Invalid Life

「演歌・オブ・ザ・デッド」公式ブログ
(C)りょんりょん 2004-2007

最終回

2008年01月02日 20時55分06秒 | 人生適当語録
新年明けましておめでとうございます。

というわけで、このブログを閉じることにしました。

見て下さった方々、どうもありがとうございました。

実質三年ちょっと続けてきて愛着もありますが、そろそろ潮時かなと思いました。

去年は、なんか精神的に辛い年で、裏切られたり、存在を否定されたり、裁判されそうになったり、散々な目にあってきました。

今年は、もっと自分をしっかり持って、人を必要以上に信用しないようにして、自分を守る事だけを優先します。

あぁ、最後まで愚痴っぽくなっちゃいました。

change the world by eric clapton

2007年10月22日 00時45分26秒 | 映画・DVD・テレビ番組
フェノミナン

ジョン・トラボルタ主演の映画を、今更ながら見ちゃいました。一応主題歌とされてる(よね)、クラプトンの曲は何度も聞いてるんですけどね。

見る前からどういう話かも知っていたし、結構感動出来るという話も聞いたので期待したんですが、裏切られることはない出来でした。

FBIとか脳医学の世界的権威やけど性格最悪の奴とかが陰謀(規模の割にはちゃちいけど)を巡らしたりしますが、ほとんどはトラボルタのこれまでの日常の世界の中で完結するっていうのは、こういう特殊能力を持っちゃいました系の映画にしては珍しいと思います。っていうか、僕はこれ以外には知りません。

なんか特殊能力を持つと、壁をよじ上ったり、爪を伸ばしてみたり、治癒能力が高まったり、天候変えたり、緑色になったり、巨大化したり、お前の女の部分が泣いているとか言う臭い台詞を吐くわりにはあっさりやられる奴が出てくるとか、そんな映画ばっかり見てしまってますが、トラボルタは踊らないし、顔も入れ替えないしで、淡々と友人の為になることを計画したり、好きな女性と一緒にいたいなんてことをするだけです。

ただ、お約束の、特殊能力を持った人間が本質的な部分では変わらないのに、周りが悪い方に変わっていくという描写は入ってます。それでも、トラボルタは変わらないっていうのが、劇中でのトラボルタの役の本質部分は普遍なんだよっていうことを表しているのだと思います。だからこそ、最後は、ハッピーエンド(なんかな)になるんやと思います。

ところどころ突っ込みたいところもあるけど、テーマを語る為には仕方がない部分だと思うし。この映画のテーマは、例えどんな能力を持ったとしても、使う人間の意志(意思でもあるかな)が問題であって、人にはそれぞれ特殊な能力があるんだよということを言いたいのだと思います。それは劇中でもあるようなわかりやすいものだけではなく、人を気遣う能力とか、それを感じる能力とか。そして、能力だけではなく、意志(意思)を正しく持つことが大事であるということも。

何かを起さないとそのまま腐っていくだけだけど、起してみると記憶として残ることが出来る。そうして、全ては一体になる。ってことですか。ちょっと宗教かかってるけど、匂いが充満してるほどではないので、この程度ならいいと思います。トラボルタのあれには関係ないですよね?

あ、熱く書いちゃってるよ。二時間の映画ですが、飽きずに見ることが出来ると思います。特殊能力を持った者同士の戦いを期待さえしなければ。

なんかウルティマをまたやりたくなった気分

2007年10月21日 02時25分06秒 | ゲーム(MMORPGとか)
ゲーム紹介サイトの4Gamer.netでウルティマ・オンラインの10周年を記念して、昔のGMによる座談会の模様が記事になっていました。大変興味深いというか、笑わせて頂きました。

詳細は下記URLをコピーしてアドレスバーに張り付けて下さい。三回にわけて記事になっています。
http://www.4gamer.net/games/005/G000570/20071016029/
http://www.4gamer.net/games/005/G000570/20071017017/
http://www.4gamer.net/games/005/G000570/20071018023/

その中で、三回目の記事中に興味深いことが書かれていました。以下引用します。
【引用開始】
一般のユーザーが何人かで集まって,本稼働のコンテンツとして運営できるような形にしたいと。つまり会社がサーバーとツールを与えるポータルサイトになれば良いのではないか
【引用終了】

ちょっと目から鱗でした。そこで思ったんですが、サーバとかを与えるとでもいいですし、プログラムだけを与えるとかだけでもいいですし、期間限定で貸し出すとかでもいいのですが(それは商品として種類を出すということで)、特定の運営先を決めてやるという方法だけではないやり方が出来るんではないでしょうか。

例えば、「演歌・オブ・ザ・デッド」っていうMMORPGがあったとします。正規(という表現が正しいかは今回は無視ということで)運営会社とは別に、ある特定の個人(或いは小規模な団体)にプログラムの提供(販売)を行います。サーバは個人に作ってもらう。修正パッチは随時送る。

そこでの登録ユーザの管理は提供先でやってもらう。ユーザから徴集するかどうかは勝手に判断して、と。どういう運営をするのかも基本は自由。

ただ、新しいモンスターを作成しましたとか、新しいマップを作りましたとか、そういうフィードバックは採用するしないは別にしてお互いに交換しあいましょう。

そういうノリでね。

提供企業側の利点としては、提供先からいち早く修正パッチが作られる可能性があるとか、新しいアイデアを素早く共有出来るとか、ブランドを広める効果を見込めるとか、勝手にテストしてくれるとか(←これが重要だったりして)。それから、販売した場合はその売り上げを見込めますよね。

デメリットとしては、正規の運営会社との兼ね合いとか、ブランドの悪用、ブランドのネガティブイメージの広まりとか。

販売には色々種類があっていいと思うんですよ。

プログラム・サーバ・管理ノウハウ・人的リソースの提供。これってゲームの開発先が運営先にやる今のパターンと同一ですね。

プログラムだけ提供し、修正パッチや大型アップデートも開発終了まで提供する。あくまでもプログラムの提供で、パッチあて作業とかは提供先でやってね、ですけど。

プログラムだけ提供し、一定の期間のみ修正パッチや大型アップデートを提供するが、期間終了後は継続してやってもいいけどサポートはしないとか。期間終了後のアイデアはお互いにやり取りしないとか、その時々で契約するとか。

正規の運営先も別に一国一社じゃなくてもええと思うし。開発元にちょっと負担がかかるかもしれないけど。「演歌・オブ・ザ・デッド」のA社のサーバはゾンビしかいないけど、B社のサーバは吸血鬼までいるし。でも、A社のサーバはゾンビ世界を生き残るっていうプレイが出来るけど、B社のサーバはアクションが全面に出てるよなぁ、みたいなね。

ああ、ウルティマまたやろうかな~。僕がウルティマを最初にやったんは、もう8年くらい前になるんですよねぇ~。既に世界は二分されてましたし、悪評高い3D機能もありましたけどね。あの時点で運営開始から2年経っていたってことになるのかな。感覚的にはもうだいぶこなれていて、5年は運営されているようだったんですけど。

僕的にはディアブロみたいに目的が決まったっていうものに慣れ過ぎていたせいか、ウルティマのようになんでも出来るっていうのは、ふとした拍子に目的を失った場合に、何もする気が起きなくなるっていうことがあったんですよねぇ。そんな波が小さく何回か来て、それが短期間で積もって止めてしまったんですけどね。

しっかし、記事を読んでいると昔は滅茶苦茶やってたんやなぁって。今なら多分許されないでしょうね。僕も許さないと思いますよ(笑)、ユーザなら。

僕が最初にやっていた時にも、古参プレイヤーからは、昔は良かったとかっていう話を聞きましたからね。僕は嫌やなぁ、そんな世界はって思ってましたけど(笑)。

今のMMORPGっていうのは、映画の世界に自分を投影するようなもんで、ウルティマっていうのは、舞台の世界で自分が役者になるっていう感じなんかな。台本通りやるのもアドリブかますのも自由やけど、それは舞台に反映されるんですよっていう、ね。

免許取り上げたらいいのに

2007年10月15日 21時33分52秒 | 人生適当語録
TBSでの例の亀田家のボクシングを偶々見たんですよ。個人的にはチャンピオンを応援していたんですが、チャンピオンの内藤選手は物凄く緊張してたと思いますし、それを画面を通じて感じたので、まさか負けるんとちゃうんかって思ったんですが、きちんと勝つ試合を、ほぼ冷静になってやられていたので、こういうのは経験の賜物だよなぁと思った次第です。

前チャンピオンのポンサクレック選手との戦いと今回の次男との戦いを見比べると、内藤選手の動きが違いすぎて、やりにくい(或いは苦手)相手なのか、期待が大き過ぎて変に緊張してしまっているのか、あまり試合としては面白くはありませんでした、正直。

まぁ、そんなことを書きたいわけではないんですが、今回の件でちょっとムカついたことがあったので、こうやって、時機を逸してまでも書いてみたいと思ったわけですわ。

それは、次男が投げ技を使ったりしたんですが、例えとしてプロレスを出すのはいいとしても、プロレスがボクシングよりも劣るものというような視点での記事が多かったように思えます。なんか、ボクシングの方が上っていう見方ってどうなのさ、っていうね。興行毎や試合毎での優劣(っていうか批判か)はあってもいいけどさ。ジャンルで優劣をつけるのは問題があるんじゃないかな。

話は変わって、またTBSがなんとかミクとかの取材を、意図的に偏った形で放映したそうですが、もしこれが事実だとしたら(つかあんまし知らないので推測っていうか、ネタで取り上げてるだけなんですが)、もう今までのを合わせ技一本で、一回免許剥奪したらどうやろうかって思う。

今はネットがカウンターメディア的な役割を果たしているからまだ救いがあるけど、何もなかったとしたらぞっとします(昔はなかったんですよねぇ)。ネット内も100%信用出来るかって言われると違うけどさ。別視点からっていうことでね。

で、それを取り上げていた番組が「アッコにおまかせ」らしいのですが、和田アキ子氏は以前エリカ様のことをしめるなんておっしゃってましたけど、それくらいの気概がおありでしたら、自分の冠番組でこういう放送をしてしまった責任を取ってさ、番組を止めるくらいのことをしてくれないんやろかねぇ。もうこういう放送ばっかりやるテレビ局には当分出ないとか。

ま、所詮某家と同様に口だけなんやろうけど。つかさ、相手のしたことを取り上げて、しめるとか、そういうことを言う人って、自分のことを何様やと思ってるんやろうって言いたいよ。

てか、あまり何も調べないで、憶測だけで書いてる自分が一番あかんねんやろうけど。ここは僕の思ったことを書く場なんで、許してけろ。

新幹線大爆破

2007年10月14日 21時05分48秒 | 映画・DVD・テレビ番組
1975年東映

高倉健、宇津井健の両健主演の、パニック映画。千葉真一、丹波哲郎他豪華出演陣がちょこちょこ出演しています。

昔、テレビの深夜放送で見たことがあったような気がしましたが、例によってところどころ記憶が飛んでいて、勝手に別の映画に再構築されていたみたいです、僕の脳内では。もっと千葉ちゃんが活躍してたように思ったのになぁ。それに健さん(あ、主演のどちらも健さんですね)、網走帰りの健さんは新幹線に乗り込んでいたんですけどね、脳内では。は!!!別の映画なんかなぁ。でも、ところどころの記憶はあるし。特にラストシーンとか。なんかの総集編とかで見たのを、全編見たって思い込んでいたんかなぁ。

昔の映画だからって容赦なくネタバレしてますよ。基本はネタバレです。

二時間半もある映画としては(今なら新大阪から東京へのぞみで行ける時間じゃん)、途中だらけてもいないし、テンポもよく展開して、時間を感じさせないところは上手いと思います。面白いですしね。

でもね、なんかね、突っ込みどころ満載なんですよね。中身がシリアスなのに。何故か笑っちゃうというか、なんというか。ラストシーンなんて物凄く哀愁というか悲哀漂うのに。

こんなに情けない、おどおどした千葉ちゃんを初めて見たような気がします。なんだよ、予告編の千葉ちゃんは。あんなシーンないじゃんか。新幹線が並走するところで、千葉兄弟も並ぶのがちょっとツボっちゃいましたけど。

構成的には、網走帰りの健さん率いる犯人軍団、赤いスーパージャイアンツの健さん率いる新幹線司令室、千葉ちゃんと暴走ゴリさんが率いる新幹線車内、霊界の使者率いる警察軍団、これらを混ぜ合わせて描く群像劇だと思うのですが、どれも中途半端な感じで描写されちゃってて、悪い意味で掴みどころが難しくなってると思えました。

その中でも主に、主犯である高倉健と、被害者側の司令塔ポジションである宇津井健の人物描写が、他の登場人物に比べると深く描かれているわけですが、もっと二人に注力しても良かったと思います。

そうすることで、宇津井健の最後の選択とその後の人生の選択をもっと重いものに出来ただろうし、高倉健のこの映画のラストシーンももっと悲哀感が増しただろうし。「網走番外地」では丹波哲郎は高倉健を許したわけですが、この映画では問答無用に撃っちゃうのは、対比でしょうか、ギャグでしょうか。

それに、高倉健の息子(役上のことね)は頭緩いし。っていうか、ここらへんを印象深く描けていないので、本当に頭悪い子供っていう印象しか与えられないと思うんですよね。

劇中で「誰も殺さない、誰も殺させない完全犯罪」なんて言ってますが、完全犯罪っていうわりには新幹線爆破の計画って杜撰過ぎませんか。これはあかんやろって、素人の僕が見ても思うんですから、そういうところで劇中での現実感が損なわれているっていう側面もあって、犯人側が哀れな集団としか思えないんですよね(あ、犯罪を美化しているじゃないですよ)。折角、犯人側の意識を一応メインに持ってきてんねんから、もう少しなんとかならんかなぁと。

なんだかんだ文句言ってますが、面白かったのは事実ですよ。そういう突っ込みをしながらもね(本来意図した楽しみ方ではないんでしょうが)。

今リメイクするとしたら、高倉健の役は織田裕二かな、宇津井健の役は役所広司か佐藤浩市、千葉ちゃんの役はキムタク(客寄せ)か佐藤浩市、あ、役所広司も佐藤浩市もどの役をやらせても出来るなぁ。織田裕二には高倉健のような背中で悲哀を語るというのは難しいので(織田裕二を貶しているのではなく、スタイルが違うということですよ。逆に高倉健に織田裕二の無駄な熱さとか妙な明るさを出せと言われても難しいでしょうし)、千葉ちゃんの役で、もっと出番を多くするっていうのもいいかも。役所広司が犯人役やると、テロリスト系になっちゃうかもしれないのであかんかなぁ。

高倉健の役(織田裕二) クールな熱さの高倉健に対して、ホットな熱さ、あ、一緒や、ホットな冷静さの織田裕二
宇津井健の役(佐藤浩市) もの凄く熱いのに取り敢えず理性で抑えてますっていうのが、オーラで出てしまうのでいいと思いますよ
丹波哲郎の役(役所広司) 既に大物感が出てるし、映画が引き締まると思うので
千葉真一の役(キムタク) ちょっとクールにやられると駄目なので、千葉ちゃんと同様にパニクりながらも頑張る役で幅を広げてみては

これに犯人グループの人達とか、刑事とかにちょっと若手の有名な人を配置して、オリジナルと同様にカメオ出演で色々な大物に出てもらったら、面白そうな映画を作れるんじゃないでしょうか。監督は外国人で(←ここポイント。試験に出ます)。

原題は『WAR』と言っても天龍じゃありません。

2007年10月12日 01時14分02秒 | 人生適当語録
ローグアサシン

りんちぇとジェイソン・ステイサム主演の「ローグアサシン」を見てきましたよっと。DVD買うことは決定しました。面白かったですが、日本に過剰な愛国心を持つ人はちょっと怒るかもしれない、欧米映画にありがちな日本描写が炸裂してますので、そういうのを楽しめる人でないと駄目な、見る人を選んじゃう映画です。

まぁ、贅沢なおバカ映画です、一言で言うならば。

ここから下は例によって、ネタバレしかありません。でも、この映画ってネタが命なので、取り敢えずは劇場に見に行く方がいいと思いますよ。多分、すぐに上映が終わると思うので。ほんとにこれでもかっていうくらいにネタバレしてるんで、まだ映画を見てない人はここから下は見ないで下さいね。

ネタバレ開始

のっけから銃撃戦で始まるわけですよ、皆様。ジェイソン・ステイサムとその相棒は情報が内部から漏れてるで~これはって言いながら、伝説の殺し屋ローグが参加していると思われる銃撃戦に勢いで参加しちゃいます。で、観客としては、これはりんちぇとジェイソン・ステイサムが主演なので、ああこの中国系米国人の相棒はローグに殺されちゃうんやなぁという展開を想像すると思います。で、その復讐をジェイソン・ステイサムがするんやなぁ、と。

ええ、僕もしましたよ。

しか~し、な、なんとローグに殺されかけたのはジェイソン・ステイサムで、それを相棒が救っちゃうわけですよ。ローグの顔面に弾ぶち込んで。なかなか凄腕です、この相棒。

でもね、この時点で思っちゃったのは、こんなに最初の時間帯でローグをあっさり撃退させちゃっていいのかよ、と。しかもそれがジェイソン・ステイサムではなくて、脇役の相棒の一撃という展開で。ローグの不死身さを印象付けたいのか、それともあっち系の映画だったのか。それなら見るギアをチェンジしないととか考えました。

ここで、ふと思い出しました。この映画の予告とかで、最後に大どんでん返しがあるとか、ローグには秘密があるとかっていうことを。しかも、トップクレジットはりんちぇだし。

この映画はミスリーディングを積極的にしてもらおうという作りになっています。欧米映画にありがちな日本描写を入れて観客の目をギャグ方向に引っ張って誤魔化そうとしたり(←それは違うやろ)。しかし、丁寧にヒントもちりばめられています。丁寧っていうよりかは、ヒントを上手く誤魔化せなかったと言ったほうが的確かもしれません。

その後、相棒の家族とジェイソン・ステイサムの家族は、郊外のキャンプ地(?)で一緒にバーベキューをすることになってまして、ジェイソン・ステイサムの家族は遅れることになって相棒の家族だけが先にキャンプ地の家に行くわけです。再度相棒の死亡フラグが立ちました。しかも、家族付きで。ご丁寧にローグも画面に登場します(顔は映ってません)。

フラグ通り、相棒の目の前で、配偶者と娘が殺されちゃいまして、家も焼かれてしまいます。ジェイソン・ステイサムが到着した時にはもう警察が来てました。

ここでね、家まで燃やす必要があったのかって思っちゃったわけですよ。で、ああ、そういう展開にするのねって思いましたよ。

で、三年後に舞台は変わるわけです。あれほど何年後とかはやるなって言ったのに。

後の展開は、ローグが米国で睨み合っている石橋凌率いる日本のヤクザと、ジョン・ローン率いる中国系マフィアとを全面抗争するように暗躍します。それにはある目的があったのです。あ、ネタバレありやから書いちゃいましょう。石橋凌は米国には渡ったことがないという設定なんですよ。で、米国に石橋凌を引っ張って来させる為なんですね。

ジョン・ローンはローグに殺されちゃうんですが、ジョン・ローンにも配偶者と娘がいました。ローグはその娘を見て意味深な顔をするんです。石橋凌がローグに復讐されない為にジョン・ローンの家族も皆殺しにしろって言うわけですが、ローグがそれを無視して逃がした件から、もうローグの正体は確信を持って、ジェイソン・ステイサムの元相棒やなぁというのがわかりました。

あ、ばらしちゃった。ついでに、ジェイソン・ステイサムが悪者なんですよ、実は。元相棒の情報を三年前に石橋凌に売っちゃったんですね。それで当時石橋凌に雇われてた元祖ローグが顔面撃たれた復讐に赴くんです。そのことでジェイソン・ステイサムは悩んだりするんですけど、この辺りの描写がいまいちなんです。ミスリーディングさせないとっていう足枷があったからなんですが、ここは重要なポイントなんでもう少し上手く描かないと駄目ですね。

顔をいじるスペシャリストのところでも、三年前にいじったおっさんはローグの存在に怯えながらも生きている。それ以前の顔をいじった奴はワニに喰われたりして死んでいるっていうところは、一応三年前のローグはもう元祖じゃなかったから殺されなかったよってことなんかなぁ。ここなんかはミスリーディングさせようとして失敗している一番わかりやすいところじゃないでしょうか。

デヴォン青木は相変わらずブ(ピー)やったけど、佇まいはええ感じやと思います。ジェイソン・ステイサムも日本語を話す場面があるのですが、これはもうイントネーションがおかしすぎて笑えるのですが、デヴォン青木のは流暢なんですよね。多分吹き替えやと思うけど。口の動きは合ってたように見えましたけど。欲を言えば、もうちょっと話に絡んで欲しかったですね。

日本のヤクザが話す言葉は、イントネーションとかはまぁ問題ないやろっていうレベルなんですが、発する台詞がおかしいんですよね、全体的に。そこは笑うところなんでしょうけれども(←違うと思うよ)。

ケイン・コスギはなんか勿体ない使い方されてましたね。もっと、りんちぇやジェイソン・ステイサムとアクションで絡んで欲しかったですね。りんちぇとのアクション場面もあるにはあるけど短いっすよ、あれじゃ。デヴォン青木と一緒に出てるからいつなんちゃって忍者スタイルになるかと思ってしまいましたよ(しかもアクション監督は同じなんですよね?)。

石橋凌は結構美味しい使われ方だったと思います。りんちぇとも戦えたし(大半はスタントでしょうけど)。存在感もあったし。フェイクのラスボスとしても機能してたし。

ジェイソン・ステイサムの相棒が殺された場面でのジェイソン・ステイサムの見せ方を、ステレオタイプかもしれないけど、もっと激情させて、この事件が原因で妻子とも別れましたという設定にしておけば、よくあるパターンではあるのですが、逆に目を眩ませてミスリーディングをもっと簡単に出来たんではないかと思いました。

映像的にちょっと凝ったこととかありましたが、単純に見せていいところとかのバランスが今後の課題じゃないかな、この監督は。まぁ色々勉強になったと思うし、以外と手堅いところもあったりして、これから伸びるかもしれませんね。

先にも書きました、ジェイソン・ステイサムの描写がちょっとおざなりなんが残念ですね。パンフレットを見ると、ローグの役でりんちぇを想定して脚本が書かれたらしいので、りんちぇの方に比重が置かれてしまうのは仕方がない部分ではあるかもしれません。

上手いなと思ったのは、復讐劇でジェイソン・ステイサムが主人公のように見せてたのに(序盤はそういう動かし方をしてます)、いつの間にかりんちぇが主人公(元々そうなんですけどね)になっているっていう演出です。自然にチェンジしたかのようになってます。最後のジェイソン・ステイサムがりんちぇに真相を告白するところでは、完全にジェイソン・ステイサムはラスボスと化してますしね。

総評としては、おバカ映画ではあるけど、惜しい映画だったと思います。

りんちぇはこういう陰のある役が似合うよなぁ。ただ、肌荒れが酷くなってきてるけど、もう四十路中盤なんですよね。しゃーないっすよね。

あ、元祖ローグは恐れられてるわりには、現ローグ(元相棒)に二回もやられてるわけで、案外大したことなかったのね。

力餅食堂 中崎町

2007年10月11日 03時09分38秒 | 食べ物
密かにシリーズ化を目論んでいる、『力餅食堂』食べ歩きの旅ですが、今回は中崎町店にお邪魔しました。

ここは、カレーうどんが名物というか有名なようなのですが、一風変わったカレーうどんがあるのです。

画像を見て下さい。

パッと見はうどんにカレールーをかけただけのようです。

もう少し見てみると、普通、うどんとかそば用のカレーっていうのは、もっと汁っぽいですが、これは違いますよね。うどんがごはんの代わりになっているようですよね。

もう少し目を細めて見てみると、うどんがちょっとカレー色になっているのに気が付くでしょうか。

なんとここのうどんは、カレー粉を入れて打ってるらしいのです。

今回食べたのは、「カレー皿うどん」です。どんな味かと期待したんですが、というかどんなにアバンギャルドな味なのか期待してたのですが、なんかね、普通に美味い普通のうどんに、カレーのルーがかかってるって感じでした。

お金がない時代(今もやけど)、食費を浮かす為に、うどんとかスパゲティとかを買ってきて茹でて、レトルトのカレーパックも買ってきてそれをかけて食べるという、料理とは言えないことをやっていたことがあったのですが、それを思い出しました。格段に味は上ですけどね、この店の方が。

う~ん、期待外れではあるけど美味いからなぁ。悪くはないけどなぁ。

今度はきつねうどんにしよう。

眠狂四郎勝負

2007年10月05日 02時12分54秒 | 映画・DVD・テレビ番組
市川雷蔵主演、柴田錬三郎原作の眠狂四郎シリーズの第二作目。監督は三隅研次、脚本は星川清司、撮影は牧浦地志、照明は山下礼二郎。昭和39年(1964年)大映映画。

眠狂四郎と言えばイコール市川雷蔵な世代(というか再放送漬け)なんですが、うん十年振りに見直してみて、やっぱり面白いなぁと楽しめました。

ただ、何回も書いたことなんですが、結構記憶というのは曖昧で、間違った憶え方をしてるんですよね。この市川雷蔵=眠狂四郎も第十二作目まであるので、それらがごっちゃになってるのかもしれないのですが。

僕にとっての眠狂四郎の印象は、女好きで直ぐに手を出す、ニヒル(今時こんな言い方しないか)で無口、知略家、ストレートに正義感が強い、というものでした。

この第二作目だけでの印象は、女好きというよりも女が勝手に寄ってくる、惚れてくれるという、なんとも羨ましい限りなんですが、そういう環境にあるにもかかわらず結構硬派であったり、結構饒舌家だったり、ニヒルな面はあるけどそれに悲嘆してなくて結構前向きだったり、知略を巡らしてそうであっさり罠に掛かるとか、正義感は強いけど表現方法が曲がってる、結構ナル、そんなところです。

まぁ、ぶっちゃけ、かっこええっちゃかっこええんですけどね。

映画としては、見るべき対象、観客のことをきっちりと考えて作られていると思います。誰に焦点を当てて物事を進行させればいいのかわかっているので、テンポが凄くいい、というか展開にスピード感があるというか。

それに台詞だけで情景を描くのではなくて、ちゃんと映像として描いているのも好感が持てました。昔の日本映画って(でもこの時代はもう斜陽産業だったんですよね?)製作期間とか短くて、結構ドタバタしてたと思うのですが、出来上がったものはきっちりと抑える部分は抑えていて、そういうところが丁寧さを感じさせるんだと思いました。それに妙に勢い(やってやれっていうパターンの勢いだけではなくてね)があるのが、丁寧さとの相乗効果を生んでいるように思えます(全部が全部そうじゃないけど傾向として)。

注目のチャンバラも、対個人、対集団と色々あって、対個人にしても敵の五人がそれぞれ個性(武器によるわかりやすさも完備)もちゃんとあって良かったですね。惜しいのは、眠狂四郎が強過ぎて、ハラハラドキドキ感がないっていうところでしょうか。まぁ、それは眠狂四郎の個性の描き方の一つでもあるので、否定しているわけではないんですよ。

そうそう、敵側の五人なんですが、序盤から中盤のところらへんで眠狂四郎にいいようにあしらわれるんですが(チャンバラはなし)、それによって余計に敵の弱さが目立ったっていうか、威厳がなくなってしまったのが残念ですね。敵が多くて色々な対決が見られるという部分の面白さの変わりに、敵一人をじっくり描いて対決させるという重厚さがなくなっているのは仕方がないところです。っていうか、そんなん描く気なかったと思うし。敵側なんてもっと味付け出来たでしょうが、映画全体としてどうなのかっていうことを見てしなかったんだと思います。この映画的にはそれが成功していると思いますです、はい。

最後は、ええ按排に終わったのか、それとも違うのか、両方なのか。物凄く世情を描いた終わらせ方だと思います。格差問題ってずっとある問題なんですね。そして、自分がどちら側にいるのかで、いいのか悪いのか変わってくる、そんなところも描かれています。

円月殺法があれば後はどうでもええっていうのは正論ですが、夢も希望もなくなりますよ(あれれ)。

このDVD、画質が凄く綺麗なんですよね。結構昔やのにこんな状態で残っているなんて。これはデジタルリマスターの技術が凄いんでしょうか。

仁義なき戦い

2007年10月03日 00時12分23秒 | 映画・DVD・テレビ番組
有名過ぎる映画ですね。何十年か振りに改めて見直してみたんですが、物凄く面白かったです(決して暴力組織・団体を肯定しているわけでも美化しているわけでもありませんよ)。

もっと群像劇っぽく展開していると思い込んでいたんですが、部分部分で一人の人間模様にスポットを当てていたりして、主人公複数制みたいな感じやなぁと思いました。

もっと殺伐としている記憶もあったんですが、コミカルな描写(特に前半)も結構あって、ちょっと拍子抜けしちゃいました。まぁ、シリーズ合計五作(新も入れたら八作?)あるので、それらの記憶がいつものようにごっちゃになっているのかもしれません。

僕の記憶力が悪くなっているっていうのもあるんですが、登場人物が多いのと、相関関係が入り乱れたりするので、こいつ誰やったっけとか、あれ、こいつこっち側やったっけとか、ちょっと混乱しちゃうとこがありましたが、それでもぐいぐい引きつけられたのは、この映画の持つパワーなんでしょうか。

ポッと出の脇役も個性的で、なんか生き生きしているんですよ。そんな役の人が結構多く入り乱れたりして、話をかき回したりしはるから、もう覚えるので大変でした。

最後はちょっとスッとしない終わり方ではあるんですが、一応事実を元にした映画なんで(そうやったんですね、最近知りました)、しゃーないのかもしれません。シリーズ化も撮影中に決まったみたい(ウィキペディア情報から)で、そういう事情もあったのかもしれません。

DVDには相関図が付いていたりしますので、最初に本編を一回見て、相関図を確認してからもう一回見るっていうのがいいのかもしれません。

予告編もオマケに付いているんですが、劇中にない場面もあるよね?てか、昔の日本映画を最近よく借りてきて見るんですが、予告編だけの場面とか結構ありますよね。没になった場面もあるんでしょうけど、スチール写真みたいに予告編用の場面も撮影してたんかなぁ、昔は。

シリーズ全部見直したいです。てか、今月は仕事は暇やけど、仕事が終わってからはちょっと野暮用があったりするんで、来月くらいには借りてみようと思います。でも、それまでにこの最初のやつの筋を忘れてたりして(←あかんやんか)。

続網走番外地

2007年10月02日 01時53分33秒 | 映画・DVD・テレビ番組
前作の「網走番外地」が想定外のヒットになったらしくて、総天然色で続編が作られました。なんか最近の映画はリメイクや続編が多くて嫌やなぁって思っていたんですが、昔の映画って続編だらけですよね。それを楽しんでいたのになぁ。まぁ、連続活劇っていうのは、今でこそテレビドラマ特有のものになってますが、テレビのない時代では映画がそういう役目を担っていたんですもんね。

あ、いつものように微妙に話が逸れました。今回のこの映画は、微妙に前作の続きのようでそうでないという話になっています。前作のキャラの設定とかだけを引っ張ってきて、一応網走刑務所を出所したというところから話をスタートさせたというところでしょうか。一番のポイントは、網走が舞台とちゃうやんけ、ということです。主な舞台は青森です。

前作と違って今回は肌触りといいますか、結構コミカルな部分が多いです。まぁ、こういう映画なんで、硬派な部分もあるんですが。その相反するようなところを繋ぎ合わせて一つのものにしているのが、主演の高倉健なんですよね。

そういうのが影響しているのかどうか、高倉健の役が前作よりもなんとなく人懐っこくなってるような気もします。軽口叩いたりして、無口な印象ではないですね。

時代を感じさせる背景(風景)なんですが(当然ですよね、40年以上前やし)、映画としては古さをあまり感じさせないのは凄いと思いました。

途中まではスリリング(なんかな)展開とコミカルな描写が相まって進んで行くんですが、そういう中で綻びがところどころ出て来るんですが、それが最後に纏まって出てしまったっていうのが惜しいところではあります。ラスト部分の撮影は予算と時間がなくなったので、突貫で作ったのかなぁという印象を持ちました。

前作とは方向性が違うと思うので、前作が好きだった人には当時はどう受け取られていたのか、興味があるところです。高倉健の役でいうと、前作は更生していく人間が再び悪事に巻き込まれていく過程の葛藤を描いていたのに対して、今作は完全に人物描写がヒーロー的な描き方になっているっていうのが、最大の違いだと思います。

こういう映画は、頭を空っぽにして、わっはっはって楽しめればいいんですけどね。なんか、最近空っぽになれないようです。