Invalid Life

「演歌・オブ・ザ・デッド」公式ブログ
(C)りょんりょん 2004-2007

ゲッターはゲッタービーム

2007年01月30日 21時14分06秒 | プラモデルバージョン
海洋堂のリボルテックシリーズの「ゲッター1」を買ってきました。
詳細はプラモデルバージョンを見て下さい。

ttp://black.ap.teacup.com/dhampire/12.html (例によって最初のhは抜いてます)

「ブラックゲッター」を出してくれ~。このクオリティで出してくれ~。

名前って大事ですよね

2007年01月29日 00時58分15秒 | ゲーム(MMORPGとか)
MMORPGでの最初の作業は大体キャラメイキングやと思うけど、リネージュでは君主、ナイト、魔法使い、エルフ、ダークエルフの五つのクラスから選び、性別を決め、そこからクラスによって提供される値はバラバラですが、ステータス値を振り分けます。そしてキャラ名を決めます。

リネージュ2では、先ずヒューマン、エルフ、ダークエルフ、ドワーフ、オークの種族から選んで、ドワーフ以外はファイター或いはメイジを選択します。そこから性別を選んで、顔、髪型・色、そしてキャラ名を決めます。

このキャラ名がねぇ、ゲームサービスの開始から暫く経ってからやると好きなキャラ名が使えないっていうのが結構多いのよね。知ってる中ではUO位ですね、キャラ名の重複が許されているのは。まぁ重複が許されないのはええんやけど、使いたかったキャラ名が既に引退しているアカウントの登録キャラだったりした場合は、激しく勿体ない気持ちと使わせろよっていう気持ちが交錯します。

リネージュシリーズは恐らく使われていないアカウントも消さずに残す方針のようです。それはいいとしても、アクティブでないキャラ名は剥奪するってことはしてもええんとちゃうかなと思います。キャラ自体を削除ではなくてね。剥奪するにしても期間の問題とかあると思うけど、アクティブでないアカウントだったら三ヶ月程度で、アクティブなアカウントでもキャラ自体がゲームにインしていない状態が半年程度続いているのなら剥奪という感じで出来ないもんですかね。

それからさ、幾ら好きなキャラ名が取れなかったとしても、それはどうよっていうキャラ名があって、個人的には凄く恥ずかしいんよね、それらは。

例えば、『名前』というキャラ名を取りたかったけど取れずに、『oO名前Oo』とか『xX名前Xx』とかっていうのは、なんか他人である自分が恥ずかしくなるんよね。いやさ、勝手に羞恥心を感じちゃってるだけっていうのはわかってるよ。そうまでしてそのキャラ名を使いたいっていう気持ちも理解出来ているとは思うけど。でもね、なんか馴染めないのよ。

それとリネージュは条件があるけど、キャラ名以外にタイトルっていうのが付けられるんですよね。『【これが名前だ】名前』みたいに。【】の中がタイトルで、リネージュではキャラ名の上部に表示されます。

なのにさ、キャラ名で『名前大佐』とか『通りすがりの名前』とかさ。これもそうまでしてそのキャラ名を使いたいのかって思っちゃうのよね。いやさ、実はこのパターンは僕もやってました、リネージュで。でも途中でごっつ恥ずかしくなって、キャラ削除しちゃいましたよ。

ほんでから、なんか生理的に嫌なのが、某FSSや某ガッツと愉快な仲間達とかからキャラ名を付けるっていうのもね。いや、僕も昔やってました。すんません。でも、今はそういうキャラを見るとキモく感じてしまうんですよ。何故かはわからないけど。いやいや、『ガッツ』とか『コーラス』とか、そういうキャラ名が取れなかったっていうのが悔しくて言ってるわけじゃないですよ。いや、悔しいのか(あれれ)。まぁ、仮面ライダーから取ろうとして、文字数が長過ぎてあかんかったっていうのの八つ当たりから来ているのかもしれないけどね、この感情は。『ショッカーライダー』は長過ぎて駄目でしたよ、コンチクショー。

色々書きましたけど、人それぞれだし、その人が納得してればそれで問題はないんやけど、どうもね、引っ掛かるんですよ。

リネージュシリーズなんて、NPC(プレイヤーが操作しないゲーム中のキャラ)ともキャラ名が被っちゃ駄目みたいで。おいおいって感じです。

そんなことよりさ、あのヴァン・ヘルシング教授のファーストネームが『ロリマー』だったっていうことの方がびっくりだよね。

仮面ライダー電王はいきなりクライマックス

2007年01月28日 16時35分57秒 | 仮面ライダー響鬼 nano
がああああああ、firefoxうっといぞ。

なんでタブを一枚だけ開きたいのに、アクティブのタブまで巻き添えにすんねん。ボケが。書いている内容が消えたやんけ、あほんだら。

gooももっと簡単に書いてる内容が消えないようにせぇ。ボケが。こっちは金払ってるユーザーやからな。タダのもんとちゃうねん。

マックも相変わらず日本語入力がヘタレてるけど、一体何時になったらちゃんと出来るようになんねん。もうマックも終わりやな。こんな使い難いOSは消えてなくなれ。

テキストエディタで書いてない方が悪いって?うっさいんじゃ、ボケ。

ハァハァ。ちょっと激昂したけど、ほんまに気分悪いわ。今日は、ボトムズのおもちゃとかそんなもんも買ってもうてんけど、可動するのは凄いけど、ポロポロ部品が落ち過ぎやねん。もっとそういうところをちゃんとせなあかんぞ、メーカー(海洋堂、タカラトミー、マックスファクトリー、バンダイの各社の提供でお送りしておりません)。

まともなものを作るっていう意識が、日本からなくなりかけてるようですね。

ということで、その意識がなくなりかけているという部分での特撮番組の象徴である、平成仮面ライダーシリーズの新作が始まりました。

電王って電車の王ってことでええんかな。

これで、仮面ライダーっていうのは、良い意味(販促面、予算の面)でも悪い意味(出来る範囲が限られてしまう、遺産の食い潰し)でも、等身大ヒーローという言葉とイコールで結び付けられちゃったと思う。ドラキュラ伯爵イコール吸血鬼となってしまうのと同じことを、意図的にやってしまったと思う。これが吉と出るか凶と出るかは、まだ先でないとわからないとはいえ、その結果を無責任に未来に投げ捨てるっていう行為はどうなんかなって思う。

番組としては面白かったと思う。かなり理想的な第一話だったと。登場人物の紹介、敵の出現、世界観、アクション、一応秘密の部分、そういうところを、変に肩肘張らずに出していたと思う。展開も詰め込み過ぎではなかったし。かと言ってまったりでもないしね。やれば出来るじゃないかと、素直に思ったんやけど、出来るなら前もやれよという感情も出たのも事実でありますです、はい。

じゃあ、見続けるのか?って聞かれれば、僕は見ないと答えますね、現時点では。僕なりに駄目だった部分っていうのは、主人公が好きなタイプではないこと、主人公が堤真一氏に似てること(?)、ち、違った、ヒロインポジションだと思われる人がアメリカザリガニの片割れと結婚したこと、じゃなくて、ヒロインポジションだと思われる人がきつい顔立ちであること、アクションが格好悪かったこと、ライダーのデザインが想像以上にダサかったこと、これらですね。

変に暗く、悲壮に作るよりかは、こういう展開の方が子供にも受けるかもしれないし、前作品までの差別化っていう意味でも、前のカブトよりガラっと変わるほうが受けもいいだろうかなって思う。今後の展開は、視聴率や玩具の売り上げ等で変わってくるとは思うけど、最後の展開が面白いっていうか、自分好みになっていれば、また見るかもしれません。

それから、演技についてやけど、まぁ低レベルっていうか、酷いよなぁと思う。表情はいいんだけどね。それだけじゃアカンと思うよ。

確かに役者の成長を見守るっていうのは、視聴者としての楽しみの一つであっていいと思うし、何らそれを否定する気はないんやけど、制作側・役者側がそれに甘えるっていう構図は駄目だと思うんよね。出来て当たり前っていう意識をもっと持とうよ。日々勉強かもしれないし、完成されないものかもしれないけどさ。それに甘えちゃ駄目なんだよ。

カブトも響鬼も上手い人が多かったからね、主人公・主役ポジションに。どうしても比較しちゃうし。カブトの水嶋ヒロさんは、天道っていうキャラ造形の勝利っていう部分も大きいけど、雰囲気っていうか、役を掴んでいたよね。響鬼の細川さんにしても、栩原楽人さんにしても上手かったしね。栩原さんは上手いレベルを超えているような気がするけど。555の半田さんにしても、決して上手いとはお世辞にも言えないけど、役は掴んでいたからね。だから、演技で気になる部分はある(現実世界に引き戻されちゃうんよね、演技次第で)けど、応援したくなるっていう感情も湧いてくるんよね。芳賀優里亜さんはメッチャ上手かったなぁ。可愛いし。

でもさ、今回の主人公役の人って、まぁ彼だけの問題ではないけどさ、表情はいいけどね止まりなんよね。そういう人って多いやんか。モデルならそれでもいいだろうけど。動くんよね、喋るんよね。だから、突っ立って表情だけ作ればいいってわけじゃないんよね。モデル批判ではなくて、モデルにはモデルのやり方があるけど、それをそのまま演技に導入しても駄目な場合が多いんとちゃうの?っていう意味でね。モデルも動くね、ごめん。えっと、動くって書いたのは、その劇中の世界で生きる・活きるっていう意味っつーこって、一つ宜しく。

やっと、消えた部分に追いついたけど、書いてる内容は変わりないけど、文体とか構成とかだいぶ変わっちゃったよ。まぁ、書きたいことは書けたと思うんで、ヨシとしよう。

何が言いたいかというとさ、アクティックギアっていうタカラトミーが出してるボトムズの製品を買ったんやけど、パーツがポロポロ落ちるのよね。それからマックスファクトリーのブラッドサッカーを買ったんやけど、足っていうか腰前面のふんどし横のアーマーがまたポロポロ落ちるのよね。赤い肩もよぉ外れるし。これなら可動モデルにする必要なんてあるの?っていう出来ですよ。プロポーションっていうか見た目はええねんけどね。

まぁ、これらはもう一つのブログに載せると思うので、詳細はそっちでね。

レディ・フランケンシュタイン

2007年01月27日 00時07分03秒 | 映画・DVD・テレビ番組
Lady FRANKENSTEIN

1971年 イタリア

監督:Mel Welles
脚本:Edward di Lorenzo
音楽:Alessandro Alessandroni
出演:SARAH BAY、PAUL MUELLER、MICKEY HARGITAY、PETER WHITEMAN、HERBERT FUX、JOSEPH COTTEN
販売元:WHDジャパン 1,500円(税込)

解説の石田一氏もおっしゃられていますが、ドラキュラ=吸血鬼ではないのと同様に、フランケンシュタイン=モンスターではないのです。マクドナルド=ハンバーガーや、不二屋=三秒ルールではないように。

吸血鬼に関しては、ドラキュラは人の名前で、吸血鬼は種族っていうかそういうものの名称だっていうのは、一般人(って書いちゃうと自分がなんか遠い世界の住人みたいに感じちゃうけど)にも結構浸透しているように思います。それは、漫画とか映画とかで、ドラキュラ個体ではなくて、吸血鬼という存在がよく題材に使われているからなんかなぁと。でも、フランケンシュタインという名前を聞いて、殆どの一般人はあの有名なモンスターを想像っていうか、イコールと結びつけちゃう一般人がまだまだ多いと思う。

まぁ、広義では、フランケンシュタイン博士こそモンスターであるという捉え方は、強ち間違ってないと思うけどね。

今回のこの「レディ・フランケンシュタイン」は、フランケンシュタイン博士のモンスター振りもさることながら、タイトルにもあるように、その娘の、父親を超えたモンスター振りを楽しむ映画となっています。この映画でのフランケンシュタイン博士は、モンスターっていう程(実験内容はぶっ飛んでるけど)ではないかなぁとも思っちゃいますね、娘が強烈過ぎて。結構押されちゃってるしね。

こっから下は、微妙にネタバレしてます。まぁ、ネタバレを見たからっていって、この映画を楽しめないわけではないんですが。お決まりの話やしね。でも、そこはネタバレ。だから、注意してね。

↓↓↓↓↓ネタバレ気味に始まりますよ。↓↓↓↓↓


簡単にストーリーを。フランケンシュタイン博士は助手のチャールズ博士とヨーロッパの田舎の村に大邸宅を構えて(実験室っちゅーか研究室も完備)いけない人体実験をしていますが、突然大学から帰ってきた娘にばれちゃいます。ある日、実験は成功したかのように見えましたが、怪物を生み出しただけでした。そして娘は、実はマッチョ系の人が好きで、そこから歯車が狂っていきます。って話です。

あ、滅茶苦茶やんけって感じられるかもしれないけど、そんな感じなんです。娘の狂気に走る姿と、マント装備の刑事の活躍、助手の(出ずっぱりなのに)陰の薄さを楽しんで下さい。

なんでもレディ・フランケンシュタインっていうか娘役の方は当時三十路半ばだそうで、それでも医大生の役をやってますが、気品の中の狂気、野心をさりげなく演じられていて、とてもおばちゃ(以下自主規制)には見えません。昔のヨーロッパ風美人だし。

オープニングから、新ドラキュラでも思いましたが、サンテレビの午後の映画劇場を思い出しました。それと、妖怪人間ベムも。なんとなく、妖怪人間ベムの不思議な感じのする【恐らくここはヨーロッパやろ】っていう世界に似た空気を感じました。最後も、妖怪人間ベムのラストに似ているような展開でもありますし。

構成もまぁまぁやし、ストーリーも面白いんやけど、致命的なミスがあります。それは、怪物の造形です。なんかコメディかよっていう出来なんですよね。重い空気をいっぺんにコメディにしちゃう魅力、っていうかパワーを出してます。演じる役者の動作もなんちゃってだし。痛い。これはごっつ痛い。この映画を駄作にしちゃいかねないパワーですよ、これは。

そこをなんとか駄作ではなく、五本立て上映の本数稼ぎ映画中にある掘り出し物に成り損ねたレベルにしているのは、役者陣の踏ん張りと世界観っていうか劇中の空気感ですね。無駄に良い役者と良い演技が堪能出来ます。

昔のモンスター映画って、でもこんな感じやったよなぁと、感慨に耽りながら見てみると、懐かしい子供時代を思い出せます。なんか、ワクワクして駄菓子屋に行っているような錯覚になる映画です。モンスターが造られる場面なんて、チープなんやけど、懐かしさ全開ですよ。まぁ、色々と突っ込みながら見ると、もの凄く楽しめる映画です。こういう映画を『駄菓子屋映画』と名付けよう。そうしよう。

最後のモンスターを倒す為に別のモンスターを造るなんて発想は、仮面ライダーにも通じるような気がして、ここの辺りをもっと掘り下げてみたら、大化けしたかもしれない映画です。もう一体のモンスターも、醜い容姿ならよかったのかもしれませんが、そこは娘の博士として父親を超えたという能力を描いていると思うので、仕方ないことなんでしょうが。あ、予算の都合やろうなぁ、実際は。

ここまで読まれて、あんまし面白くない映画かなっていう印象を持たれた方もいるかもしれないけど、ヴァンパイアXとか、新しいデビルマンとかに比べたら、もう素晴らしい出来ですっていうレベルですよ。雲泥の差です。頭を空っぽにして見ると、本当に楽しめる映画です。

viva 駄菓子屋映画

デスメッセンジャー

2007年01月25日 23時01分08秒 | プラモデルバージョン
まぁ、正体を見られたくないので、画像はワザとぼかしているわけだ。
死の伝令なのだから。

ハッスルポーズなのも、ワザと間抜けなポーズを取ることで、相手を油断させているわけだ。
死の伝令なのだから。

ttp://black.ap.teacup.com/dhampire/11.html(最初のhは抜いてます)

え~っと、装甲騎兵ボトムズ外伝の青の騎士に登場した、「デスメッセンジャー」です。詳しくは、プラモデルバージョンを参照して下さい。

例によって画像はボケてますが、人生はボケてません。ち、違った。ボケてます。

何故案山子なのか

2007年01月23日 23時56分40秒 | ゲーム(MMORPGとか)
リネージュに復帰してはや二週間程。緩やかにレベルは上がって、今ナイトで25まできました。資産のない状態で、本当に初めてやった時と似たような気分。回復ポットがぶ飲みなんて、まだまだ予算が許さなくて出来ない状態。でも、何故か楽しい。何故か心が踊ります。

リネージュを最初にやった時からの疑問なんですが、何故レベル5まで案山子を殴ってレベルアップさせるのだろうかということなんです。それが練習になっているのならいざ知らず、なってません。ただ殴るだけです。自動的に殴らせることが出来るので、プレイヤーはキャラが案山子を殴っているところだけ、ぼけぉっと見ているだけです。

当然、レベル1からでもモンスと戦えます。しかし、勝てる相手はそうそういません。今は初心者でも装備が充実したりしてますが、それでもレベル1で戦うのは大変です。以前は装備も充実していないので、もっと大変です。僕がやり始めた頃は初心者用の村っていうかゾーンがありましたけど、最初の頃なんてそれすらなかったようですから、もっともっと大変だったろうと思います。

それに、頑張ってモンスを倒すよりも、案山子を殴ったほうが成長は早いですから、意地になってモンスを狩るよりもいいんですよね。

それやったら、最初からレベル5から始めさせてくれればいいのになぁと思いましたよ。

オープンベータの頃なんて、案山子の取り合いですよ。意味ねーって思いました。

そう言えば、ヘルブレスは敵に案山子が出て来たなぁ。懐かしいなぁ。

最初に案山子を殴るっていう理由がなんかあったんかなぁ。リネージュって元々漫画が原作であったので、そこで最初は案山子を殴っていたっていう描写でもあったのかなぁ。原作者とはなんか裁判沙汰になったみたいやけど。

仮面ライダーカブト FINAL

2007年01月22日 00時37分48秒 | 仮面ライダー響鬼 nano
ファイナルというタイトルらしく、何もかもが終わった話だった。

と、書いてしまうと元も子もないけどさ。

カブトをずっと見ていたわけではない僕でさえ、え?これで終わらせていいの?って思えてしまった最終回、というよりも、最終展開だったわけですが、555と同様に最終回だけを単体として見ると、結構面白かったような気がするんですよ。これは本当に不思議な感じだなぁ。最終回補正っていうものなんでしょうかね。

僕がカブトを、最後の方からだけど見出した理由は、先ずは地獄兄弟のキャラ、カブトのデザイン、この二つです。あ、一番の理由は、ゲームの徹夜明けだ。

地獄兄弟は元々本筋とはあまり関係ないのか、それとも関係なくさせられたのは不明ですが、あの微妙なポジションが良かったのかもしれないです。赤い靴(カブトとガタックの暴走スイッチ)対策用のライダーという設定だったのかな。掲示板とか見てると。そのあたりを掘り下げて描写してくれたら、それはそれで面白かったのかもしれないけど、地獄兄弟というポジションは確立出来なかったかもしれないと思うと、ライブ感に振り回された兄弟は必要悪だったのかもしれません。

カブトのデザインは、ハイパーカブトとダークカブトが好きですね。なんでダークとか付くと興味が湧いてくるんやろ。

お話の方は、なんか前回見忘れたんとちゃうかなっていう始まりでしたね。キャラの心情が飛び過ぎっていうか。トリプルライダーキックをかました時に、天道と加賀美の関係を描いていた割には、前回ではあっさり覆して、そしていきなり今回の冒頭でまた覆すという、本当にバタバタドタバタした流れですが、そうすることで天道と加賀美が最後に友人として認識し合うのも、絵空事っていうか、感動なんて生み出せないんですよね。白けるっていうかさ。

ほんでから、人間ネイティブ化やけど、名も無きキャラが気合いで戻れるんならさ、前回の地獄兄弟弟パンチホッパーはどうなるんだよ。地獄兄弟兄キックホッパーの悲しみは、悲しみ損だったわけかよ。せめてさ、前回放映した分くらいは番組中で無駄なことにするのはやめようよ。

そういう仕打ちも含めて、地獄を見たわけですか。そうですか。

ダークカブトの中の人にしても、うっちゃらけて終わっちゃいましたね。何も考えずに適当にキャラを出したやろ。と学校でのレポート提出なら、そういう返答が返ってきたであろう程度の描き方でしたね。

ネイティブのドンみたいな人(人じゃないのか)も、最後もっと強い怪人に変身しようよ。そして、ダークカブトも含めての、トリプリライダーキックだろ。あの死に方はねぇよな、ダブト君。

ラストバトルも、カブトは最初は互角に戦っているように見えるのに、急に弱体化しちゃうんよね。見せ方っていうか、バトルの演出の問題だろうけど、興醒めしちゃうんよね。まぁ、バトルに関しては、結構面白かったんで、その部分くらいですけどね、おいおいって突っ込んだのは。

一年後。一年後はどうしてるかなぁ。じゃなくってさ、またかよ、一年後。もう「一年後」使用禁止。もう「一年後」出入り禁止。ゲームで「一年後」っていうキャラ作っちゃうぞ、バカヤロー。

あんまし見てない立場からの疑問点。

ネイティブは35年前に隕石に乗ってやってきて、ワームは7年前に渋谷に落ちた隕石に乗ってやってきたでええんかな。で、ワームもネイティブも同族なんかな。それとも敵対関係の種族なんかな。

マスクドライダーシステムは主にネイティブが主導して作ったけど、主役二人の父ちゃんズがネイティブやワームを絶滅させるまで止まらない赤い靴システムをカブトとガタックに密かに組み込む。カブトとガタックにはそれぞれの息子を指名する。赤い靴が勝手に暴発した時は、ダブルホッパーズ(地獄兄弟)が止める。ダブルホッパーズは加賀美父が密かに作っていたもの(?)。

ダブトの中の天道は、実は小さい頃に誘拐されて人造ネイティブ化され、天道本体を擬態して姿は天道のものになる。ダブトの中の人を利用して、ゼクトがハイパーゼクターを開発する。

ワームというのは人間のような知能を持ったものもいれば、本能だけで擬態した人間を殺すだけのものもいる。ネイティブは一応表向きには人間と協力関係を結ぼうとし、ワームからの脅威に対抗する為にゼクトを組織する。

他のライダーシステムは、マキシマムハイパータイフーンの為の捨て石。

う~ん、こうやって並べてみると結構魅力的な設定なんやけどなぁ。物語がライブ感によって動くのはええし、それによって当初予定していた結末が変わるとかはええと思うんやけど、過去、テレビドラマの場合は既に起こった出来事、既定の事実を勝手に御都合主義的に変えまくるのはよくないんじゃないかなぁ。物語の背景となるべき設定類は特に丁寧に扱わないとね。勝手に変えていってええんやったら、毎回別の展開にして、実はあいつは生きていたとか、実はライダーは三人だったとか、次の週にはライダーは実は二人だったとか、敵の組織が毎回変わるとか、勝手にやってたらええねんからさ。

今回もライダーがたくさん出て来てましたけど、結局カブトだけが目立っていて、他は殆ど捨て駒っていうかかませ犬っていうのか。せめてガタックだけはカブトに対抗出来るっていう見せ方が必要だったような気がするっすよ。

天道が最後、やっと自分の言葉で語りますが、それまではずっとおばあちゃんが言っていた語録を語ってましたが、おばあちゃんが出て来て、そんなこと一言も言ってないよっていうだけの出演があったら、ごっつよかったのになぁ。

まぁ、なんだかんだ言いながら、楽しんでいたのかもしれない。もう見ることはないかもしれないけどさ。

新ドラキュラ 悪魔の儀式

2007年01月21日 03時23分54秒 | 映画・DVD・テレビ番組
新ドラキュラ 悪魔の儀式

原題:The Satanic Rites Of Dracula
1973年英(ハマー・プロ)

監督:Alan Gibson
脚本:Don Hougton
音楽:John Cacavas
出演:MICHAEL COLES as Murray、PETER CUSHING as Van Helsing、WILLIAM FRANKLYN as Torrence、JOANNA LUMLEY as Jessica、CHRISTOPHER LEE as Count Dracula

販売元:WHDジャパン(ttp://whd.dip.jp/ 最初のhは抜いてます) 1,500円(税込)

ネタバレ満載なので、注意して下さい。
ネタバレしてるので、注意して下さい。
ネタバレ推奨なので、注意して下さい。


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多分、遥か昔に見たことがあったと思っていたのだが、今回、久々に見て、丸っきり記憶になかったことがわかった。小さい頃、怪奇映画が大好きだった僕は、ハマー・プロの作品、特にドラキュラ関係は全て見たと思っていたのだが。当時はレンタルビデオもなく、情報誌や新聞、伝聞を頼りに上映している映画館を探して見ていたが、どうやらこの作品は見逃していたようだ。不覚だ。

ハマー・プロのドラキュラ映画の一作目、「吸血鬼ドラキュラ」は傑作と言い切っていい映画だろう。ホラー、怪奇映画というよりは、古典的アクション映画であり、テンポよく最後まで飽きさせずに見せてくれる。

今回のこの映画は、「吸血鬼ドラキュラ」で、ヴァン・ヘルシング教授をピーター・カッシング、ドラキュラ伯爵をクリストファー・リーという配役でタッグを組んだ二人の、揃っての出演が最後となるドラキュラ映画である。

この二人は全てのハマー・プロ製のドラキュラ映画で出演していると思われがちだが、ハマー・プロが製作したドラキュラ映画全九作のうち、四作しか競演していない。それだけ、一作目の強烈な印象と、二人が役に嵌っていたという証拠だろう。

最初からいきなりヨーロッパの雰囲気が画面中に広がる。そして、期待する不安感。恐怖感。音楽の良さも相乗効果を確実に演出している。この雰囲気は、昔関西のUHF局であるサンテレビが昼にやっていた映画劇場を思い出す。サンテレビの昼の映画劇場はよくホラー系の映画も放映されていて、幼い頃、学校から帰るとワクワクして見ていたことを思い出した。

「吸血鬼ドラキュラ」もそうであったが、今作もテンポが良い。これで、ダレずに、飽きずに映画に夢中になれるのである。そして、見せたいものを重点的に映す或いは示唆する画面(カット)。余計なものは描写しない。これにより、観客は重要なものを忘れずに、物語を咀嚼出来るのである。上手い構成であり、また編集の良さが映画を決めるという見本のようである。

物語の構成は、単純明快な勧善懲悪の構図となっている。善はヴァン・ヘルシング教授であり、悪はドラキュラ伯爵である。情報部の部長という登場人物は、途中裏切るのではないかという予想を立て易い立ち位置ではあるが、善に協力するものとして、最後まで(劇中での)人生を全うする。

余計なものを省き、何を見せたいのかを十分に吟味し、テンポよく、素晴らしい役者を配する、このような単純なことを行うだけで、映画は見違えたように面白くなるのだろう。

この映画も、ホラー、怪奇映画というよりは、アクション映画の様である。しかし、現在のように人間がアクションをして見せるというタイプではなく、物語と構成がアクションしているのである。

物語の展開も単純だ。ある屋敷で悪魔崇拝の儀式が行われている。そこに潜入した情報部員が命を懸けて持ち帰った情報は、政府高官や有名著名な人物も絡んでいた。情報部のトップである大臣もその内の一人である。このままではもみ消されると踏んだ情報部の部長は、ロニー・ジェームス・ディオに似た(歌が上手いかは不明)マレー警部を呼び、部下の凄腕トレンス(外見は不倫を熱望している中年親父で、最後は間抜けだった)と共に調査に当たらせる。そして、ロニー・ジェームス・ディオに似た(シークレットブーツも履いている)マレー警部は、この調査にあたって、ヴァン・ヘルシング教授に協力を依頼するのであった。

ピーター・カッシングとクリストファー・リーの存在感は、どう表現してもこの言葉に落ち着くだろう。使い古された言葉だが、素晴らしい、この一言である。

特にクリストファー・リーのドラキュラ伯爵は、「吸血鬼ドラキュラ」でのドラキュラ伯爵と比較して見て欲しい。「吸血鬼ドラキュラ」でのドラキュラ伯爵は、野心に溢れている。自分の野心の為に、元気一杯なのである。この映画でのドラキュラ伯爵は、どことなく疲れている。くたびれていると言った方が当たっているのかもしれない。覇気が感じられないのである。その理由は本編で、ライバルであるヴァン・ヘルシング教授に語らせているのだが、こういう演出も憎いものである。こうすることによって、ドラキュラ伯爵を変に雄弁にすることなく、心情を観客に理解させるのだ。喋り過ぎて映画的に自滅することはないのである。

推測だが、クリストファー・リーにとっては最後のドラキュラ映画となった今作で、自分の演じるドラキュラ伯爵を永遠の眠りにつかせたかったのではないだろうか。その思いが自然と出てしまったのではないだろうか。

最後の場面、ヴァン・ヘルシング教授の、安堵感とは言えない表情との対比を見て欲しい。ドラキュラ伯爵は、全ての生物を道連れにした死を望み、ヴァン・ヘルシング教授は、勝利したのに不安という恐怖と虚無感を残す。まるで勝者と敗者が逆のようである。この最後の場面が、それまでのクリストファー・リー演じるドラキュラ伯爵の佇まいで納得出来るのである。最後になるかわからないピーター・カッシング演じるヴァン・ヘルシング教授は、不安と空虚感と共に未来を見るしかないのである。偶然だろうが、演じ切るのが難しい部分で、こういう現実の思いが出るというのは、二人の役に対しての同調の成果だろう。

ただ、面白い映画ではあるが、傑作とまでは言い切れない。それは、テンポのよさを前面に出したが故に、大事な伏線を効果的に張れなかったことが挙げられる。テンポよく進める為に単純明快に物語を進行させるのだが、その仇が最後の対決において、重みもなく、あっさりし過ぎという結果を導いてしまった。

最後の場面、ドラキュラ伯爵が苦手とする茨の木の中に突っ込んで行くのも、自殺願望があるというのは提示されているので、無理に納得は出来るのだが、映画として考えた場合、ドラキュラ伯爵の重み、威厳が消えてしまいかねない。これではただのアホ伯爵だ。

この伏線としては一応、ヴァン・ヘルシング教授がドラキュラ伯爵の苦手となるものを教えている場面の中であるのだが、場所としては唐突に出て来たものである。これを、ロニー・ジェームス・ディオに似ているけど彼よりも身長は高いであろう(実は劇中で一番多く【小物だが】吸血鬼を退治している。ヴァン・ヘンルシング教授の二倍のスコアだ。但し、ヴァン・ヘルシング教授は大物を退治している)マレー警部が屋敷に侵入する際にこの場所を発見し、ヴァン・ヘルシング教授に伝えるという場面を作るだけで、ドラキュラ伯爵の評価、威厳も下げないし、ヴァン・ヘルシング教授の頭脳プレイという形を取ることも可能だ。魔人の魔力に対抗しての、人間の知力である。

最後の、映画を決定付けてしまう部分だけに悔やまれる。それまで、十分に面白く堪能させているだけに、余計に最後の詰めの甘さが目立つのである。

苦言を呈してしまったが、それでもこの映画は面白いと言える。予算はあまりなかったと思われるが、アイデア、撮影方法、構成、頭の使い方次第で、このように出来の良い映画を作ることが可能なのである。登場する女性吸血鬼にしても、牙を付けているだけである。しかし、それまでの雰囲気と構成で、禍々しい妖しい恐怖感を醸し出しているのである。

劇中の舞台にしてもそうだ。登場人物の行動範囲はロンドン及びその近郊だけである。こういう場合、スケール(感)が小さくなり、悪い意味でこじんまりとしてしまうのだが、スケール(感)を小さくすることなく、逆にこじんまりとした範囲の中での出来事ということを逆手に取り、全人類滅亡の第一歩を秘密裏に行っているという、じわりとした恐怖を効果的に演出出来ているのである。

何度も書くことだが、この映画はホラー、怪奇映画というよりもアクション映画である。恐怖を感じるという部分では物足りない部分は否めないが、躍動する展開を堪能して欲しい。

出来れば、「吸血鬼ドラキュラ」を最初に見て欲しい。そして、本作を見て欲しい。最初と最後の、魔人と人間の対決を目に焼き付けて欲しい。

今回のDVDの特典映像について。解説・トータル監修の石田一氏は、失礼なことに今まで名前を存じ上げていなかったのだが、宇宙船やスターログ、ファンゴリアに携わっておられたという経歴の持ち主である。宇宙船は創刊号から購入していた僕は、恐らく小さい頃から氏の書かれたものを読んでいたと思う。特典での、ドラキュラを語る氏の表情は、大の大人に対して失礼な言い回しではあるが、小さい子供におもちゃを与えたようなキラキラした輝きを感じた。内容も、マニアに対しても一般の人に対しても両立して提供出来る興味深い内容であり、これは編集した制作側の努力もあったであろう。

そして最後に。マレー警部役の役者を是非注目して見て欲しい。これは、ロニー・ジェームス・ディオがこの後ブラック・サバスに加入することを暗示している証拠だ。違います。

ママカレー

2007年01月20日 15時31分08秒 | 食べ物
以前、日本橋南端の「末広」というカレー屋さんが閉店したことを書きました。昔ながらの家庭風味のカレーのお店で、結構重宝してたのですが、前振りもなく閉店してしまい、残念に思っていました。

ところが、Nippon-bashi Shop HEADLINE(ttp://shop.nippon-bashi.biz/ 最初のhは抜いてます)さんの記事で、「ママカレー」という名前で移転されて営業再開とのこと。
該当記事URL ttp://shop.nippon-bashi.biz/log/20061010_suehiro.html(最初のhは抜いてます)

単なる引っ越しやったんかよ。あの時の哀愁の気持ちを返せよ、この野郎。と悪態をつくくらい、余裕が出来て嬉しかったので、早速突撃してきましたよ。

場所は、ちょっと説明し難いけど、地下鉄の日本橋駅下車で、堺筋の一本東の筋を南下していったら、左側にあります。前方にはツクモなんば店が見える筋です。南方向の一方通行道路なんかな。まぁ、車一台通るのがやっとの狭さの道です。

店は昔に比べると新しいからなのか、結構明るいです。玄関なんて今風の総菜屋さんみたいな感じです。ただあの、何と言うか、得体の知れないというか、無意味な不気味さみたいなもんは漂わせています。流石だ。

そして、あのおばちゃんのテンパってるのか、余裕ぶちかましてるのかわからない様態もそのままです。

で、頼みましたよ、特大を。前って特大ってなかったよね。ってさ、療養中なんをすっかり忘れてたよ。しかも、あんまし量を食べたらあかんねんけどね。

メニューは、普通、大盛り、特大の柱があって、トッピングでレタスとか納豆とか。ご飯追加が30円で、ルー追加が100円。

普通は350円で、大盛りは450円か550円のどっちか忘れました(昔は450円やったから450円やと思う)、特大は650円です。

そして、何故か食券機が導入されています。これが一番の変化なのかもしれない。意味があるのかとか、そんなことは考えちゃいけない。そうこの食券機は語りかけているのかもしれない。

画像は特大(650円)です。

もうお腹パンパンですよ。食べ切られへんのんとちゃうんけって思いました。最近胃袋が小さくなってきてるみたいで、すぐに満腹中枢が警告を発令しますからね。

味は、もうそのままです。ご飯がちょっとねっていうのもそのままです。もう少し固めがいいなぁ。

おばちゃんが話しているのを聞き耳立てていると、最初は一日五人程度しか来てなかったけど、最近は増えて来ているらしい。このまま流行って欲しいという野望も持っているようだ。

僕が食べている時も、お客さんはチョロチョロ来てたし。僕も、毎日は無理やけど、月に一回程度は行きたいと思いますね。

ここのカレーは、自分でカレーを作っちゃう人にとってはあまり有り難みもないやろうし、積極的に食べたいとは思わないやろけど、僕のように一人暮らしで、料理を作れない人からしてみたら、手軽に懐かしい昔の家庭のカレーを食べることが出来て嬉しいんですよね。まぁ、味は滅茶苦茶美味いっていうレベルじゃないけど、なんか性能以上の何かを醸し出してるんですよね、ここのカレーって。それが万人受けじゃないのはわかるけど、嵌る人は嵌っちゃうんとちゃうかなぁ。野菜も多くて、見た目ヘルシーだしね。

潰れない程度に流行って欲しいです。

最後に、「ママカレー」って思い切ってベタな名前にしたよなぁ。

一番最初の気持ち

2007年01月16日 21時08分48秒 | ゲーム(MMORPGとか)
何故かリネージュに復帰した昨今、寒さが体を直撃します。

と、意味不明な出だしをしてみます。

リネージュに復帰してみて、全く新しくやり直そうかと思って、今までとは別のサーバにキャラを作ってみました。まぁ、本当はリネージュ2と同じキャラ名を使おうとしたが既に使われていたので、そのキャラ名をどうしても使いたくなったので、別サーバに行ったんですけどね。

なんかね、そのキャラ名は最初はそんなに気に入ってなかったんですよね。リネージュ2でのキャラなんですが、リネージュ2のオープンベータ開始時に本当に取りたかったキャラ名が取れなくて、苦し紛れに頭を捻って絞り出した名前なんですよ。でも、一番付き合いが長いキャラ名になってしまいました。

リネージュ復帰で一番びびったのが、象牙の塔セット(セット効果はないけど)ですね。この装備で序盤、レベル30近くまでは行けるんじゃないのかってくらいのものです。昔はちびちびと装備を補強していったんですよ。あぁ、懐かしい。

それで結構序盤の強敵とも戦えたりして、楽でした。最初は楽にしないと、新しいお客さんも呼べないもんね。

リネージュ(2もだったけど)は、キャラが死亡するとアイテムを落としちゃうことがあるんよね。装備アイテムを落とした時はマジへこみますよ。それはまだまだ健在で、速攻で落としましたよ。装備じゃなかったからよかったけど。初心者っていうかやり始めたばっかりの人には厳しい仕様だけど、こういうのもあるからリネージュって面白いとも思ってしまうんですよ。

そんなこんなで、資産も何もないけど、一から始める楽しみを味わってます。なんか最近はリネージュ2を休止、復帰って感じでやってただけなんで、何もない状態からっていうのは久々やったけど、こんなに楽しかったのかって。

確かに欲しいアイテムとかがあっても、お金がなくてあちゃ~、悔しいって気持ちはあるけどさ。

当分はリネージュ(2もね)の世界を満喫しようと思う。

仮面ライダーカブト さらば地獄兄弟

2007年01月14日 09時55分28秒 | 仮面ライダー響鬼 nano
ネタバレ警報、発令中です。以下の文の中に、ネタバレが潜んでいますので、注意が必要です。

↓↓矢車矢印
というわけで???、本日は仮面ライダーカブトの最終回一話前でしたが、いや~、この展開の詰め込み過ぎは何でしょう。面白かったんやけど、ずっとカブトを見てきた人にはどう見えたんでしょうか。

もうちょっと全体を通した展開を、スタッフ、役者共に詰める必要はあるんじゃないかなとも思うけど、こういう詰め込み展開も嫌いじゃない僕がいるのも事実(笑)だったりするし。

ほんで、ちょっと不明というか、本当にそうなんかなっていう部分があるんですが、ダブト(ダークカブト略してダブト)の中の人は、小さい人間の子供を誘拐してネイティブ化させて(ネイティブ化第一号)、その後、(人間の)天道に擬態させた、でOKなんでしょうか。で、外見は天道になっている、と。記憶とかも引き継いでいるのかな。

なんか小さい子供役(ベッドで寝てた少年の方ね)は、昔のシーンで出てきた少年時代(親が擬態された時のかな)の天道に似てなかった?

実はカブト天道がネイティブかワームで、ダブト天道っていうか、ダブト日下部が元々人間でオリジナル素体なんかな、とも思えるような。35周年記念での改造人間登場と、平成シリーズで続けている異形の者が変身するというパターンのミックスを主人公キャラでやってみましたということで。まぁ最終回に向けてのミスリードなんでしょうけれどもね、ちょっとあやふや気味に描いているのは。

つか、結構カブト見てんじゃん、僕。

まぁ、今日はゲームの徹夜明けとはいえ、見る気マンマンで見たからね。先週の為体振りがもったいないよね。

そして、そして、そして、あれで地獄兄弟終わりなの?
マジで?
嘘~~~。

最後、兄貴が義弟の敵を討つ為にやって来ないの?
ラストバトル(最終決戦って書く程重くはないんよね)には来ないの?

今日の展開でさ、パンチホッパーのゼクターも持って、パンチキックホッパーになるんやと思ったのにさ。あ、横山って名前を付けないと。あ、上岡っていう名前だけでいいのか。

話は戻って、ダブトの設定は改造人間なのね。ここが昭和ライダーを彷彿とさせる部分なんでしょうが、設定としては美味しいとは思うんやけど、その消化のさせ方が拙いというか、ね。

とかなんとか書いていますが、今何故かリネージュ(1の方)をやってまして、ダークエルフという種族を選んでいます。名前は、「裁鬼」。そして、ペットを飼ってまして、その名前は、「イシワリ君」。当然、だ。

まぁ、ネタキャラっていうか、これがやりたい為だけに作ったので、このキャラを育てることはないかも、ですけどね。でもね、「イシワリ君」だけは育ててみようかな、別キャラに飼わせて。

そうそう、話は飛ぶけど(これがライブ感だ、今回書いてる文も意図的に段落を飛ばしたりしているぜ!)、「仮面ライダー剣(ブレイド)」の最終回をもう一度見たいと思って、DVDを借りてきて見ましたよ。

テレビで見てた時は、まぁ殆ど見てなかったんやけど、最終回見るだけで何となく全体がわかってしまうっていうのは、展開的には面白みがないのかもしれないけど、視聴者的には優しいんじゃないかなぁと思ってたんやけどね。だって、飛び飛びでしか見てなかったにも関わらず(最終回3話前位からは連続視聴してましたけど)、大きな展開はなんとなくわかったしね、当時。

最初に見た時は、綺麗な纏め方をしたよなぁ、と思ってました。555も最終回だけは綺麗な纏め方だったけど、それに至る最終回前の展開がね、もう滅茶苦茶だっただけに、妙に最終回だけ浮いてるのよね。

ブレイドもちょっとウホ気味な関係が気持ち悪い部分はあるけど、敵であるはずだったアンデッドが人間の心を持って生きていこうとし、人間であるはずの者がアンデッドになりながらも人間の心を持って生きていこうとするっていうのは、王道的な展開とはいえ、結構感動的でした。

今回DVDで見直してみたんですが、一度見てしまっているっていうのもあるんですが、なんかさっぱりし過ぎっていうか、重みがないのがなんだかなぁと思っちゃいました。それは、役者の演技力の問題かなっていう気が。わざと軽くやったとは思えないんですよね。そこが残念な部分でした。

あ、ブレイドの最終回のネタバレしちゃってるよ、ゲッフン。

オマケの出演者の座談会風味の会話を聞いていて知ったのですが、ジョーカーつぅかヒューマンアンデッド役の人って関西出身なのね。関西弁丸出しで、劇中の陰のある雰囲気とのギャップが凄かった。オマケを最後に見てよかったよ。最初に見てたら本編の印象がもっと変わったやろなぁ。

経験

2007年01月13日 12時17分29秒 | 人生適当語録
経験しただけではあまり意味はなく、経験を活かすことが大事。そして、経験を活かすという能力もまた生まれもったものである。

と思っていたんですけど、最近はちょっと考えが変わってきてます。センスのある人が、そのセンスを活かすことが出来る経験を積んだ場合、その経験は活きてくるのではないかな~と。

センス自体が持って生まれたもので、後天的に養うことは出来ないっていう考え方にはまだ変わりはありませんが。

そのもの自体のセンスを持っていない人が、幾らそれ自体のセンスを養うような経験を積んだとしても、経験を積んだという自己満足が残るだけで、活かすことは出来ないでしょう。

経験することが重要ではなく、経験を活かす術を自然に血肉にするのが重要なのだという本質には違いないんやけど。

と真面目なことを書いてみました。

最近、無線のマウスにしたんやけど、滅茶苦茶早いペースで電池がなくなるよ~。

ダイナマイトが爆発

2007年01月11日 21時41分11秒 | 人生適当語録
昨年大晦日の格闘技イベントのダイナマイトのメイン試合、桜庭選手対秋山選手の試合が、ノーコンテストになったことが主催者から発表されました。

テレビを見ていて、桜庭選手が何故急にタイムを掛けようとしたのか、怪我でもしたのかっていう思いがして、見ていて凄く引っ掛かってました。でも、怪我なら応戦はしないよなぁとも。なんか不可思議でした。

今思うと、桜庭選手は、戦っていいのか、それとも抗議を続けるべきなのか、迷っていたのだと思う。本能的に戦おうとしても、心も頭も拒否するっていう、とてもアンバランスな状態でありながら、よく耐え忍んだんだなぁと思います。

僕は桜庭選手のファンでも、秋山選手のファンでもありません。桜庭選手は凄い選手だと思うし、プロレスファンの僕の溜飲を下げてくれる活躍をしてくれたこともあって、ファンではないけど、愛着とも違うけど、不思議と応援したくなる選手です。

秋山選手は、最近の試合は面白くなってきたと感じていたし、柔道の人なのに打撃センスが結構あるのではないかとも感じてきて、密かに期待していたんです。

桜庭選手は、正直に言うと全盛時は過ぎてしまって、もう衰えていくだけだろうし、秋山選手は今が全盛時という感じで、余り接点がなかったであろう両者の、立場や環境も考慮したプロレス的な見方では、面白い試合になると思っていた。

レスリングの技対柔道の技という展開、或いはお互いに打撃好きということもあっての打撃戦という展開、どちらに転んでも面白そうだって思えたのですが。

妄想は現実を超えることは出来ないのだろうか。

今、ヒーローズは格闘技興行ではあっても、内容はプロレスの方向へ行くのか、それともスポーツとして纏めていくのか、分岐点に立たされてしまったように思える。それは、ファンであり、スポンサーであり、自らの興行で、望まない展開になってしまった上での、分岐点への立脚ですが。

もし、スポーツとしてやっていきたいのなら、文句が出ない状態で、確認した映像の公開や、第三者を入れる等して(不正しない前提でね)の問題解決を計るべきだと思う。今からでは遅いけど、やる必要はあります。

今回で決着とするならば、プロレス的な形で今後の興行をやりたいのだろうと思う。格闘技風味のプロレス。ならば、昔のUWF的な感じでやってくれよとも思う。僕の見方もプロレスと同一になるでしょう。

プロレスは素晴らしいけど、格闘技とはいえるけど、戦う相手は対戦選手ではなくて観客ですからね。興行というものは、本来はそれが正しいのではないかと思うことがあります。純粋に、競技としての勝ち負けだけをやりたいのなら、アマチュアでやるべきだし、スポンサーを付けるとかはすべきでないように思ってしまう。自分のお金(対戦相手のお金もね)で全てを賄うべきで、観客を入れるのもいいけど、基本はお金を取らないっていう姿勢。理想過ぎるだろうけど。

プロがアマチュアよりも優れているとかってやるよりも、プロとアマチュアは本来の目的、理想、やり方が違うっていうことを、もっと認識すべきだと思う。

あれれ、また話が飛んじゃいました。てへ。

リネージュ 3D

2007年01月10日 19時55分43秒 | ゲーム(MMORPGとか)
「ZerA」がとうとう日本でもクローズベータをやるようです。僕は、オープンベータになってからやってみようと思ってます。それで面白かったら有料化されても続けようかな。

で、最近はリネージュ2だけでは飽き足らず、リネージュにも復帰しちゃいました。ちょっと昨年末にネットカフェで時間潰しにリネージュをやってみたら、結構面白く感じちゃって。なんかチープなんが味わい深いっていうか。

システム的には、リネージュ2よりかは気に入ってるんですよね、実は。見た目でリネージュ2をやってるようなもんですからね。

リネージュ2では僕のやっているキャラ(エルフという種族で、ソードシンガーって職業)では、両手剣を振るうのは大変(モーションとか遅いし)なんですよね。両手剣はオークでデストロイヤーかヒューマンでグラ以外は結構不遇だし。ヒューマンでグラでも基本は二刀流武器だし。盾の性能が良いんで、盾持てよっていう風潮もあるし(あ、これは被害妄想かも)。

リネージュではナイトか君主のキャラなんですが、どっちも両手剣を振るってペチペチやれるのが、なんか今は凄く心地良いんですよ。モーションも遅くないし。片手剣よりも遅いけど、気にならないし。

ま、リネージュでも両手剣は不遇の武器で、盾を装備出来なくなって、防御力が結構落ちるっていうマイナス点があるんですよね。片手武器に比べても攻撃力はそんなに上がらないし。

以前は、ナイトのグラフィックは、剣を装備してると両手剣のものになっていたので、実際は片手剣を装備しているのに、気分は両手剣装備だったんですが、今は両手、片手のグラフィックがわかれちゃって、そういう誤魔化しの気分は通用しなくなったのが、ちょっと残念なところかな。でも、グラフィックが変わって両手剣のダイナミックさは増えたような気がするんで、一長一短なのかな。

タイトルと全然関係ないこと書いてるけど、リネージュをやっていて思うのは、これが3Dだったらなぁ、っていうことです。リネージュ2の癖で、視点グリグリをやろうとしちゃうし。

何度も書いたんですが、「Lineage Forever」というタイトルで3Dで作ろうとしてたんですよね。しかもある程度のデモは出来ていたし。うーん、今からでもいいから、単純に3D化したのでいいから完成させて出して欲しいなぁ。

ヴァンパイア X

2007年01月07日 15時27分29秒 | 映画・DVD・テレビ番組
「ヴァンパイア X」 VAMPIRE ASSASIN

太ったおっさんのアクション発表会。俺ってこんなに動けるんだぜ。っていうのを提示しているだけのものです。端的に言うと。

海外のテレビドラマのパイロット版(第一話)を、滅茶苦茶端折ったって感じで、結構途中の話が飛んでいますが、それでも筋がわかるっていうのが凄いのか、元々無駄な話だったというのだろうか。

ライブ感を大事にするプロデューサーや脚本家の作った某平成ライダーシリーズを繋げて連続して見ると、こういう感じになるのかなって思いました。

つか、見てるのごっつ苦痛やった。最後まで見た僕を誰か褒めてくれって感じ。上にも書いたように、途中を端折っている部分が多く見受けられるんやけど、完全版なんて見せられた日には、苦痛を通り越して拷問になりかねない出来のものです。

ああ、映画とか、作品とか、そういう単語を使いたくないです、これには。

自主制作映画で、内輪受け、関係者だけに向けてだけ作られたものでも、見せられた関係者は苦笑するしかないやろってレベルのものです。

はっきり言いましょう。見る必要ありません。余程マゾか、吸血鬼関係のものは何でも見ないといけないっていう使命を帯びているか、っていう人でも、余程の覚悟がないと見るのは危険だし、辛いし、苦痛の連続です。

物語は、昔吸血鬼ハンターのおっさんが、吸血鬼を倒し過ぎて自分が吸血鬼の力を欲するようになってしまって吸血鬼化。時は現代になり、刑事の太っちょおっさんが吸血鬼の関与していた事件に巻き込まれ、自分も吸血鬼ハンターとなり、元吸血鬼ハンターのおっさんを倒すけど、そのおっさんに咬まれたのが原因で自分も吸血鬼になり、俺は吸血鬼を倒すぞ~、ヴァンパイアアサシン(吸血鬼暗殺者?これが原題っぽい)になるぞ~、って宣言するっていうものです。

裏切りがあったり、外の吸血鬼ハンターグループと無意味な闘争があったり、師匠の師匠が元吸血鬼ハンターの吸血鬼のおっさんやったっていう、どうでもいいネタバレがあったり。刑事の太っちょおっさんが何故かずっと殺されなかったり。

まぁ、兎に角、見るな。この一言でokだよね。資源の無駄だよ、こんなの。

あ、刑事の太っちょおっさんが監督して脚本も書いてプロデュースもしてるっぽい。自作自演。

始まって数秒で、痛いもんやわ、これは、って感じたんやけどね。最後まで見たのは本当に苦行でした。もうこんな思いは味わいたくない。

デビルマン(最近の映画版ね)の方が遥かにマシ。

つか、この制作費を僕にくれたら、「演歌 of the dead」をマジで作るのになぁ。