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「演歌・オブ・ザ・デッド」公式ブログ
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仮面ライダー響鬼 nano 第4話 「装着せよ!アームドセイバー」

2005年09月25日 20時04分53秒 | 仮面ライダー響鬼 nano
言いたいことはたくさんあったけど、以前を気にしなければクオリティが高いのは受け入れざるを得ない事実だし。正直面白かったし。過去に魂を引かれた視点からは、はっきり言って製作陣(スタッフ、役者共)の裏切りでしかないわけやけど、そんなこと言っててももう何も変わらないだろうしね。だから、全く新しい番組として観るっていうのが一番いいと思えてきました、自分的には。

これを最初からやっててくれてもきっと番組のファンになってましたよ。

なんか上で変なこと書いてるなぁ。最近記憶の錯綜が激しいなぁ。

新しい仮面ライダーも早くも第4話を迎えました。先週は主人公の響鬼の変身が解除されてどうなるかって思ったけど、今度のライダーの敵組織って人を襲わないのか、なんかいきなり去って行っちゃったけど。ちょっとおいおいってテレビに突っ込んでしまいましたよ。

てかさ、敵組織ショボって感じ。低予算なのか、なんか同じ役者さんが複数の役やってるし。中堅役者をライダーに使ってて予算なくなったんかなぁ。怪人って今日みたいなでかいもんばっかりなんかなぁ。斬新ですよね~。あ、それで予算がなくなったんかなぁ。しょぼいCGやったけどね~。

トドの師匠っていう役で出て来た人、渋かったなぁ。この人絶対ライダーになるような気がするなぁ。先週はワンカットだけやったけど、今回はちゃんと最後の宴会にも参加してるし。メインキャラクターになってくれたらええのにって思ってただけに、嬉しいです~~。ゲストキャラの小暮さんも昔はライダーやったって話もしてたし。このトド師匠も昔はライダーやったんかなぁ。

途中チラッと出て来た高校生コンビ。前回までは結構出ていたような気がするけど、片方があまりにも演技がアレなんで既に干されてしまったんかなぁ。ドングリマナコの方の高校生は絶対主人公と一緒に戦うんかなぁって思ったのになぁ。

しかし4話でいきなりパワーアップとは、えらい展開速いなぁ。

眠れない夜に妄想する鬼の世界

2005年09月25日 05時12分59秒 | 仮面ライダー555
29話までの響鬼は世界観とその世界の人物の日常を描いてきた。それは群像劇というものでもなく、例えるなら一枚の写真のようなものだろう。

以前の響鬼は観る人それぞれに想像の余地が良くも悪くもあった。共通しているのは響鬼世界に30分だけ住まうということだったと思っている。その世界を○と感じる人もいれば、□や△と感じる人もいたであろう。言い換えると脳内響鬼を各々作りやすかったのではないだろうか。

30話からの響鬼は物語を描こうとしている。形は固定され、○は○でしかないというようになった。○の大小は見方によって印象が異なりはすれ、観る人の方向性は自ずと一つに定められるように作られている。

一枚の写真から様々なことを想像する(写真が鮮明な場合もあれば、ピンボケの場合もあるが)ことを楽しめる人もいれば、もっと情報(たくさんの写真や説明)を与えて欲しいという人もいるだろう。

これらは表現手段が違うので、急に変わったりすると違和感を覚えるのは当たり前だろう。

正直に言えば響鬼世界の表現は成功もあれば、失敗もあったと思う。それは明日夢の成長物語を描くということを止め、明日夢の成長物語を響鬼世界の日常に置くことに急遽変更した部分のズレであったように感じる。

響鬼世界の日常の中で唯一明日夢の成長という軸だけが物語の面を持ち、本来であれば動かない写真の中で、明確に動くことを指定されているものを入れた化学反応が、響鬼の最大の良さでもあり、最大の悪さでもあり得たのだろう。

響鬼世界には、公式サイトやネット等によると結構劇中に出て来ていない設定があるようだ。小津安二郎監督の映画では、セットの箪笥に中に、実際には画面に映らないのに、現実と同様に下着とかをしまっておいたらしい。それとは少しニュアンスが違うかもしれないが、世界観やその世界に住まうものを描くことにおいて、劇中には出ない設定も必要なものであろうし、大人の事情等で崩れいてる部分がなかったわけではないが、それでも成功していたと感じたし、個人的には全体的には結構上手く調和していたと思う。

主人公である明日夢の成長(というよりも変化だろうか)が遅いと感じてしまった人は失敗していると思えたのであろうか。明日夢だけが物語を進めることが出来る立場にあったと仮定すると、成長や変化が遅いというのは物語的な側面からは失敗だろうとは思う。

しかし、前任プロデューサーの「響鬼は子供番組」という発言を読むと、明日夢を通して響鬼世界の日常を体験させ、成長を性急に描くのではなく、丁寧に、慎重に描こうとし、決して急ぐことだけが正しいことではないんだよ、と言いたかったような気がしてならない。現実の世界はかなり急な流れになっているからこそ、そう伝えたかったのではないだろうか。

実際にはターゲットにした本当の子供ではなく、大きなお友達の心の中の少年の部分(と言えば綺麗過ぎるが)の琴線に触れてしまったのは誤算だったのだろう。

パート2になって(決してネガティブな意味合いではない)、物語を描くようになったのは最初に上述した通りだが、これまでの財産(1話から29話まで)があるからこそ描くことが出来る物語を期待したい。

○に感じたもの、□に感じたもの、△に感じたもの、それぞれを納得させるように纏めるのは至難の業だろう。しかし、挑戦しがいのある状況だと思うし、成功すれば響鬼という番組が終了してからも、一粒で二度美味しい作品として語り継がれるようになるのではないだろうか。

それこそが前任プロデューサーが求めていた「完全新生」の本来の姿かもしれない。そして響鬼にはそれがよく似合う。

三大怪獣 地球最大の決戦

2005年09月24日 20時32分04秒 | 映画・DVD・テレビ番組
いや~、モスラ(幼虫)って武闘派だったのね。言うこと聞いてくれへんかったらいきなり力づくで押さえつけようとするとは(違うだろ)。

いやいや本当はだよ、モスラ(幼虫)。一人でも立ち向かおうとする根性。いやいや、それは素晴らしい勇気ですよ。

皆が逃げ惑う狭い山道で、車でそこのけそこのけ走行でも周りから文句が言われないのは主な出演者特権ですか?

ザ・ピーナッツが入れられたバッグを持って山道を歩いたら揺れまくりじゃないでしょうか。事実、映像ではそうでしたよ。は!だからか。ザ・ピーナッツの二人が陰鬱な表情だったのは。

なんとか(サルマン?)公国の悪大臣みたいな人。なんで日本語ペラペラやねん。てかなんで途中から片言っぽく喋るねん。公国の人達皆日本語が公用語なんでしょうね。上手すぎるわ。外見も日本人っぽいし。

ラドンやゴジラの目がクリクリしてて可愛いやんけ。

ゴジラ、ラドン、モスラ、お前ら初タッグ結成やのに、なんでそんなにコンビネーションええねん。

怪獣言語があったとは。それを通訳出来るザ・ピーナッツは凄いね。

まぁ、売りの特撮は時代のせいもあるけど、現在のレベルでは自主制作レベルだと思う。しかし、センスというか、どう撮れば怪獣が格好良く見えるか、恐ろしい存在に見えるかっていうのが考えられているのは、今の映画にはないものではないかなぁと思います。

物語の展開もいいし、メインの登場人物もよく描かれているし、ゴジラ映画の中でも評価が高いのは頷けます。人が描けているからこそ、怪獣がより恐ろしい存在として見えるんだなぁと思いましたね。

不満っていうわけではないんですが、もう少しキングギドラの恐ろしさ、強さを描いて欲しかったかな。小さい頃観た時は圧倒的強さのキングギドラに仕方なくゴジラ、ラドン、モスラが協力して戦ったっていう印象というか記憶があったんですが、今回見直してみて、そんなにキングギドラって強いの?って思えてしまったのが、最後の怪獣バトルにイマイチ乗り切れなかったところかな。

でももう40年以上前(1964年作)の映画なのにドキドキワクワクして観ることが出来たっていうのは、完成度が高い映画という証拠なのでしょう。

本当に面白かったッス。

仮面ライダー響鬼(ヒビキ) 三十二之巻 弾ける歌

2005年09月19日 02時06分54秒 | 仮面ライダー555
なんか複雑な気分ッス。
観ている最中はごっつ面白いんやけど、観終わった後に細かいところが気になるっつーか。微妙に製作側に悪意が存在しているのが理由だとは思うんですけど。それはネット情報的にはわざとやってるみたいですけど。

テンポがいい割りには余計な(カットしてもいいような)シーンがあったって感じたところが、悪意っていう(言い過ぎかな?)ものに繋がっているのかな、自分の中で。

キリヤンがたちばなから追い出されて足から包帯を取るシーンでも、包帯を取って投げ捨てるだけでよかったと思うし。こういういらんところで前のテイストをわざと持ってくるところが悪意だよなぁ。

全体的にはキリヤンがいらんっていう以外は上手く纏まっていたと思います。テンポは確かに29話までとは違うけど、30・31話よりはそれまでとの融合度合いは高かったんではないでしょうか。

物語の進行は結構展開が詰まっている割には以前のまったり感が少し復活していていたんですが、これは役者の方々の力量から来るものではないのかなぁ、と。特に主役二人とザンキさんの中の人の雰囲気が、良い意味で以前のテイストを引っ張っていて、今の展開に無理矢理合わしてないんが良かったですね。ひょっとしてこのまま融合度合いがもっと高まれば、凄い(素晴らしい)ことになるかも、ですよ。

29話までは海の中を流れに身を任せてプカプカ浮いていた。30話からは大きな波が来たのでちょっと慌てて泳いでみた。今回は波にも慣れてきた。そんな印象を持ちました。

引っ掛かるというか気になったのはトロドキの描写です。ザンキ(斬鬼)という存在が大きすぎる故に依存度も高いのは今まで描かれてきているのですが、そんな彼が師匠から譲り受けた武器をないがしろにして新しい武器に目がいってしまう。

太鼓祭りでの反省及び成長で武器に拘らないっていうことなら納得は出来るのですが、太鼓祭りの後もザンキ依存症は治ってないっぽいし、強引過ぎないかと感じるのです。今回の役目はトドロキである必要があったのだろうか、という。

次回の展開次第では完全にトドロキっていうキャラクターを殺しかねない(劇中で死ぬのではなくて)結果にならないか、と考え過ぎちゃってますよ。これは脚本も演出も相当気合入れないと駄目ですよ。

ほんでから、映像がなんかちゃちっぽくなってるのが気になります。予算の都合もあるんでしょうけど、なんか撮り方が根本的に変わったような感じを受けます。これをもう少し以前のようにするだけで印象はだいぶ変わると思うんやけどなぁ。

なんだかんだ言いながら今は生みの苦しみかもしれません。誰もが望んでいた状況ではないでしょうけれども、見捨てずに、踏ん張って、鍛えることで本当に完全新生っていうのを作ることが出来るのかもしれません。響鬼的でいいかもしれませんよ。

DVD第二巻(六之巻 叩く魂)でのヒビキさんの名言(迷言)、「鍛え足りなきゃ、鍛えるだけだ」がなんかぐっさりと心に来ます。

あ、お願いがあります。鬼の瞬間移動は止めて下さい。それに別のあきらが出ているからといって、劇中のあきらの登場を電話で済ますのは止めて下さい(おいおい)。

追記:
まいど豊さん、面白いなぁ。新選組を思い出しましたよ。おっさんあきらとの絡みもグ~。上手い役者さん同士はこういう他愛もないシーンも魅せてくれるんですよねぇ。おっさんあきらは本業は歌手やけどね。

オープニングのモノローグがなくなって寂しいけど、アスムンがあかんねんやったらザンキさんにやって欲しいよなぁ。あ、そんなことしたら、仮面ライダー斬鬼(ザンキ)になっちゃうからあかんか。それか提供読みは今月一杯やと思うけど、もう残りもずっとザンキさんでいいっスよ。ついでに装甲化も斬鬼さんで(こらこら)。

DVD 仮面ライダー響鬼(ヒビキ) 第二巻

2005年09月17日 22時38分23秒 | 仮面ライダー555
なんか最近は響鬼ブログに化しちゃってるけど、気にしちゃ負けだよ(意味不明)。

偶々日本橋のディスクピアに寄ったら入荷してたんで早速ゲット。

そうそう、この斬鬼さん撃墜され事件から響鬼をちゃんと見るようになったんよねぇ(遠い目)。

細かいところの設定の破綻っていうか矛盾というか辻褄合ってないやろって部分は既にありまくりやけど(笑)。

このDVDの話の時期は既に戸田山さん(敢えて「さん」を付けます)の配役は決まっていたみたいなんですが、ヒビキさんが電話でやり取りする戸田山さんは今の轟鬼襲名したトミゾーとは別人だと思いたいッス(こらこら)。

そう言えばザンキさんの配役も決まってたんですよね。そう考えるとザンキさん引退話は最初から考えられてたんかなぁ。

後から観るのはこういう楽しみ方も出来ていいなぁ。

と、まったりしながら観賞してたんですが、この空気感みたいなのが自分に合ってるんやなぁと再認識しました。ずっとこの世界に居たいという現実逃避ですけどね。つか、魔化魍が居る世界はやっぱ嫌やなぁ(どっちやねん)。

それにしてもヒビキの中の人も明日夢の中の人も上手いよなぁ。それから威吹鬼って最初からヘタれてたんですね。今更じゃなかったのか(←威吹鬼ファンからしばきまくられる発言)。

劇場版 仮面ライダー響鬼と7人の戦鬼

2005年09月16日 00時31分54秒 | 仮面ライダー555
もう最近は響鬼関連しか書いてないけど、まぁええか。
ということで、劇場版観て来ました。

テレビの響鬼を観ていなかったら結構楽しめたと思います。或いは、30話からのちょっぴり梃入れ(路線変更って程ではないかもっていうのが今の心境です)がなければ、笑って誤魔化せたかもしれません。

以下ネタバレあるので注意してくんなまし。

最初から萎える台詞があるんすよね。響鬼さん、少年のことを「明日夢」と言っちゃ駄目だよ。それはやっぱしテレビ版の最終回の台詞っしょ。

恐らく、この台詞が出て来たのは脚本を書く段階では、上映時には明日夢は弟子になっているということだったのかもしれません。だから、製作陣を責めるわけではないのですが、丁寧さには欠けているという印象を持たれても仕方がないと思います。

物語的には面白いです。過去の場面で鬼達が争ったり、裏切り者の鬼が出て来たり、っていういつものパターンには辟易しましたが。そして音激が意味ないものになっていたのも痛かったですが。

テレビでのメインの鬼以外にもご当地鬼として劇場版のみの(なのかな)鬼が登場しますが、はっきり言って賑やかし程度というか、物語を濁しただけって感じでした。しかし、劇場に居た子供は喜んでいたようなので、子供を対象としている映画としては良かったのだと思います。玩具的な意味合いもあったでしょうし。

近頃の私のえがった映画の基準は、後でDVDを買うかどうかっていうものなんですが、ディレクターズカット版(恐らく出るでしょう)が出たら買おうかな、が今回のこの劇場版の評価です。つーことは、えがったえがったってことなのか(笑)。

こうなってれば良かったのにっていうのを後日書いてみたいと思います。あくまでも自己満足なものですけど。

今気付いたけど、カテゴリーをずっと「仮面ライダー555」にしてたっす。響鬼っていうカテゴリーを作れよなぁとも思いましたが、まぁ、ええか~~。

今日は 913 カイザの日

2005年09月13日 23時43分24秒 | 仮面ライダー555
その前に私信を(って全部私信やけど、ガッハッハ)。

keitoさん、RF ONLINEはセガが作って、今オープンベータをやってるようです。
公式サイト http://rfonline.jp/

ただ、ちょっと今月は忙しいのですぐにやるのは無理っぽです。来月になったら出来るかなぁ~。

そしてここからが本題。

タイトルにもあるように、今日は「カイザの日」です。カイザの日はなんぞやっていう方は、是非こちらへどうぞ。

「仮面ライダー555」で草加雅人(仮面ライダーカイザ)役をやられました、村上幸平氏の公式サイトです。
http://koheimurakami.com/index.php

「仮面ライダー555」という特撮番組は群像劇だったと思う。だから、色々な登場人物に感情移入することが出来、メインの登場人物全員が主人公に成り得るものだと思う。個人的には群像劇は嫌いやったけど、555を観てからは他の群像劇ものも好きになってしまった。本当に素晴らしい番組を知ることが出来て幸せです。

私が555に嵌ったのは間違いなく奴のせいです。それは草加雅人という登場人物、そして村上幸平という役者のせいなのです。

彼(ら)のせいで私はなけなしのお金をはたいて555のDVDを全巻揃え、映画の為に劇場に足を運び、劇場版DVDを買い、又劇場版DVDディレクターズカットまで買い、そしてスーパーライブまで買ってしまいました。

そう、全ては草加雅人及び村上幸平のせい。付け加えるならば、「イケメン新選組」も買っちょりますたい。

私の中では草加雅人こそが555の中心人物であり、主人公でした。事実、映画の撮影を機に他の役者さんのスケジュールの都合や、脚本家の草加雅人という登場人物への溺愛もあって、草加雅人が555の世界、物語の中心に躍り出てしまいました。

何よりも演じた村上幸平さんの草加雅人への愛がずば抜けていたのが大きく影響したのかもしれません。。

草加雅人が出る前も555は楽しく観ていましたが、最初の登場から一旦デルタのベルト関係で流星塾仲間と行動を共にする為に555に出なくなった時(その間3話程)、なんかポッカリと穴が開いたような気分でした。

そしてあの再登場。格好良過ぎますよ。本当に心を奪われたのはあの時だったのでしょう。

最初は村上幸平氏もまだ草加雅人の本性に気付かずに演じておられていたと思います。当時のインタビューでも乾巧と分かり合えるようになり仲間になって助け合いながら戦うと思っていた、というようなことをおっしゃっておられました。

だから初期草加雅人はただの自分に自信を持ち過ぎている嫌味な奴という範疇の中にいた登場人物だと思います。

しかし、再登場から、村上幸平氏もきっちりと草加雅人を理解し、そして愛することによって、嫌味な奴ではあるけれども、人間を守る(え?)為に敵(オルフェノク)と戦うヒーローに成り得たんだと思います。

いや、強引なのはわかってますが、今日はカイザの日ということで。わっはっは。

漠然としてですが、草加雅人には昔の所謂昭和ライダーの雰囲気を感じていました。それが私にとっては懐かしく、555に引き付けられたもっとも大きな要因だったと思います。

劇中ではこの言葉は出てきませんが、草加雅人は「改造人間」なんですよね。しかも敵の組織に改造されちゃってるし。そして良いにしろ、悪いにしろ、彼は人間の味方なんです。選ぶ手段はなんでもアリだけど。

そんな草加雅人が最後は一方的に愛する人の為に(←ここ重要、一方的なのが草加雅人クオリティ)犬死するのが、もう何と言っていいのやら。しかも最終回2話前だし。一番殺されたらアカン奴に殺されるし。オンエアは1月4日の正月気分が抜けない時だし。正直、ちょっとショックで何も手につきませんでしたよ、んとに。

草加雅人は恐らくは早い段階で死ぬ予定だったんではないのかなぁ。でも、彼は最終回近くまで生き残った。それも脇役ではなく、堂々としたメインで。物語を引っ張る役で。

乾巧と木場勇治が表だっての主人公ですよね。オルフェノクでありながら人間として人間を守ろうとする者と、オルフェノクとして人間を守ろうとし挫折する者。二人を対比して描くことが最初の出発点だったと思う。

しかし、草加雅人の登場でそれは変わってしまった。純粋な人間でもなく、また純粋なオルフェノクでもない、そんな草加雅人の悲哀や復讐が、555という世界に大きなテーマを投げかけたと思う。

脚本家に愛され(脚本家自身の分身?)、演出陣やスタッフに愛され、そして役者に愛される、そんな登場人物はなかなかいないでしょう。愛されるだけではなく、理解されているのも重要かな。

漢ならカイザです。

あ、あかん、熱く書き過ぎました。まとまってないし。続きは来年のカイザの日にでも。

仮面ライダー響鬼(ヒビキ) 三十一之巻 超える父

2005年09月11日 20時16分25秒 | 仮面ライダー555
なんとか纏まってはいたと思うけど。そう、何て言ったらええんやろか。

おやっさんが前にこんなことを言ってましたよね。

「こう、なんていうか、悪意、みたいなものを感じるんだよねえ」

そういう感じです。厭味も随所に散りばめられているし。

スケジュールの都合もあるんやろけど、丁寧さが根本からなくなって、勢いや展開の速度アップで纏めようとしている姿勢が、しゃーないことやけど少し寂しいし残念です。

今までの響鬼を好きな方で今回の変更に対して抵抗を感じてらっしゃる方の大半は距離感の違いを敏感に感じてしまったんじゃないでしょうか。これまではまったりだったのに、いきなりの連続になってしまったんだからしゃーないけど、もっと別の方法はなかったのかなぁ。それすら考える時間がなかったんだろうけれども。

個人的には番組としては面白いと思うけど、観たかったのはこれじゃないよっていう拒否反応がどうしても出てしまうんですよね。これは好き嫌いというのではなくて、とまどいから来るものだと思います。

29話で一旦終了して、半年後にパート2が始まりました、っつーんだったらここまで拒否反応は出なかったと思う。何もかもいきなりだったのがちょっとね。

今回の話や展開は良かったと思う。響鬼というこれまでのフィルターを通さなければ。これは555を観ているような感覚と似ているかな。555に無理矢理に響鬼という番組の相関図を入れました、みたいな。

一番問題なのは、キリヤンの中の人の演技力のなさが原因なんですけどね。彼の演技が良ければねぇ。それもあってキリヤンの存在自体が邪魔になっちゃってるんですよね。

それから最後の台詞はいらんし、余計な引きもいらんし、余計な演出もいらん。これは555じゃないんだよ。

今回の感想としては、戦闘場面で威吹鬼が消えたのはちょっとなぁ。最初の戦闘場面であきらが鬼二人に追い付くところは、あきらが鬼の弟子であり、鬼になる一歩手前まで修行を終えているっていう感じが出ていて、何気にグッジョブです。

つーか、前回は良かったと思えた戦闘場面が今回は手抜き満載って感じになっているのはどういうことだろう。多分前回と今回は纏めて撮影していると思うのになぁ。

アスムンパパ話も見た目は上手いこと進めたと思う。この世界に必要はなかったけど。それに、アスムンパパってDQNだよね?部下を信用せずに勝手に休日出勤して、勝手に現場行って、勝手に怪我して、勝手に入院ブッチして。迷惑掛けてるだけじゃんか。犬小屋作成にしてもね。まぁ、中途半端な奴って感じですかね。こういう部分に厭味があるんですよね。

これはアスムンが意識して、乗り越えなければいけない対象なんだろうか、という疑問しか残らないんですよ。作りかけの犬小屋を完成させるっていうのは場面としてはいいだけに勿体無いなぁと思うんですよ。

ヒビキさんとアスムンの関係の描写は良かったと思う。アスムン母子の関係も。これは役者の力量によるところが大きいと思う。

ヒビキさんとアスムンの関係にも変化を感じましたが、これは前進なのか後退なんかは捕らえ方によりますけど、個人的には以前あったヒビキさんのアスムン脳内弟子化発言を踏まえて、アスムンへの関わり方が友人から弟子へという気持ちに移行しているのかな、と。

個人的には不満はあるけど、新しいテイストもいいのかな、と思えるようになってきてはいます。ただ新しいテイストにするなら、過去を引き摺るんではなくて、壊してもええと思うんですわ。

ヒビキさんとアスムン以外全員死亡。何とか生き残った二人は魔化魍への復讐を心に誓う。もうこれでいいよ(こらこら)。

良かったところ、悪かったところ、それぞれあるんやけど、今はどうしても基準が前のテイストになっちゃうんで、どうも悪かったところだけピックアップしちゃうんよね。これは何回か観て慣れるしかないでしょう。どうしても駄目だったら観なければいいだけだしね。

次回はいよいよあれが出るんですね。

神経質過ぎだよ

2005年09月06日 00時01分42秒 | 仮面ライダー555
三回連続で響鬼関係を書こうとしている自分にも言えますけどね>タイトル。

今回のプロデューサーと脚本家交代で、自分も含めて神経質になり過ぎ、冷静に番組を見ることが出来ていないのは、響鬼という番組にとってもマイナスにしかならないよ。>自戒の念をこめて。

そう言えば私は路線変更って結構好きなんよね。忘れてたよ(笑)。まぁ、自分自身があれ程響鬼という番組に依存していたとは。本当にびっくり君ですよ。初回を観終わった後に視聴を止めた奴なのにね。

ベルセルクみたいにとことん壊しまくるのもいいかも。積み重ねたものが大きい程、いとおしい程、崩れた時の衝撃はでかいし。アスムンもザンキさんも全員死んで響鬼さんが復讐の旅に出るっていうのでも、面白かったらおっけ~よ~~。

そういうことで(どういうことだよ)、今まで色々な仮面ライダーがありましたが、自分が観て来たものを振り返ってみようと思います。

先ずは初代仮面ライダーとV3。この頃は生まれていたけど、物心つくかどうかの歳なんで、恐らく記憶にあるのは再放送で観たものだと思います。個人的には藤岡弘、氏がスーツに入っていた初期のワンクールが好きですね。

V3も観てたんやけど、なんか記憶にないんですよ。宮内洋氏と言えば大抵の特撮ファンはV3(それかズバットかな)を最初に連想されると思うのですが、私はビッグワンなんですよ。それ程V3は印象にないんです。

次はエックス。多分ここからリアルでも自分の意思で観るようになった頃だと思います。キングダークが怖かったなぁ。

アマゾン。あ~ま~ぞ~~ん~~っていう掛け声だけが印象に残ってます。

ストロンガー。電気ビリビリ。そんな感じ。

スカイライダー。村上弘明氏があんなにいい役者さんになるとは。

スーパーワン。あんまし観てないんでわかりません。

ブラック。シャドームーンは格好良かったけど、これもあんまし観てないんでストーリーとか全く憶えてないっす。

ブラックRX。全く観ていません。

ZO。ありましたよね?

J。知らない。

クウガ。偶々観たのが最終回で、仮面ライダー出て来ぇへんかったのが残念でした。

アギト。何回かゲームの徹夜明けで偶々観ました。ライダーが怪人に負けてもケロっとして日常に戻っているのが凄い違和感がありました。っていうかライダーが怪人に勝った場面って私が観た範囲ではなかったなぁ。

龍騎。これもゲームの徹夜明けで数回観ました。コウモリの人が主人公だと思ってました。最終回前に主人公が死ぬという情報を聞いて、DVDで最終回前と最終回を観ましたが、やっぱし私の中ではコウモリの人が主人公なので、主人公が最終回前に死んだっていうイベントは楽しめませんでした。これはずっと観ていた人の特権でしょう。

映画もDVDで観ましたが、本編もろくすっぽ観てないので???な内容でしたが、アクションシーンは格好良かったと思いました。

555。初めて観たのはイカ先生の時でした。それから偶然にも続けて観てしまって(勿論ゲームの徹夜明けで)、蛇がギターを弾けなくなった理由の話でおおって思い、草加登場の時はもうとりこでした。草加最高。映画も良かった。

草加はやっぱし555中盤から最終回前までの主人公だったよ。そういう見方だったんで、最終回目前に主人公が死ぬのかよという、しかも無駄死にかよっていうのが凄くショックだった。龍騎を観ていた人も最終回前には同じように感じられたのかな。

ブレイド。エヴォリューションキングは格好良いと思いました。555を引きずっていたっていうのもあったのかも知れないけど、私の嗜好とは合わずに観てませんでたが、キングフォームが出て来た頃から偶然また観るようになり(勿論ゲームの徹夜明けで)、それから最終回まで結構楽しく観ました。映画はまぁまぁでした。

で、響鬼。初回を観て、まぁ観るのは止めようと。で、ザンキさんがバケガニにやられた(っていう報告があった)回を偶然観て、なんか引っ掛かるものがあって。それで観続けました。そして感想をblogに書くまでに至ります。

好きなライダーって言えば勿論カイザですよ。それから響鬼。ほんで初代ライダー、エヴォキンっていう順番かな。

復讐の旅に出るダーク響鬼っていうのが本当に見たくなってきた。ガクガクブルブル。

鍛え足りないなぁ~、自分は

2005年09月05日 01時08分02秒 | 仮面ライダー555
今までヒビキさんに何を教わってきたのだろう。
なんて自分は鍛え足りなかったのだろう。
ちょっと反省してます。
ザンキさんに弟子入りして鍛え直して貰います。

これから、で判断しないと、ね。

嘆いてばっかりいてもしゃーないんで、今回の話を自分好みにするならどうするべかなと思い、ちょっと書いてみます。

OPナレーション(byアスムン)は入れる。
魔化魍の都市部出現はそのまま。
でも人はちゃんと食べてると思わせる描写を入れる。
転入生関連はそのままに。
「つまらない人間」発言は入れる。
ヒビキさんの店の手伝いは嫌みたいな描写は外す(苦手だな程度に)。
魔化魍最初の遭遇はザンキ・トドロキコンビにする。
威吹鬼はもう少し強い描写に。
ヒビキさんの出発はちゃんと描いて、現場に瞬間移動はしない。
とーちゃん発言は砂の器に任せる(違う)。

なんか書いてて我ながらつまらんのが情けないけど。

ほんでから、またこのblogの調子が悪いみたいで、コメントとかトラックバックとかおかしいかもしれません。ごめんなさい。

憂鬱な日曜日の朝の楽観的希望

2005年09月04日 18時03分59秒 | 仮面ライダー555
土曜日は何かごっつ疲れてて早く寝ちゃったんやけど、お陰で日曜日の朝は目覚ましに頼ることなく起床。昨日は晩御飯を食べてなかったせいか、矢鱈とお腹がシグナルを出すので、ヒビキタイムまで時間もあることだし、久々の朝マックを買出しに。大阪人でも朝マクドとは言わないのはこれ如何に。

そっか~、まだ戦隊ものってやってんねんね~。凄いよなぁ~。今の戦隊は魔法使うのかぁ~。

つーか、別府あゆみさんが出ているではないですか。KBS京都の金曜夜11時のらくらぶの後番組の時にエンギャルのように後ろにおられた時から可愛いとは思っていたけど、まさかこの番組で出会うとは。もう3-4年前のような気がするけど、あの頃は大学生やったかなぁ。

ちょっとググってみると、おはよう朝日に出ていたみたい。知らんかった。でもさ~、ちょっとケバくなってたかなぁ。前はもっと可愛らしい感じやったけど。

そして朝8時。アスムンのナレーションがない。そっか、先週最終回やったもんね。今回は前作が好評だったんで、パート2を、前作とは同じ役者でやるってことやったもんね。

と、現実逃避をしてしまった頭と心では、今回の本質を見極めることなんて出来ません。まぁ、見直してみて心の整理はつきました。後は頭の中の混濁を上手に隔離してまとめることだけかな。

なんかね、再結成したバンドが以前とは違う方向性で作ったアルバムが売れなくて、仕方なく昔の曲を演奏してますってノリに思えました。DOKKENとかね(あ、ファンの方、ごめんなさい)。あ、そうそう、先週ランドを観に行った時と似たような感じですね。ロメロゾンビだと思うと駄目だっていうのと。

全体的にこれまでの雰囲気は踏襲しているし、世界観を破壊することはしていなけど(まだね)、アスムンの方向性は変えようとはしているみたい。でもさ、主人公の方向性を変えるってことは、結局は世界観や雰囲気までも変えてしまわないか不安ですよ。

そんなにアスムンの成長が遅いのが駄目なのかな。気に障るのかな。ヒーローではない人間の成長を描くというのは仮面ライダーという特撮ヒーロー番組でやることではないかもしれない。真の意味での主人公が仮面ライダー(鬼)ではないのも特撮ヒーロー番組(仮面ライダー)でやることではないのかもしれない。

大抵の人は、そう小さなお友達も大きなお友達もヒーロー(仮面ライダー)の活躍を求めているのだと思う。でもさ、少年期の人間の成長を描くのに適した媒体でもあると思うのよ、特撮ヒーローという番組は。

確かに前回までも不安には思ってたとこはあったんですが、それは質の低下に対しての不安であって、今回のは全く別物に変わってしまうのではないかというものなんですよ。

雰囲気は踏襲されているかなって書いたんですが、それは役者や現場スタッフの踏ん張り(っていう言葉が適当ではないんですが)でそうなっているだけって気がするんです。新しい脚本家の方やプロデューサーの方のテクニックもあったとは思いますけど。話としては纏まっていたし、面白かったしね。

来週はアスムンのリアルパパが絡んでくるみたいやけど、それっているのって正直言って疑問符だし。ヒビキさんの立場はどうなるの?これまでのアスムンとの関係は?これならあっさりと何年後とかの世界でやり直した方がいいとも思うけども。

響鬼がそんなに早く現場に到着しちゃ駄目だよ。
新しい登場人物っていらないでしょ?
セルフパロディになっちゃってないよね?
555とは違うんだよ。わかってるよね?
スーパーアリーナは見飽きましたよ、大阪人だけどさ。
玩具が売れないのは番組のせいだけではないでしょう?
視聴率は悪くはないんでしょ?
壊すなら一気に壊せば?

一応私は大きなお友達の範疇なのに子供っぽい感想にしかなってないけど。大人の事情はわかるけど、否、わかってないんだろうな。

ヒビキの前の戦隊もので、おかしくなってしまったものを元の状態に戻す魔法(やったかな)、っていうのが出てきましたけど、その魔法を使う状況にならないことを祈るばかりです。

暗黒面の帳が下りてきたのか。これが危惧でないように。



っていうかさぁ~、上に書いたことを最初は感じてたんやけど、アスムンの描写とアスムンリアルパパの扱い方をこれまでの方向性とは変えへんだけで、結構面白くなりそうな予感もするのよね。

なんか言ってることがバラバラやけど、なんか相反する二つの予感が頭の中で交互に出て来るんですよ。

本当に危惧していること、それは……
ザンキさんの提供読みが暴発しないように……。

追記:
自分でもこんなに変化に対応出来ない体と頭になっていたのに驚きました。
Van Halenがデイブからサミーに変わっても受け入れられたし。
Mr.BIGからポールが抜けてリッチーになったことに喜んだのに。

大人になるっていうことは、柔軟さをなくすことなんだろうか。
意思を持つのは大事なことやけど、それに凝り固まってしまうのもどうなんやろう。

少なくとも「仮面ライダー響鬼(ヒビキ)」という番組の1話から29話までは、私を幸せな気分にさせてくれたということです。裏事情はどうであれ。

そして希望するのは、「仮面ライダー響鬼(ヒビキ)」という番組の30話から最終話も、私を幸せな気分にさせて欲しいということです。