。
「かなり流れがあるんだけど、これで潜らないとしばらく潜れないから」ということはガイドの大木さんの話で、ぎりぎりセーフでのダイビングです。
冬の北風だと島影になって穏やかなんですが、それ以外の風だと、荒れてしまい、船も近づけることができません。
今日は波が高いので、避難港に船が接岸されています。
乗り込んだのはYDS-III号、プロペラ船です。
いくつかのチームに分かれて入れ替わりでダイビングをしますが、私たちのチームは船長とガイドも含め13名が乗船しました。
ブリーフィングは、ガイドの大木さんの細かな説明で、途中のテラスでは順番に着底する方法まで聞いて、いざポイントに移動です。
TVドラマで利用された「Dr.コトーの診療所」を横目で見ながら、約15分ほどでポイントに到着です。
ポイントは、岸ぎりぎりなので、風に流されると座礁してしまいそうです。
それまで穏やかだった海も、ポイントのまわりでは波が高くなり、注意してのエントリー開始。
もちろん、完全ドリフト。
「はい、どうぞ!」の合図で間隔をあけずに、順番に海へジャイアントスタイルで飛び込んでいきます。
(その2に続く)
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