フェノミナン
ジョン・トラボルタ主演の映画を、今更ながら見ちゃいました。一応主題歌とされてる(よね)、クラプトンの曲は何度も聞いてるんですけどね。
見る前からどういう話かも知っていたし、結構感動出来るという話も聞いたので期待したんですが、裏切られることはない出来でした。
FBIとか脳医学の世界的権威やけど性格最悪の奴とかが陰謀(規模の割にはちゃちいけど)を巡らしたりしますが、ほとんどはトラボルタのこれまでの日常の世界の中で完結するっていうのは、こういう特殊能力を持っちゃいました系の映画にしては珍しいと思います。っていうか、僕はこれ以外には知りません。
なんか特殊能力を持つと、壁をよじ上ったり、爪を伸ばしてみたり、治癒能力が高まったり、天候変えたり、緑色になったり、巨大化したり、お前の女の部分が泣いているとか言う臭い台詞を吐くわりにはあっさりやられる奴が出てくるとか、そんな映画ばっかり見てしまってますが、トラボルタは踊らないし、顔も入れ替えないしで、淡々と友人の為になることを計画したり、好きな女性と一緒にいたいなんてことをするだけです。
ただ、お約束の、特殊能力を持った人間が本質的な部分では変わらないのに、周りが悪い方に変わっていくという描写は入ってます。それでも、トラボルタは変わらないっていうのが、劇中でのトラボルタの役の本質部分は普遍なんだよっていうことを表しているのだと思います。だからこそ、最後は、ハッピーエンド(なんかな)になるんやと思います。
ところどころ突っ込みたいところもあるけど、テーマを語る為には仕方がない部分だと思うし。この映画のテーマは、例えどんな能力を持ったとしても、使う人間の意志(意思でもあるかな)が問題であって、人にはそれぞれ特殊な能力があるんだよということを言いたいのだと思います。それは劇中でもあるようなわかりやすいものだけではなく、人を気遣う能力とか、それを感じる能力とか。そして、能力だけではなく、意志(意思)を正しく持つことが大事であるということも。
何かを起さないとそのまま腐っていくだけだけど、起してみると記憶として残ることが出来る。そうして、全ては一体になる。ってことですか。ちょっと宗教かかってるけど、匂いが充満してるほどではないので、この程度ならいいと思います。トラボルタのあれには関係ないですよね?
あ、熱く書いちゃってるよ。二時間の映画ですが、飽きずに見ることが出来ると思います。特殊能力を持った者同士の戦いを期待さえしなければ。