Invalid Life

「演歌・オブ・ザ・デッド」公式ブログ
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仮面ライダー電王はいきなりクライマックス

2007年01月28日 16時35分57秒 | 仮面ライダー響鬼 nano
がああああああ、firefoxうっといぞ。

なんでタブを一枚だけ開きたいのに、アクティブのタブまで巻き添えにすんねん。ボケが。書いている内容が消えたやんけ、あほんだら。

gooももっと簡単に書いてる内容が消えないようにせぇ。ボケが。こっちは金払ってるユーザーやからな。タダのもんとちゃうねん。

マックも相変わらず日本語入力がヘタレてるけど、一体何時になったらちゃんと出来るようになんねん。もうマックも終わりやな。こんな使い難いOSは消えてなくなれ。

テキストエディタで書いてない方が悪いって?うっさいんじゃ、ボケ。

ハァハァ。ちょっと激昂したけど、ほんまに気分悪いわ。今日は、ボトムズのおもちゃとかそんなもんも買ってもうてんけど、可動するのは凄いけど、ポロポロ部品が落ち過ぎやねん。もっとそういうところをちゃんとせなあかんぞ、メーカー(海洋堂、タカラトミー、マックスファクトリー、バンダイの各社の提供でお送りしておりません)。

まともなものを作るっていう意識が、日本からなくなりかけてるようですね。

ということで、その意識がなくなりかけているという部分での特撮番組の象徴である、平成仮面ライダーシリーズの新作が始まりました。

電王って電車の王ってことでええんかな。

これで、仮面ライダーっていうのは、良い意味(販促面、予算の面)でも悪い意味(出来る範囲が限られてしまう、遺産の食い潰し)でも、等身大ヒーローという言葉とイコールで結び付けられちゃったと思う。ドラキュラ伯爵イコール吸血鬼となってしまうのと同じことを、意図的にやってしまったと思う。これが吉と出るか凶と出るかは、まだ先でないとわからないとはいえ、その結果を無責任に未来に投げ捨てるっていう行為はどうなんかなって思う。

番組としては面白かったと思う。かなり理想的な第一話だったと。登場人物の紹介、敵の出現、世界観、アクション、一応秘密の部分、そういうところを、変に肩肘張らずに出していたと思う。展開も詰め込み過ぎではなかったし。かと言ってまったりでもないしね。やれば出来るじゃないかと、素直に思ったんやけど、出来るなら前もやれよという感情も出たのも事実でありますです、はい。

じゃあ、見続けるのか?って聞かれれば、僕は見ないと答えますね、現時点では。僕なりに駄目だった部分っていうのは、主人公が好きなタイプではないこと、主人公が堤真一氏に似てること(?)、ち、違った、ヒロインポジションだと思われる人がアメリカザリガニの片割れと結婚したこと、じゃなくて、ヒロインポジションだと思われる人がきつい顔立ちであること、アクションが格好悪かったこと、ライダーのデザインが想像以上にダサかったこと、これらですね。

変に暗く、悲壮に作るよりかは、こういう展開の方が子供にも受けるかもしれないし、前作品までの差別化っていう意味でも、前のカブトよりガラっと変わるほうが受けもいいだろうかなって思う。今後の展開は、視聴率や玩具の売り上げ等で変わってくるとは思うけど、最後の展開が面白いっていうか、自分好みになっていれば、また見るかもしれません。

それから、演技についてやけど、まぁ低レベルっていうか、酷いよなぁと思う。表情はいいんだけどね。それだけじゃアカンと思うよ。

確かに役者の成長を見守るっていうのは、視聴者としての楽しみの一つであっていいと思うし、何らそれを否定する気はないんやけど、制作側・役者側がそれに甘えるっていう構図は駄目だと思うんよね。出来て当たり前っていう意識をもっと持とうよ。日々勉強かもしれないし、完成されないものかもしれないけどさ。それに甘えちゃ駄目なんだよ。

カブトも響鬼も上手い人が多かったからね、主人公・主役ポジションに。どうしても比較しちゃうし。カブトの水嶋ヒロさんは、天道っていうキャラ造形の勝利っていう部分も大きいけど、雰囲気っていうか、役を掴んでいたよね。響鬼の細川さんにしても、栩原楽人さんにしても上手かったしね。栩原さんは上手いレベルを超えているような気がするけど。555の半田さんにしても、決して上手いとはお世辞にも言えないけど、役は掴んでいたからね。だから、演技で気になる部分はある(現実世界に引き戻されちゃうんよね、演技次第で)けど、応援したくなるっていう感情も湧いてくるんよね。芳賀優里亜さんはメッチャ上手かったなぁ。可愛いし。

でもさ、今回の主人公役の人って、まぁ彼だけの問題ではないけどさ、表情はいいけどね止まりなんよね。そういう人って多いやんか。モデルならそれでもいいだろうけど。動くんよね、喋るんよね。だから、突っ立って表情だけ作ればいいってわけじゃないんよね。モデル批判ではなくて、モデルにはモデルのやり方があるけど、それをそのまま演技に導入しても駄目な場合が多いんとちゃうの?っていう意味でね。モデルも動くね、ごめん。えっと、動くって書いたのは、その劇中の世界で生きる・活きるっていう意味っつーこって、一つ宜しく。

やっと、消えた部分に追いついたけど、書いてる内容は変わりないけど、文体とか構成とかだいぶ変わっちゃったよ。まぁ、書きたいことは書けたと思うんで、ヨシとしよう。

何が言いたいかというとさ、アクティックギアっていうタカラトミーが出してるボトムズの製品を買ったんやけど、パーツがポロポロ落ちるのよね。それからマックスファクトリーのブラッドサッカーを買ったんやけど、足っていうか腰前面のふんどし横のアーマーがまたポロポロ落ちるのよね。赤い肩もよぉ外れるし。これなら可動モデルにする必要なんてあるの?っていう出来ですよ。プロポーションっていうか見た目はええねんけどね。

まぁ、これらはもう一つのブログに載せると思うので、詳細はそっちでね。