Invalid Life

「演歌・オブ・ザ・デッド」公式ブログ
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新選組

2004年08月31日 12時25分28秒 | 映画・DVD・テレビ番組
何故か大河ドラマの新選組を毎週欠かさず見ています。NHKの時代劇ものは内容はいいんだけれども、セット丸出し感が炸裂(実際もセットだけれども)しまくっているのが多いので、ちょっと引いて見てしまう部分があって、大河は余計にそういう傾向が強くて、積極的に見ることはありませんでした。

新選組を見るようになったのは、偶然にも一回目の放送を最初から見てしまい、更に二回目も偶然にも最初から見てしまいとなって、何時の間にかはまっていました。

前回の放送で初期メンバーの一人である山南さんが切腹しました。ドラマで泣くなんてことはなかったんですが、目には涙が浮かびましたよ。で、今回の放送は前回が何やってんなっていう位のギャグ話。でも方向性というかベクトルは同じ方向を向いているので、すんなりと受け入れられるんですよね、これが。

今までの新選組のドラマを全て見た訳ではないのですが、近藤達の多摩・江戸編を長い間描いたドラマは、今回の大河が初めてだそうです。主要メンバーの登場とか、ゆっくりと進んでいく様は、本当に恐れられたあの新選組(のドラマ)なのかと思いました。

新選組の話は現実にあったことであり(史実でも様々な解釈や不明部分もありますが)、大抵の人は大まかな粗筋を知っていると思います。新選組側から見るとバッドエンドということも。初期の多摩・江戸編は、そのことを土台にして視聴者に見せていたので、陽気な中にも暗闇があった。で、今は初期に描いた人間関係が土台になって、悲しみを増幅させている。そこまで考えて脚本とかを書いていたんでしょうが、だからこそ、泣きの話の次にギャグ話を持ってきても違和感がそんなにないんですよね。

最初の多摩・江戸編が長すぎるという批判もあったようですが、あの長さで主役グループの人間関係や人物を描くことで、今の重さが更にずっしりと来るんですよね。ベルセルクの手法と似ていますね。ベルセルクの場合は創作なので、最初に現在の話を事実として認識させておいて、何故そうなったのかを時間を掛けて描いて、また現在に戻ってくる。そうすることで、主人公のガッツの気持ちがより読者に訴えかける。多摩・江戸編も、史実の新選組を結果がわかっている(見せている)為、今はこんなに仲良くても……という視点を失っていないんですよね。

外の新選組の映画とかを見ても、近藤以外は全員今の大河の役者に脳内変換して見てしまう自分を発見し、これはもうどっぷりと浸かってるなぁと感じましたね。近藤だけは、SMAPメンバーが嫌いという訳ではなくて、どうも草加に置き換えてしまうのはご愛嬌ということで。後、映画「壬生義士伝」の黒沖田は、大河の白沖田とは別物に見てしまっているので、置き換わりませんが。

あぁ、今日もまとまってないなぁ。大河のドラマの主人公は土方ですよね。どうも近藤はお飾りなだけのような気がします。

FF11

2004年08月29日 11時25分07秒 | ゲーム(MMORPGとか)
MMORPGのFF11を昔プレイしていた。当時としてはグラフィックも綺麗だった。最初はPS2で、PC版(Windows)が出てからは、それ専用のPCを組み立ててプレイした位だった。

ただいつの頃からかプレイするのが苦痛になってきた。原因はわかっていた。パーティープレイの強要。プレイスタイルの強要。これである。

パーティープレイの強要によって、少ない時間でのプレイが出来ない。

プレイスタイルの強要も凄い。この職業はこういうプレイをしないといけないという手順があって、それに逆らおうものなら、ブーイングだ。プレイヤーはあくまでもNPC(コンピュータが操作するキャラクター)のプレイを要求されるのだ。

MMOPRGをやっていて、日本人は一つの型に他人も自分もはめたがる傾向があるとわかった。一番有名な効率のいい方法以外の動作は歓迎しないようになり、自分にも他人にもそれを求める。アメリカ人は、効率を求めるプレイ、楽しさを求めるプレイ、ほかなんでも一応認める。自分と合わなければ合わないねというだけだ。

どっちが良いとか悪いではないが、プレイスタイルの強要ほど私にとって窮屈に感じるものはない。私はコンピュータではないし、そういうプレイが好きではないからだ。

そして日本人はルール以外にマナーをよく作りたがる。そして、リアルとゲームを混同させる。決まって、ゲームの画面の向こう側に人間はいるんですよ、だ。それを言うなら、プレイスタイルの強要もやめたらどうだろう。そして、ゲームの画面の向こう側に人間がいるのはわかるが、その間にゲームのキャラクターを通していることも忘れないようにしないといけない。

最後は話が変わってしまった。もうちょっとまとめてみます。すまそ。

残酷な邂逅

2004年08月27日 09時27分31秒 | 人生適当語録
木曜夜8時の「おみやさん」というドラマを見る。そのドラマの番宣で遠藤久美子が出ることがわかったからだ。この時間帯で「おやじ探偵」というドラマを以前やっており、それにはレギュラー出演だったんですが、カメオ出演っていうやつなんでしょうか。

ドラマ自体は、ちょっとというかかなり強引なところもありますが、まぁ丁寧に作ってはいるなって思いました。この時間帯のドラマは京都が舞台のものが多いんですが、何故か皆様標準語です。関西の人って、関西が舞台の場合、どうしても関西弁を求めてしまう人が多いですよね。私もそうなんですけどね。

九州のどこかが舞台で、九州弁を喋りまくられたら、わかるように話さんかい、ドラマやろこれはって言う感じでブーたれること必須なんですけどね。まぁ、関西人は良い意味でも悪い意味でも関西弁にこだわりを持っているんでしょうね。(九州弁が悪いとかではなくてね)

で、遠藤久美子なんですが、私はファンクラブに入っているくらいファンです(意味不明)。しか~し、彼女が劇中でセーラー服を着ていたんですが、引きましたよ、ええ、引きました。かわいいけど、やっぱ歳は取ってたんやなぁというのが一発でわかりました。無理ありすぎ。

思い込みなのか、そのシーン以後、エンクミの顔が心なしかやつれているように見えましたよ。デビュー当時からのファンでしたが、確実にエンクミも歳を重ねていたんだなぁと思うと、なんか悲しくなりました。まだまだかわいいけど、さ。

もう一つ、このドラマにゲストとして出ていたのがモト冬樹氏でした。彼も昔の場面があったのですが、明らかにカツラとわかるものをつけていました。昔は髪はありましたよっていう設定で、現在と対比させるのはわかるのですが、もうちょっとカツラとはわからない付け方があったでしょうに。ドラマ自体はコメディじゃないと思いますが、あの時間帯やドラマの内容、現在の情勢とかから、あまり殺伐としたものも駄目なので、和ます意味もあったかも知れませんけど。

勢いに任せて作ってみました。

2004年08月26日 17時25分03秒 | 人生適当語録
タワーレコード梅田店にて、George Mrazものを探しに行くも、リーダーものは2枚しかなかったので、フラナガンと一緒にやっているものを買おうと思ったが、お目当てのアルバムがなかったので、Walty堂島へと向かうことにする。

Walty堂島はGeorge Mrazすらなく、フラナガンの目当てのアルバムもなかったので、久しぶりにアマゾンするかと思い、帰宅する。

アマゾンでも目当てのものはなく、HMVのサイトで目当てのものはあったのだが、それは実は2枚のアルバムを編集したものであることが判明。しかも値段が高かったので、アマゾンで見つけた安いものを買うことにしました。だって貧乏なんだよ(泣)。

今日の昼は梅田の「ブルーノ」の安いほうへと行く。カレー380円からで、料金的には安いと思います。貧乏と言いつつも奮発してビフカツカレーにする。店頭の写真では大きな分厚いビフカツカレーの写真があり、美味そうだったんです。

おいおい、なんやねん、この小さなビフカツは。これで730円になるの?はぁ~。

ご飯の大盛りがタダなのは嬉しいし、カレーは凄く美味しかったんやけど、ビ、ビフカツが……。